2016年から六本木ヒルズアリーナ(東京・六本木)で開催されてきた日本酒の祭典「CRAFT SAKE WEEK」が、今年で10周年を迎えた。主宰は、元プロサッカー選手の中田英寿さん。日本酒の可能性と課題を考え抜いて毎年ブラッシュアップを続け、今や、他に類をみない魅力的な日本酒イベントとなっている。 同イベントの開催10周年を機に、中田さんに、このイベントを始めた経緯やその内容について話を聞いた。そのインタビューに、参加蔵元や来場者の声を交えて、3回にわたって紹介する。
2026年4月17日(金)から29日(火・祝)までの13日間、今年で開始10年目となる日本酒イベント「CRAFT SAKE WEEK」が、六本木ヒルズアリーナ(東京・六本木)で開催された。回を追うごとに国内外のメディアからの注目度も高まり、初開催以来、去年までに延べ125万人が来場。今年はさらに約30万人を集め、大盛況のうちに幕を閉じた。
日本最大級の集客を誇る同イベントを主催する(株)JAPAN CRAFT SAKE COMPANYの代表を務めるのは、元プロサッカー選手の中田英寿さん。15年に同社を設立し、日本酒の魅力を世界中に広める活動に情熱を注いでいる。
プロサッカー選手としてイタリアやイギリスなどヨーロッパのトップチームで活躍し、日本代表としてワールドカップ3大会連続出場に貢献した中田英寿さん。06年のドイツ大会のグループリーグ最終戦で、試合終了の笛が鳴ると同時に、ピッチに座り込んでしまった。燃え尽きたようなその姿は、観る者に、中田さんがサッカーに注いできた情熱を強烈に印象付けた。
この大会を最後に29歳という若さで、現役引退を表明した中田さんは、第二の人生の目標を見つけようと世界を旅した。すると、各国で日本固有の文化や名所について尋ねられたが、満足に答えることができない自分に気が付いた。“日本人としての自分”とは何か。“日本人である自分にしかできないことは何なのか”。その答えを見つけるためには、日本の文化を知る必要があると考えたという。
「文化を理解することは、地域の自然のなかで育まれた暮らしを知ること。そう考え、2009年より沖縄から始まり北海道まで、47都道府県を一筆書きのようにして約7年半をかけて回り、各地の農業や工芸など、ものづくりの現場を訪れる旅を続けました。そのときに出会ったのが、日本酒でした」。
日本人の生活には切り離せない米と米麹、豊かな水を原料に、世界に類のない固有の製法で醸しだされる日本酒。中田さんは酒蔵を巡るうちに、それぞれの地域の気候風土や水質、造り手の思想、個性によって多彩な魅力を放つ日本酒の奥深さに魅せられていったという。現在、国内では約1100の酒蔵で日本酒が造られているが、この16年で500を超える酒蔵を訪ね歩いた。当初は、蔵元に話を聞いても理解できないことも多かったが、知識が増えるに従って、優れた醸造技術や、ものづくりに臨む志の高さにも敬意を払うようになった。

一方で中田さんは、日本酒の課題にも気が付いた。
都内を中心に、各地で日本酒の試飲会が開かれていると知り、参加してみたところ、どの会も賑わいを見せていた。だが、そこに集まっていたのは、日本酒を知る、日本酒好きの人たちがほとんどだった。
「造られている日本酒はどれも素晴らしかった。ただ、その価値を知るのは一部の限られた人に留まっている。まだまだ多くの人たちに魅力が伝わっていないと感じたんです。若い人は、日本酒には興味がないという声も聞きましたが、興味がないのではなく、発信される情報量が少なく、しかも情報に偏りがあるから、出会う機会がないのではないか、と」。
ヨーロッパで暮らした経験を通じて、ワインがその土地を代表する文化として、土地の料理と共に愛飲され、大切にされていることを目の当たりにしてきた。和食は世界で評価されるようになりつつあったが、日本酒の価値を知る人は、国内でさえも限定的であることを痛感したという。
「日本酒のマーケットを広げるには、日本酒を知らない人でも興味を持てるような情報発信や、仕組みを考える必要がある。それも、酒単独ではなく、食とともにトータルで取り組むことが必要だという考えに至りました」。
日本全国の旅をする中で中田さんは、日本酒や食文化、ものづくりを国内外に広め、日本の伝統文化を未来へ継承し発展させる活動を、人生をかけて取り組むことを決意した。プロがない時代にサッカーを始め、好きなサッカーを突き詰めてきた結果、プロ選手になったように、「好きなことを趣味としてではなく、ビジネスとして、人生をかけて取り組みたいと考えた」と中田さん。ライフワークを事業化し、日本文化を世界へと発展させるために、15年11月に、(株)JAPAN CRAFT SAKE COMPANY(以下略、JCSC)を設立。日本酒アプリ「Sakenomy」、日本酒トレーサビリティシステム「Sake Blockchain」の開発と運営、さらには日本酒開発やイベントコンサルティングなどを手がける同社が2016年にスタートしたのが、日本酒の祭典「CRAFT SAKE WEEK」だった。

