世界の○○~記憶に残る異国の一皿~
底知れない魅力が詰まった「刀削麺」|世界のアジア麺⑥

底知れない魅力が詰まった「刀削麺」|世界のアジア麺⑥

2022年7月号の特集テーマは「アジア麺」です。旅行作家の石田ゆうすけさんは、中国を旅している時に、本場の刀削麺を食べ歩いたといいます。その中でも山西省で忘れられない一杯と出会うことに――。

美しすぎる看板娘

もう何十年も前、学生の頃だったか、東海林さだおさんのエッセイを読んで「刀削麺」に興味を覚えた。
〈うどん、そうめん、きしめん、それぞれのいいところを一度に味わってみたい。そこでその3つの麺をひとつの鍋に入れて調理し、食べてみたのだが、どうしてもうどんが勝ってしまい、思ったような食感は得られなかった。ところが後日、刀削麺に出会い、食べてみたところ、思わず膝を打った。自分の求めていた麺はまさしくこれだ――〉

手元にその本がないので、どこまで正確かちょっと自信がないのだけれど、まあだいたいこんな話だったと思う。
今では日本でも刀削麺を出す店が増え、それほど珍しいものではなくなったが、僕が最初に食べたのは中国を自転車で旅しているときだった。

刀削麺はその名のとおり、包丁で生地を削ってつくる麺だ。生地を胸のあたりに構えて片手で持ち、もう一方の手に持った専用の包丁をうしろから前へ"かんながけ"をするようにシャッ、シャッ、と動かす。生地から細長い片が次々に飛び出し、まるで生きているかのようにクネクネと宙を舞って、大鍋の湯の中に落ちていく。まさに熟練の技だ。

こうしてできた麺は断面が菱形、もしくは三角形になっている。これが面白い食感を生む。肉厚のところは、表面はねっとり、中心部はもっちり、と快いコシがある。一方、麺の端のほうは薄い皮状になっており、ワンタンのようにビラビラしている。ぬるっ、もちっ、ビラビラ、と一本の麺で多様な食感を楽しめ、東海林氏の筆致の的確さに感心したものだった。

中国を旅していて面白いのは、地域ごとに味が変わることだ。麺の変化はとりわけ楽しい。各地に固有の麺がある。
刀削麺は山西省の麺だが、地域の垣根を越えて中国全土に広まった二大人気麺のひとつであり(もうひとつは「蘭州牛肉麺」だ)、「山西刀削麺」の看板を掲げた店は各地で目に入る。
僕が最初に刀削麺に出会ったのも山西省から遠く離れた中国南部の町だった。そのあとシルクロード沿いの町でも何度か食べた。

中国を走り始めて約3ヵ月、ようやく山西省に入り、期待に胸を膨らませながら本場の刀削麺を頼んだのだが、運ばれてきたものを見て首を捻った。
これまで食べていた刀削麺は形がいびつで、太さもばらばらなうえに、ゴボウのささがきのように短いものも多かった。麺づくりの工程からそうなるのも仕方ないのだろう。むしろそれがこの麺の"味"なのだと解釈していた。

ところが山西省のこの店で出てきた麺は、稲庭うどんを連想するくらい細く、長く、機械で切ったように均一だったのだ。
オーダーを間違えたな、と思った。これは刀削麺じゃない。せっかく記念すべき山西省一発目の麺だったのに。
ところがひと口すすった瞬間、えっ?と意表を衝かれ、すかさず麺の断面を見て目を疑った。菱形だ。これが刀削麺?
信じられない思いでなおも食べてみる。細くてしなやかだけど、ぬるっ、もちっ、ビラビラのあの食感がちゃんとあるのだ。やっぱり本場は違う、と思わず唸ってしまった。

その数日後、山西省の片田舎で、朝、村に着き、食堂に入った。中学生ぐらいの少女が料理を運んでいる。黒く汚れた服を着ていた。田舎の村では調理に石炭を使うところが多いからか、食堂で働く人々の服はだいたい黒ずんでいる。

席に座り、注文をとりにきた少女を見上げた瞬間、体に電流が走った。現実離れした大きな切れ長の目に、口角がキュッと上がって始終微笑んだ形の、サクランボのようなぷっくりした唇。
えっ、なんで?と僕はこの時、本当に漫画のように固まってしまった。なんでこんな異次元的に可愛い子がこんな田舎の、と言ったら失礼だけど、でもほんとになんでこんな田舎の汚い食堂で薄汚れた服を着て働いているの?なんで?なんで?と考えているうちに頭のネジが外れて小爆発を起こし、突如こんな妄想に憑りつかれた。
「彼女を日本に連れて帰って、アイドルとしてデビューさせよう!」
いま振り返ってもあのときの思考や熱量が不思議になるのだが、しかし魔性の女に狂わされる男、というのはああいうものなのかもしれない。

そんな僕の思いを知るよしもなく、彼女は注文を待っていた。僕は上ずった声で言った。
「イ、イーガー、ダオシャオミエン(刀削麺ひとつ)......」
「ドゥエ(はい)」
彼女は厨房に戻っていった。
一応断っておくが、僕に少女趣味はない。どちらかというと年上の女性が好みだが、しかし付き合うのはなぜかいつも年下で......という話はどうでもいい。間もなく彼女が自身のオーラでまわりの景色をもぼんやりさせながら料理を持ってきた。僕は阿呆のようにポカンと見とれている。彼女は丼をテーブルに置くと、微笑を浮かべ、厨房に戻っていった。

その刀削麺も秀麗な出来栄えで、細いうどんに見えるのだが、口に入れると例の愉快な食感が広がった。場末感たっぷりのこんな田舎の店にも腕のいい職人がいるらしい。やはり麺天国、山西省は違う。
その麺をすすりながら、僕は静かに自分を奮い立たせていた。彼女を日本に連れて帰るのはさすがに叶わぬとしても、せめて写真だけは撮って残したい。でないとあとできっと後悔する。もう恥も外聞もない。行け、俺――。

食べ終えると、意を決して立ち上がり、カメラを持って厨房のほうにそろそろと歩いていった。厨房の前でひと呼吸置き、ままよ、と中に入った瞬間、白い光に包まれた。
「.........」
僕はカメラを持ったまま再び固まっていた。霧の中にたたずむ寺でも見るような荘重な気分で、目の前の光景を眺めていた。脈々と受け継がれてきた文化が、後光を浴びながら浮かんでいるのだった。
蒸気と朝の光があふれる厨房の中で、少女は中学生とは思えない手つきで包丁をシャッ、シャッ、と前後に動かし、生地を削っていた。指先からは細長い白い片が次々に生まれ、クネクネと宙で踊りながら、湯の煮えたつ鍋に吸い込まれていた。

文:石田ゆうすけ 写真:島田義弘

石田 ゆうすけ

石田 ゆうすけ (旅行作家&エッセイスト)

赤ちゃんパンダが2年に一度生まれている南紀白浜出身。羊肉とワインと鰯とあんみつと麺全般が好き。著書の自転車世界一周紀行『行かずに死ねるか!』(幻冬舎文庫)は国内外で25万部超え。ほかに世界の食べ物エッセイ『洗面器でヤギごはん』(幻冬舎文庫)など。