白金高輪には、松尾貴史さんがときたま無性に食べたくなるカレーを出す店があります。爽快な辛味と食後感の良さが魅力のその店には、ある鉄の掟があるようで――。
最初に訪れた時は、1995年あたりだったように思う。かれこれ四半世紀は、ごくたまに、突然思い立ったように、ここの辛くてサラサラのカレーで浄化したくなる。サラサラではあっても、シャパシャパではない。そして、個人的には懐かしさも感じる不思議なカレーなのだ。
外の看板には、「水はいっさいお出ししません」と、強めの語調で記されている。つまり、辛口のカレーを、水を飲まずに食べるということだ。私は通常、辛くないカレーでも水はコップ3杯は飲むので、ある種の覚悟をもって皿に向き合うことになる。いや、それほど大袈裟なことではないのだが。
風味が独特で、ひょっとすると好みが大きく分かれる味かもしれないが、私はすこぶる馴染める旨さだ。サラサラのルーに、固形物は残っていない。しかし、スパイスとスープだけでできているかというとそうではない。肉や野菜は、このグレイビーの中に溶け込み、そして裏漉しされている。だから固形物がないだけで、液体の質感とするとややトロトロの、ポタージュスープのような感触だ。
一匙口に運べば、強めの辛さが広がるけれども、滋味と香味と旨味を同時に感じる。ニンニクを多めに使っているそうだが、ニンニクのにおいがほとんどない。まったく感じない人も多いのではないか。その技法については秘伝だと思われるが、創業者が幼少の頃のある体験によって着想を得たものだという。液状だからというだけではなく、油を極力使わない製法で調整されている。食後感の良さはそこから来るものだろう。
店長のお父上が創業者で、昭和50年代に名古屋で開業し、その後東京のこの地に開業したのが1988年8月、昭和時代の末期である。私は平成に入ってから通い始めたが、すでに何処か「老舗」然とした雰囲気があった。
水を出さない理由は、カレーを食べてすぐに冷たい液体を流し込むと、体に良い効果が半減する憂いがあるとのこと。今時の世の中とは真反対のことかもしれないが、食事を水で流し込むようにしてはいけないと教えられた世代だということもあるのだろうか。確かに、せっかく温まった効果はある程度持続させたほうがいいのかもしれない。現店長が、頑固な美学を持つ創始者の意志を固く守り続けている。
昔は2杯目をおかわりしていたなぁ。
文・撮影:松尾貴史