シネマとドラマのおいしい小噺
大盛り牛丼と、夢をみることについて|ドラマ『エルピス -希望、あるいは災い-』

大盛り牛丼と、夢をみることについて|ドラマ『エルピス -希望、あるいは災い-』

映画やドラマに登場する「あのメニュー」を深堀する連載。第23回は、昨シーズンに話題をさらった社会派ドラマから。最終話を観て、牛丼屋に駆け込んだ人も多いはず!

テレビ局を舞台に、アナウンサーの浅川恵那(長澤まさみ)と、若手ディレクターの岸本拓朗(眞栄田郷敦)は、連続殺人事件の冤罪疑惑解明に立ち向かう。見えない力に押しつぶされ絶望的になりながらも真実を追い求め、やがてそれが、自身の存在理由となっていく。

年齢も立場も違う二人だが、たびたび「食欲」がシンクロする。スキャンダルで表舞台を干された恵那は食欲がなくなり、口に入るのはかろうじて水だけ。組織の中で意に沿わぬことを飲み込み続け、身体が水以外を受けつけなくなってしまった。

やがて拓朗も事件解明にのめり込むうち、恵那と同じように食べ物を受けつけなくなる。お坊ちゃん育ちだった拓朗の頬はげっそりとやつれ、人が変わったように精悍な顔つきになっていく。

修行僧のような相貌に成り果てた拓朗が、ほとんど人のいない深夜のファミレスで、うつろな目つきで恵那の前に座っている。事件は袋小路に入り苦悩にさいなまれ、自分が空腹であるかどうかも気づかない。しかし恵那の話を聞いているうち、彼の食欲スイッチが作動した。彼女の投げた小石が彼の意識を覚醒させ、こんな言葉が口をついて出た。
「雑炊、食っていいっすか」

運ばれてきた雑炊を待ちきれず、いきなり土鍋から取り皿も使わず掬って食べた。前のめりになり、ご飯を一粒でも早く多く、体内に入れようとしている。やつれた顏に生気が戻り、じわりとエネルギーが満ちてくる。

そして、牛丼店での印象的なラストシーン。タイルの床に、スチールのテーブルと椅子だけの簡素な食堂。昼夜問わず激務にさらされるテレビマン御用達の店なのだろう。壁に貼られたメニューは、牛丼、みそ汁、玉子、そして瓶ビールだけ。清々しいほどシンプルな街の牛丼屋だ。大仕事を成し遂げた達成感はあるものの、恵那は疲労困憊しテーブルで眠りこけそうになっている。しかし注文を聞かれると、弾かれたように目を開け「大盛り」と答えた。

二人の前に大盛りの牛丼が置かれた。レトロな瀬戸物の丼に牛肉があふれんばかりに盛られている。丼全体から、できたての湯気が上がる。恵那は牛肉の山に箸をざくっと突っ込むと、たっぷりのせて持ち上げ、大口をあけた。唇にご飯粒がついても気にしない。早く食べないとどうにかなってしまうみたいに夢中で食べ、挙句は頬張りすぎて少しむせてしまう。しかし意に介さず二口目に突入し、さらに大きな口をあけ頬を膨らませ一所懸命に咀嚼する。

三口目を食べる頃には、恵那の顔つきがすっかり変わっている。朦朧としてうつろだった瞳に輝きが宿る。

「あぁ、なんか、なんとかなる気がしてきた」と、恵那。
「なりますよ」と、拓朗。
「なるよね」
「なります」
牛肉とご飯を口に運び続けながら、繰り返し応酬する二人。

こんなにおいしそうに、牛丼を食べるコンビはなかなかいない。恋人でもない、親友でもない、ただの先輩と後輩。だが本気で信じられる人間に出会い、夢を共有できると思う相手とともに、ご飯を食べる喜びにあふれている。

二人を結びつけているのは食べるという行為であり、互いの旺盛な食欲は生きていく意志だ。牛丼をむさぼるように食べながら、そのことを確認し合う。エンディングの音楽とともに、二人が食べ続けるシーンをずっと見ていたかった。

おいしい余談~著者より~
牛丼店で拓朗に紅しょうがをすすめられた恵那は、丼にたっぷり載せて食べます。「なくてもいい」ものとして、テレビ番組と重ね合わせられていた不遇な紅しょうが。それが最後に牛丼のてっぺんで燦然と輝いていて、伏線回収の見事さにうなってしまうのでした。

文:汲田亜紀子 イラスト:フジマツミキ

汲田 亜紀子

汲田 亜紀子 (マーケティング・プランナー)

生活者リサーチとプランニングが専門で、得意分野は“食”と“映像・メディア”。「おいしい」シズルを表現する、言葉と映像の研究をライフワークにしています。好きなものは映画館とカキフライ。