おせちとの向き合い方を変えた一皿がありました。特別なときに食べるハレの料理でもなく、いつもの普段の食事でもなく、ただ美味しいとか、好きだとか、ということでもなく、常に身近にあって食べ続けたいもの。人生や思い出と、いつも、いつでも結びついている。そんな、一生食べ続けたい「ひと皿」を食いしん坊に聞きました。
お正月のおせち料理は、長いこと“食べない”“いらない”“つくらない”派でした。子供の頃、年末年始は一家揃って両親の故郷(千葉県香取市)で過ごすことが多く、実家でおせちを用意する習慣がなかったせいかもしれません。
長じても和風の甘じょっぱい味付けが得意でなく、おそろしく手間がかかるイメージもあって、自分でつくるなんて、とてもとても。毎年欠かさずに手作りする友人を「すごい人だなあ」と仰ぎ見ていました。
なのに突然、自分も“つくる”派に転じたのが15年前。きっかけは、1冊の料理雑誌です。『NHKきょうの料理』2007年12月号。その年の4月に遅い結婚をした自分に、1年分の定期購読をお祝いに贈ってくださった方がいて、6回目に配本されたのが金赤の表紙の“正月料理特集号”だったのです。巻頭は辰巳芳子さんの“これだけはつくりたいおせち”と題した祝い肴、雑煮、煮しめの紹介でした。
今年は奮発して料亭のおせちでも取り寄せようかと浮かれていた気持ちが、ページをめくっていくうちに変わりました。特に心を掴まれたのが、煮しめの写真です。豆腐、里芋、蓮根、椎茸、牛蒡、蒟蒻。茶系が支配する色合いに人参の赤味が冴え冴えと映えて、レンブラントの絵に出てきそうな(出てくるわけないけれど)静謐の美しさ。
辰巳さんは、その簡素さについて「いのちの祈りと向き合う自分を見出すため」「人は弱く、ご馳走がありすぎると気が散るもととなるのです」と説いていらっしゃり、その一文にもグサリと刺されました。
タイトルどおり、これだけはつくりたい、いや、つくらねばならぬ!と変心。結婚間もないせいか、まだ殊勝なところが残っていたのかもしれません(今はない…)。
実際につくってみると、おせち初心者には、まあまあ高いハードルではありました。まず、だしは昆布だし、一番だし、二番だしの3種類をとり、食材に応じてベースのだしを使い分けるのが基本。椎茸を煮たら、その煮汁とだしを足して鶏だんごを、さらにその煮汁を使って牛蒡煮を、と継ぎ足していく“鰻のタレ”方式で。田作りのごまめを炒った鍋を豆腐煮に使い、旨味を含めるような番外編の小技もあり。
火を止めて味を含ませている間には、「滴が落ちないよう、ふたを盆ざるにかえる」なんていう手取り足取りの注意も書き込まれています。失敗しないように、最後までおいしくつくりきれるようにと気遣う筆者の目線を感じました。
里芋は洗って風に当て、乾いてから皮をむく。
牛蒡は糠水で茹でてアク抜きから下煮、本炊きの後、煮上がってから半日やすませる。
ひとつひとつの工程がこんなふうに丹念なので、指示をきっちり守っていると、仕上げまでにたっぷり2日かかってしまいます。
じゃあ面倒なのかといえば、さにあらず。手順を踏む手間はいるけれど、無駄の出ないようにひとつひとつ味を重ね、風味の濃い素材から淡白な素材へ順を追って煮しめていく合理性は、いっそ清々しさを感じるほど。煮汁が濁らないよう、減りすぎないよう、無心に見守りながら鍋の前に立っていると、1年の来し方を振り返り、無事に過ごせたことに感謝する気持が自然に湧いてきたりもします。
もちろん、出来上がりはしみじみと味わい深いのですが、おいしいかどうかの基準を超えて、人がおせちをつくる本来の意味を肌実感でわからせてくれる。つくるたびに「ああ、こういうことであったか!」と腑に落ちる発見がある。そんな磁力のあるレシピなのです。気づけば15年ずっと、1年も欠かさずに、年末になる度にこの煮しめをつくり続けてきました。
簡素に徹しきれない自分は、やれ鴨ロースだ、松風焼きだ、錦卵だと年ごとに種類を増やし、今では蒲鉾以外の30品目近くをせっせと手作りするように。あれほどおせちに冷淡だった昔がウソのようです。そのぶん、煮しめからはオリジナルの鶏だんごを外すようになり、だしは昆布鰹だし1本に簡略化したり、またお酒の肴になるように味をほんの少し濃くしたり、砂糖を少なくしたり、緑の色味もちょこっと加えたりと、15年間で自分流に変えてきた部分もありました。
