
編集部が注目する、おいしくて居心地のいい店をご紹介する連載「いい店見つけた!」。第3回目は、品数も金額もクオリティも店主の心意気も、すべてに脱帽する中華の新星です。
八丁堀駅から徒歩3分ほどのビルの1階。店の前に立てかけられた「一生懸命営業中」と書かれた札は街なかでちょくちょく見かけるものだが、この店の“一生懸命”は伊達じゃない。今年1月にオープンするや「7,500円という価格で、ありえない内容、かつ信じられない数の料理が出てくる!」と、食いしん坊の間で話題騒然の店なのだ。
店主、鈴木智詞さんは客席わずか6席の狭小店に、中華コンロと、2つの一斗缶を使って自作した焼き物用の釜を設え、すべてをひとりで切り盛り。席につけば、小皿に少しずつ盛った料理をテンポよく出してくる。旬の野菜や新鮮な海鮮をふんだんに使い、味や香りにメリハリがある品々は、するりとお腹に収まっていく。またソムリエ資格も有していて、まかせればワインもピタリと合う1杯を選んでくれる。一体、どんな経歴の持ち主!?
聞けば、調理師学校時代に特別講師としてやってきた四川料理の名店、原宿「龍の子」の安川哲二さんの麻婆豆腐に感動し、中国料理の道に進むことを決意。約7年にわたって修業を積んだ。その後は「神田 雲林」、「月居 赤坂」のほか、広東料理店でも経験を重ね、海鮮料理、焼き物など幅広い技術を身に付けることに。
店を開くにあたっては、ひとりで切り盛りすることを想定して物件を決めた。そして、これまで前菜を担当することが多かった自身の経歴、またオペレーションを考えて鍋にかかりきりになる時間が長くならないようにと、思い切って種類豊富な前菜をコースの主軸に。価格を決めるときにイメージしたのは「自分の親が自腹で食べに来られる金額」。食べて飲んで、10,000円くらい。たくさん飲んでも15,000円くらいで収まるように。そんなふうに思い切った采配ができたのも、ワンオペだからこそだろう。
早朝豊洲市場へ仕入れに行き、帰ってきたら休む間もなくランチの支度と営業、並行してディナーの仕込み、そして営業。「1日18時間はここに立っていると思います」と事もなげに言えるほど、料理に、仕事に全精力を注いでいる。その圧倒的な熱量から生み出される料理の数々、とくとご覧あれ。
ふっくらとした九十九里の地ハマグリの下に、そら豆のペーストを入れた、ハマグリ出汁と鶏スープでつくった茶碗蒸し。
続いては「野菜の前菜」。季節の野菜を中華の食材や技法で仕上げた5品が小皿に盛られて登場する。目にも舌にも楽しい。
加賀野菜である肉厚な白いきゅうりは冬瓜に似た味わい。そこで冬瓜の淡い味わいとよく合う干し貝柱を合わせて冷菜にした。
レモングラスに似た「木姜油」の爽やかな香りが食欲を加速させる。
定番の一品。マッシュしたものと粗くつぶしたもの、食感が異なる2種類のじゃがいもに、雲南省産黒トリュフの芳香を添えて。
食材をカリッと炒める四川料理独特の調理法「干煸(ガンビエン)」で仕上げた「かぼちゃの四川風炒め」。芽菜(ヤーツァイ)の食感がアクセントに。
素揚げしたなすに、おなじみの油淋鶏(ユーリンチー)のたれを合わせた。甘酸っぱいたれの味がなすにジュワッと染み込んでいる。
手製の一斗缶釜で焼いたとは思えぬ仕上がり。傍らには、それぞれ違う風味が楽しいいちじくの甘酢漬け、トマトのあんず酒漬け、コリンキーのはちみつレモン風味、ベビーコーンのりんご酢漬けシナモン風味を添えて。彩りも鮮やか。
お次は「魚介類の前菜」。「月居 赤坂」にいた頃、料理長の船倉卓磨さんから、市場に足を運ぶことの大切さを教えてもらったという。その積み重ねからいい素材を仕入れることができるようになり、「旬の海鮮類×伝統的な調理法」という店の強みに繋がっている。
豪勢な取り合わせの一品。「毛ガニが安くなったタイミングでまとめて購入しました!」と、市場通いの甲斐あって出会った戦利品を活用。
香りよく仕上げた「鯖の燻製 ジャスミン茶風味」と、生姜のシャープな風味の効いたソースで味わう「ハモのジンジャーソース」の盛り合わせ。酒が進むコンビだ。
タイのハーブであるコブミカンの葉が使われている。清涼感ある柑橘系の香りが、新鮮なアジに実によく合う。
豊かな甘味を湛えたズワイガニを生のまま紹興酒漬けに。足の部分は折って、細い身も余すことなく味わいたい。
まるごと一尾の魚を使う香港の名物料理「清蒸魚(チンジョンユー)」のたれを添えている。少し甘みのある醤油ベースの味わい。白髪ねぎやわらび粉の春雨とともに。
とろりと濃厚な白子と、香港の漁師料理といわれる「避風塘(ベイフォントン)」でよく使うにんにく入り揚げパン粉の相性は上々。
選べるメインの1品目、この日は伊勢海老がオンメニュー。「宮保(ゴンパオ)」と呼ばれる四川特有の味付けに、柚子の香りを添えている。ちなみに、メインの選択肢は肉料理も豊富。
メインの2品目。エビとカニの中間に位置するといわれるアサヒガニは、味わいエビっぽい。陳建一さんが編み出したとされる卵入りのエビチリをイメージした仕立てに。
ここでようやく、締めの麺類&ご飯もののターン。日によって具材が変わり、この日はアワビの蒸し汁と肝をミキサーにかけて味のベースに。
鈴木さんが麻婆豆腐に取り掛かると、狭い店内に鼻孔をくすぐる香りが立ち込める。コースの定番であり、ランチタイムでも一番人気の麻婆豆腐は「麻」と「辣」のバランスが見事で、四川料理の名店出身であることを物語る味わいだ。
豆腐以外の具材は、豚ひき肉と葉ニンニクと長ネギ。唐辛子の香りときれいな色が出るよう韓国唐辛子を使った、自家製の麻婆豆腐専用辣油を使う。山椒は粉末ではなくオイルで。
「四川料理ではポピュラーな組み合わせです」と鈴木さん。芽菜は青菜の芽の醤油漬けで、担々麺の隠し味としても使われるものだ。
クリアであっさりとしたスープにプツンと歯切れ良い独特の食感がある香港の細麺、そしてぶつ切りの海老だけを包んだ食べごたえのあるワンタンがうれしい。
「料理と比べると簡単なものしかお出しできないんですが……」と言いつつ、デザートもきちんと用意。
コースの締めは常時3~4種類あり、「一口ずつ全部!」なんて注文もOKだし、「蓮の葉蒸しごはん」はお持ち帰りを勧めてくれるといういたれりつくせりぶり。それにしても……この品数! 多少変動はあるが最低でも18品は出すという。「おいしい料理を作りたい」、そして「お腹いっぱい食べてほしい」という鈴木さんの思いが溢れんばかりの店、ファンにならないはずがない。
文:小石原はるか 撮影:富貴塚悠太