次に訪れたのは、能登半島の北西部に位置する石川県輪島市。日本海に面し、日本有数の水揚げ高を誇る漁業の町として知られる一方、内陸部には山々に囲まれた昔ながらの田園風景が広がり、ゆったりとのどかな里山の時間が流れている。輪島市街から15kmほど離れた山間部の三井町にある農泊「里山まるごとホテル」では、自然と共生する生き物の営み、土地の食の恵み、地域の人々との出会いに触れながら、文字通りまるごと里山を味わう農泊が楽しめる。
奥能登の空の玄関口、のと里山空港から北へ車を走らせて15分ほど。緑豊かな山間を抜ける短いドライブの後、目の前に開けたのは「日本むかし話」そのままの風景だった。一面の田んぼの向こうに原生林が広がり、木組みの古民家がぽつぽつと点在する眺め。風が吹くと稲穂の波がさやさやとたなびき、草いきれの青い香りが立ち上がる。
「里山まるごとホテル」は、ここ輪島市三井町の集落一帯を1つのホテルに見立てた滞在型の宿泊・飲食施設。空き家となった地域の古民家をレストランや宿泊施設にリノベーションし、訪れる人に“里山暮らし”を体験してもらうための農泊プロジェクトだ。
まずは、里山の入口に建つ古民家レストラン“茅葺庵”へ向かう。軒先で、代表の山本亮さんがニコニコと人懐こい笑顔で迎えてくれた。1kmほど歩いた新保地区の集落に、築150年の別の古民家を改修した一棟貸しの宿「中右衛門」があるという。太い木の梁や畳敷きの広間、座敷を囲む縁側など、昔ながらの民家の設えはそのまま生かし、水回り設備などをモダンに一新した快適な農家民宿だ。
「この茅葺庵がフロントで、宿に向かうまでの農道は廊下のイメージ。途中には田畑があり、250種類以上もの植物が自生する山林があり、地元の木材を使った農家の風景がある。文字どおり、里山の暮らしをまるごと感じていただける環境がここにあります」
山本さんと三井町の付き合いは、かれこれ16年に及ぶ。神奈川県出身、東京育ちの山本さんは、大学時代にゼミ合宿で初めてこの地を訪れ、自然と人が共生して織りなす里山の魅力に開眼した。卒業後、東京でのまちづくりのコンサルティング会社勤務を経て、2014年に家族と共にIターン移住。輪島市地域おこし協力隊の一員としてフィールドワークを重ね、農林水産省の農泊推進事業補助金やクラウドファンディングの支援金も活用しながら、「里山まるごとホテル」を立ち上げた。
「ここで出会ったじいちゃんが、『都会の人はお金がないと何もできないが、田舎の人間は自然との付き合いで得た知恵があるから暮らしていける。だから人にも優しくできるんだ』と話していたのが忘れられなくて。『活性化しよう』『盛り上げよう』の視点ではなく、昔から続く里山の生活の延長線上で、ここに暮らす人と旅行者が自然に交わり、一緒に楽しめる環境にできればいいのかなと考えています」
里山の暮らしを知るためのさまざまなアプローチがある中で、多くの人にとって心そそられるのが“食”をめぐる体験ではないだろうか。古民家の宿泊棟はキッチン設備を備え、夕食には自炊や庭でのバーベキュー、鍋セットや郷土料理のケータリングによる部屋食も選べるが、一度は体験しておきたいのが、メインレストラン茅葺庵で振る舞われる1組限定の“里山ディナー”だ。
日暮れ時、一面の田んぼを見晴らす縁側付きのお座敷で夕餉がスタート。夏はカエルの大合唱が天然のBGMだ。初夏のエンドウ豆や新玉ねぎ、地元で“水ぶき”と呼ぶ珍しい山菜や山椒の葉の小鉢を盛り合わせた前菜が運ばれ、山うどや近くの畑で収獲した地野菜をカリッと揚げた天ぷら、輪島の太刀魚、能登豚のみそ焼きなど、旬の地のものと地域伝統の発酵食をかけ合わせた料理が後に続く。
一品一品のサーブをしながら、料理の説明にも当たる“シェフ”は、能登で生まれ育った“やちばあ”こと谷内信子さん。前菜からデザートまで7~8品で構成するコース料理は、すべて谷内さんの知恵と体験が詰まった郷土料理の傑作でもある。
最後は囲炉裏端に席を移して、やちばあの握ってくれた能登コシヒカリの焼きおむすびに、手作りの“あごみそ”を塗って頬張る贅沢も。ユーモラスな響きの輪島弁で語られるおしゃべりが、また楽しい。初めて味わう“里山まるごとご飯”は、料理も人も流れる時間も、しみじみと味わい深かった。
文:堀越典子 撮影:赤澤昂宥