「ご馳走がありすぎると…」と、お叱りの言葉が聞こえてきそうです。けれど、辰巳さんは巻末で、こんなふうにも書いてくださっています。
「継続は、無理のない、おのずからなる改善を必ずはたします」
改善と言い切る自信はありませんが、おかげで継続はできています。おせちをつくることは苦行ではなく、楽しみな年中行事になりました。今年も来年もその先も、辰巳さんの煮しめをよすがにしながら、私のおせちをつくっていくのだろうと思います。
バイブルとなった『きょうの料理』は、今もキッチンの棚に2007~2008年の1年分が並んでいます。お祝いの目録が届いたとき、「料理雑誌をこんなふうに贈ることができるんだ!」と目からウロコの驚きでした。そして、季節を追って届く12冊分のレシピに、実際にどれだけ助けてもらったかわかりません。以来、年下の友人への結婚祝いには、何度となく同じ方法で1年分の定期購読を贈ってきました。
みんな驚き、とても喜んでくれます。
継続のリレーの中に、少しだけ自分も加われた気がしてうれしいです。
★ 椎茸の煮しめ | |
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・ 干し椎茸 | 7~8枚 |
・ しいたけの戻し汁+水 | 1.5カップ |
・ 味醂 | 大さじ1 |
・ 砂糖 | 大さじ1 |
・ 醤油 | 大さじ1と1/2 |
★ ごぼうの煮しめ | |
・ ごぼう | 1本 |
A 下煮用の煮汁 | |
├ 水 | 300ml |
├ 昆布 | 5cm |
├ 酒 | 大さじ1 |
└ 梅干し | 1個(小) |
B 煮汁 | |
├ 椎茸の煮しめの煮汁 | 1カップ |
├ 酒 | 大さじ1/2 |
├ 味醂 | 大さじ1/2 |
└ 醤油 | 大さじ1/2 |
★ こんにゃくの煮しめ | |
・ こんにゃく | 1枚 |
A 煮汁 | |
├ ごぼうの煮しめの煮汁+だし | 1カップ |
├ 酒 | 大さじ1 |
├ 味醂 | 大さじ1 |
└ 醤油 | 大さじ1/2 |
★ 焼き豆腐の煮しめ | |
・ 焼き豆腐 | 1丁 |
A 煮汁 | |
├ だし | 1.5カップ |
├ 酒 | 大さじ1 |
├ 味醂 | 大さじ1 |
├ 砂糖 | 大さじ1/2 |
└ 薄口醤油 | 大さじ1 |
★ 里芋の煮しめ | |
・ 里芋 | 8~10個 |
A 煮汁 | |
├ 焼き豆腐の煮しめの煮汁+だし | 2カップ |
├ 味醂 | 小さじ2 |
├ 砂糖 | 小さじ2 |
└ 薄口醤油 | 大さじ1.5 |
★ れんこんの煮しめ | |
・ れんこん | 1節 |
・ 揚げ油 | 適量 |
A 煮汁 | |
├ 里芋の煮しめの煮汁+だし | 1.5カップ |
├ 酒 | 大さじ1 |
├ 味醂 | 大さじ1 |
└ 薄口醤油 | 大さじ1 |
干し椎茸をヒタヒタの水に浸し、一晩置いて戻す。
柔らかく戻った椎茸の軸を切り、戻し汁と水、味醂、砂糖を合わせて加えて5分ほど煮る(軸も一緒に鍋に入れて煮る)
②に醤油を加え、さらに20分ほど煮る。そのまま半日以上置いて味を含ませる。
ごぼうは水洗いし、皮ごと斜め薄切りにし、Aの煮汁で材料に火が通るまで下煮する。
Bの材料を鍋に合わせ、ごぼうを入れてふたをし、15分ほど煮る。そのまま半日以上置いて味を含ませる。
こんにゃくは塩少々(分量外)を振ってもみ、水で洗い、4〜5分下ゆでしたら、4〜5mm厚さに切って真ん中に切り目を入れ、端を切れ目に通して手綱結びにする。
②とAの煮汁を鍋に合わせ、ふたをして弱めの中火で7~8分ほど煮てからふたを取り、煮汁がなくなるまで煮る。
豆腐は1丁を8等分に切り、ヒタヒタの水(分量外)とともに鍋に入れ、強火でゆでて“す”を入れる。
別の鍋に下ゆでした豆腐、Aを入れ、中火で10~15分ほど煮る。そのまま一晩置いて味をなじませる
里芋は皮をむいて塩少々(分量外)でもみ、熱湯でさっとゆがいてぬめりを取る。
鍋に①、Aの煮汁を合わせ、中火で柔らかくなるまで煮る。そのまま半日以上置いて味をふくませる。
れんこんは皮をむき、7〜8mm厚さに切って酢水(分量外)に5分ほどさらす。
揚げ油を180℃に熱し、①の水気を拭いて、さっと素揚げする。
鍋に②、Aの煮汁を合わせ、ふたをして弱めの中火で煮汁がなくなるまで煮ふくめる。
それぞれを一つの器に盛りつけて完成。
文:堀越典子