
進化を続ける東京の町焼肉。今回ご紹介するのは、五反田有楽街の裏路地に店を構える「焼肉 あぶさん」。芝浦の肉卸に学んだ確かな目利きで揃える上質な和牛を、気軽なハーフポーションでも楽しめる一軒だ。タン、ヒレ、ハラミ――白飯を呼ぶ肉の連打に、箸が止まらなくなること間違いなし!
いまから百年前、五反田には花街があった。数十軒の芸者屋(置屋)が軒を連ねる「郊外屈指の花街」と言われる三業地。その猥雑な雰囲気は、現在の「五反田有楽街」にもそこはかとなく残っている。
そんな有楽街から住宅街へと抜ける裏通り、喧騒から日常へと戻る狭間のエアポケットが口を開けている。3年前に掲げられた小さな「あぶさん」の看板。脇の扉を開けるとそこにはもうもうたる煙と和牛の楽園がある。
簡素なテーブルの上には、釜浅商店(合羽橋)と「炭火焼肉ゆうじ」(渋谷)が共同開発した炭火ロースター。「見た目がかっこよくてかわいいし、扱いやすくてつくりも頑健」と店主が一目惚れした一台だ。

そのロースターの上で焼かれるべく、和牛のヒレや和牛タン、和牛ハラミという極上肉が続々と供されていく。町場の店ではまず揃わない豪華な顔ぶれだ。
仕入れの力強さは、店主の飯沼健さんのキャリアにある。焼肉店に携わるようになったのはもう30年以上前のこと。「僕が17歳のとき、父親が洋食の修業中だった兄、それに姉と僕の3人で経営しろ、と焼肉店を買ってきた」ところからのスタートだった。
「仕入れも肉の知識もゼロだから、仕入れは業者に言われるがままの高値づかみ。たまたま芝浦に出入りしている肉屋さんが近所にいて、見かねていろいろ教えてくれるようになったんです」

芝浦の1頭買いの現場で肉の目利きをイチから学んだ。以来、本牧亭で20年以上、ひたすら焼肉と向き合った。独立に向けて外の風に当たるべく、新宿の名店「長春館」でも働いた。2019年に五反田の飲食グループの焼肉部門の立ち上げに誘われたが、コロナ禍の2年間は居酒屋の店長だった。飲食店に光が差してきた頃、常連客に声をかけてもらい、合同会社で「あぶさん」を立ち上げた。2023年7月のことだ。
「目利きを教えてくれた肉屋さんが三代目に代替わりしても良くしてくれるんです。こんな小さな店にもタンを週3回、ハラミは週2回、レバーも必要な量だけ回してくれて、本当に助かってます。その恩はお客様に向けて返したい」
正肉は黒毛和牛、内臓は流通の仕組み上「国産牛」となるが「ほぼ和牛ばかり入れてもらっている」という。その値付けが和牛上タン3,000円、和牛上ハラミ2,900円。しかも、肉はほぼ全品ハーフでの注文を受けていて、律儀にもすべてきっちり半額の値付け。原料高騰のさなかである。思わず「大丈夫?」と声が出てしまったが、この日は塩、タレ、ホルモンという3皿をハーフをベースに盛り合わせで組んでもらった。

まずは塩皿。和牛タンハーフに和牛ヒレ。和牛タンは表面が自らの脂でジュクジュクするまで焼き込み、サクッとした食感に仕上げる。

ヒレはわさびでさっぱりと。続くタレ肉も視野に入れ、ここでライスを投入。ヒレは内部まで温かなレアに焼き上げ、ライスに乗せてわさびをちょん。そして醤油を一回し。箸でちぎれる柔らかさも含めて、白飯との相性が最高だ。うっかりライスを食べきってしまう。

しかし次なる赤身の盛り合わせにもライスが欠かせない。早くも白飯を追加投入だ。タレの赤身は和牛ハラミにこの日のおすすめ黒板メニューから肩三角とランプをそれぞれハーフで盛り込んでもらう。
皿上のタレを薄切りのランプで丁寧にぬぐってさっと炙り、すぐさま熱々のライスの上へ。今度は自家製のキムチを脇に添えて大口を開けて頬張る。肉の味わいとタレの奥行き、それにキムチの辛味と酸味のすべてを受け止める白米の偉大さよ……。

思わず言葉を失いそうになりながら、意識を網上に引き戻す。先に焼き始めていた上ハラミも仕上げに入る。肉の繊維を引きちぎる心地いい破断性と、その間から噴出する肉汁に脳髄がしびれる。

仕上げはホルモン。今日はシマチョウ、上ミノ、上レバ、ツラミのハーフ盛り合わせ。焼き上がりタイミングが違うホルモンを網上に落とし、焼き上がった順に五臓六腑に落としていく。
「とにかく和牛の美味しさを知ってほしいんですよ。和牛は『脂っこい』とかいろいろ言われますが、いい和牛は脂が乗っていても美味しいじゃないですか。だから肉の味をストレートに食べてもらえる味つけにしています」
古来、花街には「恩送り」という師匠や先輩から受けた恩を世代をまたいで送る風習があった。令和の五反田で和牛をこよなく愛する店主が、肉卸から受けた恩を客に送る。百年前から続くしきたりが、違う形で生きている。
文・写真:松浦達也