中田さんが会場として選んだのは、都市型エンターテインメントスペースとして知られる「六本木ヒルズアリーナ」。巨大な開閉式屋根を持つオープンエアのイベントスペースには、日替わりで10の酒蔵がブースを出し、来場者は毎年オリジナルの酒器を持って蔵のブースに行き、酒を注いでもらうというスタイルをとっている。参加蔵元は、日本酒の専門家、一流シェフ、ソムリエなど約200名による事前審査によって選ばれた精鋭揃い。入手困難な銘柄も含まれているとあって、毎年、ブースには行列ができる。
味わえるのは日本酒だけではない。ジャンルも多彩な今をときめく飲食店の数々が参加し、魅力的な料理を提供している。来場者は、各店が工夫を凝らしたイベントオリジナルの料理や酒肴と、厳選された日本酒とのペアリング体験を楽しめるというわけだ。
アリーナの空間演出は、毎年、世界的に活躍する著名な建築家が担当。桜や竹、縄など和の素材を生かしながら、日本の美を現代的に設えた和モダンの空間演出で、来場者を楽しませてきた。
10周年の今年は、さまざまな点でバージョンアップしていた。
会期はこれまで10日間だったが、今年は4月17日からゴールデンウイーク初日の29日まで、これまでで最長の13日間。参加蔵元の数は一日10蔵ずつ13日間で、これまた最多の130蔵が参加した。
飲食店の参加も、今年は過去最高の20店。イタリアン「TACUBO(タクボ)」、フレンチ「L’Effervescence(レフェルヴェソンス)」、焼き鳥「鳥しき」、中華「富麗華(ふうれいか)」、和食は「神楽坂 石かわ」や「虎白」をはじめとする「チーム石かわ」など、予約の取りにくい人気レストランが顔を揃え、話題を集めた。
さらに今年は、「日本文化のアップデート 100年後も『本物』を残すための戦略」と題したトークセッションなども日替わりで開催。「獺祭(だっさい)」「伯楽星」「紀土(きっど)」「新政(あらまさ)」「而今(じこん)」「みむろ杉」ら蔵元や、「日本橋牡蠣殻町 すぎた」「L‘Effevescence」ら人気の飲食店のオーナー料理人、陶芸家や工芸家が登壇して、例年以上の盛り上がりを見せた。
去年までに延べ125万人が来場し、ビッグイベントとして知られるようになったが、今年はさらに約30万人を集め、大盛況のうちに幕を閉じた。


