旅行作家の石田ゆうすけさんは、とある国で「まるで京料理ではないか」と感じる料理に出会ったといいます。最初は薄味という印象を抱くも、食べ進めるごとに素材の味を生かすための味付けだと理解する。そんな繊細な料理と出会った地とは――。
世界中でローカルフードを食べてきた僕が、食の雑誌dancyuの特集に沿って、海外でのエピソードを綴る、というこの連載、今月のお題は「京都」だ。
って無理だろそれは!
毎年特集される「日本酒」以上に厳しいではないか。しかし、連載開始から2年あまり、これまで記事を飛ばしたことはないのだ。なので今回も強引に書いてみようと思う。無理があるだろ!という苦情が来ても一切コメントはしない(最近話題になったプロ野球の審判の言葉から)。
旅行中、現地の料理を食べ、まるで京料理だな、と思った国がひとつある。台湾だ(一切コメントはしない)。
同国を初めて訪れたとき、到着早々夜市に出かけ、通りに並ぶ食べ物の選択肢の多さに目がくらみつつ、ワンタンメンをチョイスし、食べてみると、あれ?と首を傾げた。
「味がないがな......」
いや、あるにはあるが、ずいぶん薄い。
次いで焼きビーフンも食べてみたが、やはり味が薄い。こんなものか、とかすかに興の醒める思いがした。グルメ天国と聞いて来ただけに、なんとも物足りない感じがしたのだ。
二日目、田舎町でぜんざいを食べると、今度は興醒めというよりは衝撃に近いものを覚えた。ぜんざいなのに甘くないのだ。煮た小豆をお湯で薄めただけといった感じで、味のない味噌汁を飲んだような気分だった。
ところがもう一度汁を飲んでみると、ほんのり甘味を感じた。まったく砂糖を入れていないわけじゃないらしい。さらに食べ進めると、小豆のほくほくした甘さが浮かび上がってきた。調味料をぎりぎりまで抑え、素材の旨味を最大限引き出している。その加減が絶妙だと感じ始める頃には、逆に日本のぜんざいやあんこはなんであんなに甘くするんだろうと疑問に思えてきた。あれだと小豆の旨さが消えてしまうじゃないか――基準が置き換わった。
最初、台湾の味が物足りないと感じたのは、日本の味が基準になっていたからだ。日本の大衆料理の塩分は、世界から見ればかなり濃いめだと感じる。とくに東京や関東の料理は、世界の料理を地域ごとに分けて塩分の平均値を出せば、相当上位にいくんじゃないだろうか。愛好家たちが行列をつくるマニアックな店のラーメンなんかは、一食分の塩分量としては世界でもトップクラスだろう。
そんな東京から台湾に飛んだせいか、最初はどの料理も淡すぎるように感じたのだが、その味に一旦慣れると、毎回の食事が非常に心地よくなった。もともと僕は関西出身だし、学生時代の4年間を京都で過ごしたせいもあってか、薄味に安堵のようなものを覚えるのだ。
そうしてあるとき、海沿いの町でハマグリのスープを飲んだら、これはまさに京料理やあらしまへんか、と思ったのだった。白湯のように透明で、あるかないかのかすかな塩味、そうしてじわじわと現れるハマグリの旨味。なんて透き通ったきれいな味だろう。繊細さの極致、といったその旨さに触れ、これが磨きに磨きを重ねた、料理の究極形ではないか、などと考えていたとき、ふいに、京都に行くたびに寄る店の「グジの蕪蒸し」が頭に浮かんだのである。
文・写真:石田ゆうすけ