
編集部が注目する、おいしくて居心地のいい店をご紹介する連載「いい店見つけた!」。第4回目は、神田の間借り店として話題を集めた『パラダイスアレー』がついに実店舗をオープン!南インドのサラセリー式ビリヤニに迫ります。
店の規模と比較すると少々不釣り合いなほど巨大な文字で「CAFÉ」と書かれた看板が目を引くこちらのお店。かつては喫茶店だったそうだが、現在は少々違う。今年3月、神田で伝説と呼ばれたカレーとビリヤニとスパイス料理の店「パラダイスアレー」が移転してきたのだ。
主の竹上卓孝さんは、あるとき休暇で訪れたインド東部の街・コルカタで現地の味に開眼、脱サラして店を持つことを決意した。開店するにあたっては、南インドへ飛び、ケララ州のマラバールへ。食べて「おいしい!」と思った店の厨房に果敢に入れてもらい、実地で研修を重ねたという。物怖じしてしまいそうなものだが「熱意が勝ったので」とこともなげ。加えて、書物や動画からも貪欲に学んだ。
帰国後、まずは神田のガード下の居酒屋でランチタイムに間借り営業を3ヶ月半。その後、2024年7月に同じくガード下の2階で、狭小物件ながら独立した空間で営業できるように。朱墨汁で料理名を大書した半紙が目印、という秘密基地のようなその店を最初に訪れたときは、正直おっかなびっくりだった。が、あらかじめチェックしていた「“サラセリー式ビリヤニ”なるものがすごい」という評判には偽りなしで、さらにびっくりしたものだ。
と、そのビリヤニを紹介する前に、間借り営業を経て、実店舗を構えた今。ディナータイムにのみ味わえるオリジナリティに満ちた一品料理をまずは見てもらいたい。インド、スペイン、フランス、ベトナムetc.とさまざまな国の料理をスパイスでアレンジしたクロスボーダーメニューは“唯一無二”という形容がふさわしい。
昭和の趣を色濃く残す空間のあちこちに、カレーや旅に関する書籍や写真集、じっくり見たいポスターやポストカード、キッチュな雑貨類がちりばめられている。ジャンルもテイストもばらばらなのにしっくりと落ち着いているのは、それらすべてが竹上さんの感性のフィルターを通して集まってきたものだからだろう。天板にタイルシールを貼ったテーブルや厨房のスカイブルーの天井は自分で手を加えたものだそう。また、店の一角にはお菓子が並ぶコーナーも。実は短期間ながらパティスリーでの勤務経験があり、フランス菓子が得意な竹上さん。ミルリトン、サクリスタンなどの焼き菓子はテイクアウト可能だ。
常時6種類前後ある前菜から、3種類を味わえるセット。この日は「ヒヨコ豆と野菜のサラダ」「砂肝のコンフィ」「ほうれん草としめじの胡麻和え」。中でも白眉はヒヨコ豆。コリアンダー、フェンネル、キャラウェイなどのスパイス入りオイルに、ひと晩水に浸けて戻したヒヨコ豆を入れ、180℃で40分加熱。すると、複雑な香りをまとったカリッカリのスナック状に。実に優れたお酒のアテだ。1,100円。
ソーセージを地元の名物であるシードル(りんごを発酵させた微発泡酒)で煮るフランス・バスク地方の郷土料理を下敷きにした一品。フライパンでソーセージに焼き目を付けてからシードルを入れ、シナモンやクローブなどのスパイスも一緒に煮ることでこの店ならではの味わいに。甘い香りとスパイスのほのかな刺激のコントラストが楽しい。1,100円。
肩ロースと緑ムング豆をココナッツウォーターで煮込んだ フランス・オーヴェルニュ地方の郷土料理「プティサレ・オ・ランティーユ(塩豚とレンズ豆の煮込み)」を竹上さん流にアレンジ。カシア(インドのシナモン)や八角などのスパイスを加え、さらに水ではなくココナッツウォーターで煮込むことでほのかに甘いニュアンスが。1,364円
鶏と羊のひき肉それぞれに、ローストパプリカ、玉ねぎ、イタリアンパセリ、ニンニクを練り込んで焼き、仕上げにブラックカルダモンのスモークで香りを付ける。アイスキャンデー型にしているのは、竹上さん曰く「ウケることを狙って(笑)」。煙の演出ともどもビジュアルインパクト大だから、作戦成功!?1,650円。
さて、それではいよいよ真打ち、ビリヤニに登場いただこう。竹上さんが手に持っているのが「ビリヤニ(サバ)」1,650円(昼は1,300円)。ひと目見ておなじみのビリヤニと異なるのは、タール(ステンレスの大皿)に直接ではなく、タールに載せたお皿に円錐形に盛ってある点だ。
手元にズームすると、ビリヤニが盛られたお皿の周りには副菜が少しずつ盛られている。セロリとにんじんのベトナム風、キュウリのライタ、レモンのチャトニー、赤玉ねぎのアチャール、くるみという布陣。
では、一体どうやって食べるのか?ここからはコマ送りでどうぞ。ビリヤニが乗ったお皿を手に持ったら、タールの上にためらわずにひっくり返す!すると、バスマティライスの上に発酵スパイスで煮込んだサバのマサラが出現し、香りが一気に立ち上るのだ。いやがうえにも、食欲を掻き立てられるというもの。ネタばらしになってしまって申し訳ないけれど、あらかじめ分かっていても、実際にやってみると驚きがあるはず。
竹上さんによると、サラセリーとはケララ州北部の地名で“美食の街”と呼ばれる場所。そこで出会ったビリヤニが、このスタイルだったそう。バスマティライスは、まず、ギーとフライドオニオンをつくる際に使った油で、ベイリーフやチリをテンパリング。そこに玉ねぎ、にんにく、しょうがを加え、さらに米を入れて炒め合わせブロードで炊いている。これを、お皿に敷いたマサラを覆うように円錐状に盛りつけているのだが、れっきとした理由が。厨房でマサラとライスを混ぜて盛って完成させるのではなく、お客さん自身がタールの上にライスとマサラを盛って広げることで、より香りをビビッドに楽しめるからなのだ。いわば、体験型ビリヤニである。
サラリーマンが行き交う神田から、近隣に暮らす人の多い白山へ移転して半年が経った。「もともとカレー屋さんが多いだけに、神田は“スパイスリテラシー”が高いんです。比較すると、白山はカレーやスパイス料理のお店が少ないので、ご近所の方はまだ様子見されている気が」。とはいえ、一番人気のビリヤニは早々に売り切れてしまう日も多く(夜のみ、席の予約時に取り置きが可能!)、着々と存在感を高めている。
移転前のGWには、師と仰ぐチェンナイの名店「トラウザーカーダイレストラン」を筆頭にインドで研修行脚を敢行。ますますカレー愛を強め、増やしたレパートリーも少しずつメニューに加えているが「自分としては、インド料理屋ではなく“カフェ”だと思っています」。え?たしかにコーヒーやデザートもあるけれど!そんな飄々とした竹上さんのキャラクターもまた、得がたい味わいだ。
文:小石原はるか 撮影:工藤睦子