そのひと皿は、特別な言葉とともにある、ある夏の想い出。特別なときに食べるハレの料理でもなく、いつもの普段の食事でもなく、ただ美味しいとか、好きだとか、ということでもなく、常に身近にあって食べ続けたいもの。人生や思い出と、いつも、いつでも結びついている。そんな、一生食べ続けたい「ひと皿」を食いしん坊に聞きました。
「午後はおまけと思いなさい」
そんなセリフをくれた、当時80代の知人のお母様が、私をもてなしてくれる時に冷蔵庫から出してくれたのはすいかだった。
10年ほど前のことだ。長野県の松本市、お城から遠くない場所にある一軒家の応接間。窓の外に光る夏の日差しをよそに、透明なガラスのお皿にのった、四角く切られたスイカの姿は優雅であった。瀟洒なフォークを手に、遠慮なくいただく。
サクッ。生き生きした音が口の中に響いた瞬間、真夏というのに、子ども時代の冬の早朝、霜柱を踏むたびに感じたあの快感を思い出した。鋭さと繊細さを備えた、透き通るような音と踏み心地。
我に返って皿の上を見る。
なんだこのスイカは。瑞々しい甘さの心地よさといい、今まで食べてきたものと全然違う。
「すごく美味しい」
そんな月並みな言葉しか、発せなかったと思う。
それが、松本市の波田という場所で採れたもので、波田はすいかの名産地なのだと、そのとき初めて知った。
長野には毎年夏に行っている。この衝撃以降、注意して見ると、直送農産物を売る場に、「波田産すいか」と特別感たっぷりに書かれているものがあることがわかった。ただ、訪れた時にいつもあるわけではない。
私にとって半端なく特別感のあるすいかである。手に入れば、きちんと冷やして綺麗に切って、姿勢を正して食べる。
サクッ。霜柱を踏んだ感覚がやってきて、耳にはあの言葉がリフレインする。
「午後はおまけと思いなさい」
ありがたくも厳しい言葉は、ここ何年も娘のお弁当作りで早起きを強いられている身には、励ましでもあり、褒め言葉のように優しくもある。いや、この先どう感じるかわからない。いずれにしても、私にとって、とても大切な言葉となり続けている。
それを近くに聞きたくて、波田のすいかを食べ続ける。
文:浅妻千映子 写真:工藤睦子