世界一周旅行中に、同じく自転車旅をしているとある人に何度も遭遇し、しばらく一緒に走ったという、石田ゆうすけさん。基本一人を好む旅人が多い中、その人物が一緒に行動したがった理由とは――。
南米チリの首都サンチアゴは一見ヨーロッパの都市のような瀟洒な町だが、僕が泊まった安宿は古くてみすぼらしく、幽霊屋敷のように薄暗かった。おまけに連れ込み宿だ。
ロビーのイスに座っていると、いわくありげなカップルが次から次に目の前を過ぎていく。オールドミセスに若い燕、はたまた薄毛オヤジにその娘のような少女、エトセトラ。下手な観光地を見るよりよっぽどおもしろい。
暇に飽かせて眺めていると、1人の子供がフロントの前に立った。傷んだ長い髪を束ね、着古した汗臭そうな短パンとTシャツを身に着けている。チリにも物乞いの子供がいるのか、と思って見ていると、その子が振り返った。
「ああああっ!」
2人同時に叫んだ。Kではないか。
同じく自転車世界一周という旅をしている同い年の男だ。1年半ほど前にカナダで会い、2週間ほど一緒に走った。
その2ヵ月後、アメリカ西部でばったり会って1週間を共にし、さらにその4ヵ月後、今度はメキシコで会って3週間ペアランした。
そのメキシコ以来8ヵ月ぶりの再会だ。どうしてこうも示し合わせたように同じ日に同じ宿にやってくるんだろう。旅をすると縁が糸のようにつながっているのが見えてきて、なんとも愉快な気持ちになる(ちなみに彼とはその後も世界各地で再会を続け、7年半の旅を通して都合7回会った。今のようにSNSで連絡を取り合うような時代ではなかったから、7回のうちのほとんどが偶然の邂逅だ)。
僕たちは同じ部屋に泊まり、積もり積もった話をした。
「実はこんなスゴイことがあったんや」と、僕はペルーの砂漠で集団強盗に拳銃を突きつけられ、ボコボコに殴られ蹴られ、身ぐるみはがされた事件をもったいぶって話した。するとKも「いやいや、実は俺だって」と、ベネズエラの山中で強盗から猟銃で撃たれ、弾のひとつが肩をかすめて肉が飛び散ったという話をとてもうれしそうに語り、その傷跡まで見せた。
「やるな......」
「お前こそ......」
どちらがいかに大変な旅をしてきたかという議論は明け方まで続いたのだった。
数日後、僕たちはサンチアゴを出発した。再びKとの2人旅だ。
彼は僕と一緒に走ることをいつも当然のように考えている風だった。そして僕は毎回それを少し不思議に思った。自転車旅行者はたいてい1人で走るのを好む。それぞれ走るスピードも違うし、そもそも自分の足で進む旅を選んだのは自由を求めたからだ。
それにKはどう見ても集団行動が苦手なタイプだった。1人で我が道を行くイメージが強い。ただ、人間的にかわいいところがあって妙に人懐っこく、地図を広げながら「どの道にしようか」とニコニコ話しかけてくるときの顔はやっぱり少年のようだった。
2人で走ると、僕が料理当番になった。最初にカナダで会ったとき、Kから毎日インスタントラーメンを食べているという信じられない話を聞いたからだった。料理に一切興味がなく、苦手意識があるらしい。
一方、食べるほうは好きみたいで、何をつくってもKは「あは、旨いね、旨いね」と満面の笑みを浮かべ、旺盛に食べてくれるので、つくりがいがあった。もともと僕は料理が好きで、人が喜んで食べるのを見るのも好きなので、理にかなった役割分担ではあった。
その約2ヵ月後、アメリカ西部でばったり再会し、高揚した僕が「ようし、じゃあまたなんか旨いもんつくるわ」と言ったとき、Kは「ふふ、俺も今ではちゃんと料理してるんだよね」と不敵な笑みを浮かべた。旅は人を育てるというのはほんとだったんだ、と思わず胸を打たれた。
その夜、互いにつくった料理を食べながら、Kは「ちょっと味見」と僕の肉じゃがに箸をのばしてきた。彼は神妙な顔で口をもぐもぐ動かしたあと、しみじみ言った。
「やっぱり味が付いていると旨いなあ」
「は?」
彼の料理は塩胡椒も入っておらず、本当に野菜を油で炒めただけの「野菜炒め」だった。それのどこが"ちゃんとした料理"じゃ......。
翌日から再び僕が料理当番になった。
4回目のペアランの今回は、走行後、テントを張り終えると、僕は言われるまでもなく2人分の料理をつくり始めた。できるまでのあいだKは母親の料理を待つ子供のように大人しく座り、箸を持って微笑んでいた。
南部の湖水地方に入ると、森の中から川や湖が次々に現れた。ルアーを投げるとおもしろいようにニジマスが釣れる。
森にテントを張り、釣った魚を3枚におろして川の流水で洗い、カレー粉と小麦粉をまぶして油で揚げた。Kは「あは、旨いね、旨いね」とほくほく顔でニジマスのから揚げを食べている。
......君がなんで僕とペアランをしたがるのか、なんとなくわかってきたよ。
文・写真:石田ゆうすけ