
以前から行きたいと思いつつ、なかばあきらめていたとある名店を訪れた松尾さん。念願の一皿を味わった感想とは――。
兵庫県の丹波篠山市は、大阪から車で1時間余り、電車でもやはり小一時間はかかる、山に囲まれた街である。ここにあるカレー店「ルーとこめ」は、落語家の三代目桂歌之助さんがひとりで営業なさっている。彼は人間国宝(重要無形文化財保持者)かつ、東西を通じて落語界で唯一文化勲章を受章した三代目桂米朝師匠の孫弟子に当たる。彼はどういうわけか、この地でカレー店を営んでいるのだ。
営んでいる、と言っても落語の仕事で忙しくない日取りを見て、月に2日間から数日間、不定期に開店する、カレー好きにとってはなかなかに悩ましい営業形態なのである。私はそもそも行く機会がないだろうと諦めていたら、芝居の公演で大阪に半月以上滞在することになり、営業日が運良く舞台が夜公演のみの日に重なってくれた。これはもう行くしかないと、大阪在住のカレーマニア氏をそそのかし、車でうかがうことができたのだ。
入り口の外での記帳を済ませて、敷地奥の待合室のようになっている和室や、土間にあるストーブの前などでのんびりと待つ。地域の風景に合った、ゆったりとした雰囲気でしばらく過ごすと、なぜか優しい気持ちになっていくのが面白い。和室には、ステレオからミュージカル「レ・ミゼラブル」の歌と音楽が流れている。
ようやく順番が回ってきて、食堂側に移動した。この地にあった古民家をリノベーションしたようで、天井には梁が剥き出しになっていて、質感に風情が溢れている。お洒落なカフェのような店内で、調度品や小物などの配置、飾り付けが、「ファッショナブルな女子が行ったのでは」と思わせるフェミニンな雰囲気なのだが、さにあらず。そして憧れの薪ストーブもいい雰囲気で鎮座し、カレー欲をめらめらと掻き立てるのだ。
はたして、歌之助師匠によって可愛らしい盛り付けのプレートが運ばれてきた。ライスはエアーズロックのように中央に据えられ、周囲をカレーと副菜が囲んでいる。カトラリー入れに敷かれているのは、桂米朝師匠の姿が刷られた日本手ぬぐいだ。
キャロットラペはごま油とすりごまを和えてあり新鮮な風味。
紫キャベツのコールスローはマヨネーズと絡めていて懐かしい味だ。ちりめんじゃこと玉ねぎ、青唐辛子の炒め物は食感と辛味でいい刺激になる。クスクスは優しい香りで大量に食べたくなる味わい。
十分に時間をかけて味わい、気がつけば満腹になってた。サービスのホットチャイを飲みつつ、窓の外の景色を愛でて店を後にした。
店名「ルーとこめ」の名は、もちろんその物ずばりのネーミングではあるのだろうけれども、やはり米朝一門であることの思い入れからだろうか。しかしルーは使わず、スパイスの調合から独自に、丁寧に作っておられる。
勝手に、「米」の字を分解して「八十八」で、「ルート66」ばりに「ルート88」と記憶することにした。しかし次はいつ来られることやら。
文・撮影:松尾貴史