世界の○○~記憶に残る異国の一皿~
気付けば病みつきになっていたトッポギ|世界の韓国料理④

気付けば病みつきになっていたトッポギ|世界の韓国料理④

2022年4月号の特集テーマは「韓国日常料理」です。旅行作家の石田ゆうすけさんは、世界一周旅行の最後、日本にわたるために釜山に訪れました。そこで食べた、旅を締めくくる味とは――。

短くも濃い滞在

7年以上に及んだ自転車世界一周旅行の最後の国は韓国だった。北の仁川港からソウルを経て南の釜山港まで約1週間かけて走った。その最終日のことだ。
引き締まるような思いで早朝に起きて出発し、冬枯れした山を越え、小さな町に着いた。朝の早い時間から1軒の店が開き、餅系の料理を並べて売っている。栗おこわをもらうとトレイの底がまだ温かかった。

立ったまま食べようとすると、店のおばさんが「中に入って食べなさい」と笑顔で手招きしている。震えるほど寒かったのでお言葉に甘え、出されたイスに座った。そういえば韓国に入った初日からホカ弁屋さんでも同じ待遇を受けたっけ。
栗おこわにはレーズンや松の実が入っていて、ゴマ油が香り、しっかりした甘みがあった。韓国は味がはっきりしている。ストレートに旨い。
「マシソヨ(おいしい)!」
率直な思いを口にすると、おばさんはニコニコ笑いながら餅のお菓子をくれた。いやそんなつもりじゃ、と慌てたが、彼女は笑うばかりだ。それじゃせっかくなので、とありがたく頂いた。中に白あんのようなものが入っている。初めて食べる味だが、なんだか懐かしい。僕は再び笑顔で「マシソヨ!」と言った。おばさんはまた笑った。
ふいに、旅はまだ続くんじゃないか、と思った。明日7年ぶりに日本に着くということに、どうも現実感を抱けなかった。

昼過ぎ、釜山の手前でスーパーに立ち寄り、菓子パンを買った。
外のベンチに座って食べていると、おばさんが走ってやってきた。さっきのスーパーのレジのおばさんだ。彼女は僕の手に熱い缶コーヒーを持たせた。えっ?と驚いて相手を見返すと、彼女はにっこりと笑いかけ、走ってスーパーに戻っていった。ちょっとあっけにとられてしまった。個人商店の店主からならわかるが、スーパーの店員から売り物をもらうなんて、この旅を通しても初めてじゃないだろうか。

考えてみると、韓国では見事に毎日、何かしらの厚意を人々から受けた。大荷物を積んだ自転車で走っている僕を見て、彼らは親しげに、あるいはいたわるように何かしてくれるのだ。その親切に甘えっぱなしだった自分自身には忸怩たるものがあるけれど、これほど情の厚さを感じ、温かい気持ちになる国も珍しく、訪問国が87ヵ国に及んだこの旅の最後がこの国で本当によかったと心から思えた。
コーヒーを飲み終えるとスーパーに戻り、おばさんに改めて礼を言った。おばさんは女子高生のように陽気に笑って片手を上げた。

釜山に着き、フェリーターミナルに行って、この夜に出る下関行きのチケットを買った。二等で7500円と思いのほか安い。
出発までに時間があったので、港の近くの下町に入っていく。露店がひしめき、人でごった返し、通り全体が市場のようになっていた。キムチや生肉のにおいが立ち込めている。ここ釜山は海外で日本に最も近い都市のひとつだが、韓国の中でもとりわけディープなアジアが残っている街じゃないだろうか。
心地いい喧噪を肌に感じながら、自転車を押して歩いていると、街に抱かれているような酩酊した気分になり、ああ旅だな、と思った。

一軒の店の前の道に自転車を置いて鍵をし、店の人に「ときどき自転車を見ておいて」とジェスチャーで頼むと、店の人は笑顔で「OK、OK」と言った。店の人も仕事があるからずっと見てくれるわけもなく、自転車につけている荷物を盗るのは造作のないことだったが、しかしそんな不安を僕は少しも抱えなかった。自分がすっかりこの国になじんでいるように思えた。

身軽になって雑踏の中を歩いた。食べ物の屋台が並ぶエリアに入り、どれで小腹を埋めようかと端から端まで見たあと、一軒の屋台に座ってトッポギを頂いた。弾力のある棒状の餅と甘辛いコチュジャンのハーモニーがたまらない。旨いなあ、これは病みつきになるなあ、そう思いながら夢中で食べていると、あれ?と変な気持ちになった。そういえば1週間前にソウルで初めてこのトッポギを食べたときは、餅とコチュジャンの組み合わせに首を傾げ、奇妙な味だなと思ったんじゃなかったっけ。今はなんの違和感もなく、しっくりくる。砂糖醤油をつけた餅を食べているみたいに。
韓国は短い滞在だったけれど、爪の先ぐらいはこの国の空気に同化できたのかもしれない。くすぐったいような気持ちで、そんなことを考えていたのだった。

文・写真:石田ゆうすけ

石田 ゆうすけ

石田 ゆうすけ (旅行作家&エッセイスト)

赤ちゃんパンダが2年に一度生まれている南紀白浜出身。羊肉とワインと鰯とあんみつと麺全般が好き。著書の自転車世界一周紀行『行かずに死ねるか!』(幻冬舎文庫)は国内外で25万部超え。ほかに世界の食べ物エッセイ『洗面器でヤギごはん』(幻冬舎文庫)など。