「僕ら(JCSC)はイベント会社ではありません。人をたくさん集めることだけを目的にしているのではなく、日本酒を体験し、楽しんでもらって、その価値を知ってもらいたいのです。その目的達成のためには、高品質の日本酒が飲めることは大前提ですが、見せ方や運営の仕方、情報発信など、しくみについて考え、毎年アップデートを重ねてきました」と、中田さんは取り組みの独自性を強調する。
独自の工夫としては、例えば一日に参加する蔵の数を制限していることが挙げられるだろう。
初開催だった16年のCRAFT SAKE WEEKは、1日10蔵ずつ、10日間で100の蔵元が参加。10周年の26年も「一日10蔵」のルールは変えずに、13日間でトータル130の蔵元が参加した。日本酒のイベントといえば、参加している酒蔵が一堂に集まり、それぞれの蔵が4~6種類程度の酒を出品する例が多いように思う。
「1日10蔵に絞ったのは、たくさんの酒を全部飲むのは無理だし、味も銘柄名も覚えられないと思ったから。酒蔵の数を絞っただけではなく、1つの酒蔵が出品する酒も3種類に限定しました。目指すのは、たくさん飲めるイベントではありません。自分で選び、味わって、体験して、ファンになってもらうのが目的です」と中田さん。
料金の支払い方にも、工夫がある。
これまで日本酒の試飲会は、入場料を支払って、時間内は飲み放題というスタイルをとることが多かった。だが、同イベントでは、初めにスターターセットとして、オリジナルグラスと、料理と酒が購入できるコインを購入。一杯、一皿ごとに、各ブースに行ってコインで支払うシステムを取っていている。追加で飲食したい場合は、追加コインを購入できる。飲み放題のほうがお得な気がするが、中田さんが言うように、一杯ごとに支払う方が、酒の味わいや、払ったコイン数など、それぞれの酒についての印象は記憶に残るだろう。近年開催される日本酒イベントでは、このコインシステムを導入するケースも増えてきている。


中田さんが、日本酒業界の課題だと感じた情報発信の仕方にも、独自の工夫をしている。
JCSCが運営する日本酒アプリ「Sakenomy」とイベントが連動。スマホでチェックすれば、参加している酒蔵の特徴や、酒蔵の地元お勧めの飲食店や宿についてコンパクトにまとめた情報とともに、出品されている酒の名前や小売価格、会場で購入する際のコイン数が一目でわかる。酒の味わいも、短いコメントとともに図式化されていて、日本酒をあまり飲んだことがない人でも、味や香りのイメージがつかめるようになっている。しかも、そのアプリを通じて、期間限定、数量限定ではあるが、その日に提供されていた日本酒を購入することもできる。これらの情報は、英語でも表記され、インバウンド客でも使いやすい工夫がされている。至れり尽くせりのアプリだ。
来場者は、中田さんが意図した通り、それまであまり日本酒に縁のなかった人や、若い人が多く、JCSC調べでは、20代~30代が約6割、外国人が約1割だという。
2年目の17年から参加する「而今(じこん)」木屋正酒造(三重県)6代目で蔵元杜氏の大西唯克さんは、
「これほど若い人たちが集まってくる日本酒のイベントは他にないと思います。東京の中心で開かれ、会場の設計デザインもお洒落で、集客は抜群。日本酒の価値を創造してくれるダントツ一位のイベント。二位は思いつきません」と言う。
大西さんが造る「而今」は、きれいな甘みとピュアな酸で、日本酒ファンに圧倒的な人気を誇り、CRAFT SAKE WEEKでも、毎年、長い行列ができる。
「CRAFT SAKE WEEKに来て、初めて而今を飲んでファンになったと言うお客さんが、毎年、列に並んでくれて、『今年も大西さんに会いに来ました! お酒、美味しいです‼ 頑張ってください』なんて言ってくれる。造り手として、こんなにうれしいことはありません」。


「僕も、日本酒ファンの方たちも、きっかけがあって日本酒が好きになりました。このイベントを開く目的は、日本酒の魅力や価値に気が付くきっかけをつくること。日本酒のことを知らなかった人もここに来れば、美味しいお酒が揃っていて、美味しい料理とともに楽しめる。知りたいと思えばすぐに情報が得られて、お酒を買うアクションにもつながる。そんな場にしたいと思って工夫を重ねてきましたが、成果が上がっていると思います」と中田さん。
気軽に参加して、一杯のお気に入りに出会ったことがきっかけで、日本酒にハマった人。友人の誘いで参加して、日本酒に興味を持った人。スマホでSakenomyをチェックし、次に飲む日本酒を検討している外国人カップル。グラスを手にする人々の笑顔に、日本酒が描く輪の広がりを感じた。
※第2回に続きます。
文:山同敦子 撮影:伊藤菜々子