伝統と革新~蕎麦を紡ぐ人々~
「藪蕎麦宮本」の仕事 冬の蕎麦と蕎麦がきの白眉

「藪蕎麦宮本」の仕事 冬の蕎麦と蕎麦がきの白眉

静岡県島田市にある「藪蕎麦宮本」。ここを訪ねたらぜひ食べてほしいのが季節限定の蕎麦だ。冬に登場するのは“おかめそば”“かも南蛮”“かもざる”の三品。端正なこれらの蕎麦にも主人、宮本晨一郎さんの美学が注がれている。加えて、今回は食感の異なる蕎麦がき2種も紹介。遊び心を織り込んだ老舗の味に心酔したい。

おかめそばは彩り艶やかなべっぴんさん

和綴じの品書きに並ぶのは“ざるそば”“手挽きそば”“天ぷらそば”など魅惑の品々。東京から車で2時間半かけてやってきたのだから、あれも食べたいこれも食べたいと食欲がせめぎ合う。その葛藤に拍車をかけるのが、鴨居に貼られた季節限定の蕎麦だ。「味わいで四季を感じてほしい」と始まった蕎麦の風物詩。これがまた魅力的で頼まずにはいられない。

冬限定の蕎麦は三品。“おかめそば”“かも南蛮”“かもざる”である。

内装
鴨居に貼られた品書きの下には、愛らしいおかめのお面も。

おかめ蕎麦は名前の通り、かまぼこなどの具材で愛嬌のあるおかめの顔を模した江戸前伝統の種物だ。誕生したのは幕末の頃。江戸・下谷七軒町にあった蕎麦屋「太田庵」で考案されたと伝えられている。この蕎麦屋では屋号を「おかめ太田庵」に変えるほど大ヒット。やがて市中の蕎麦屋に広まったようだ。

『蕎麦の事典』(著・新島繁、講談社学術文庫)によると、本家のおかめは昆布で結んだリボン状の島田湯葉を髪に見立て、鼻は松茸の薄切り、頬はかまぼこで表現。当初は11月の松茸の時季に売る蕎麦だったという。
時代は進み現代のおかめは具材も表情も各店各様。一年中品書きに載せる店も少なくない。

宮本さんのもとでは寒くなり始める11月から2月いっぱいまでおかめ蕎麦を出している。
「おかめはお多福とも呼ばれて縁起がいいじゃん。年末年始に出したいよね。修業先(池の端藪蕎麦)のは地味だったけど、うちのおかめはかわいいよ」

そう言って運んできたのは、なるほど、くっきりとした顔立ちのべっぴんさん。かまぼこは髪、湯葉は口、甘辛く煮た椎茸は頰、そしてすーっと通った鼻筋は玉子焼きと具材も華やかだ。

そば
おかめそば2,500円。青味は菜の花。冬の蕎麦だが、春を予感させる演出が心憎い。
箸置き
箸置きのおかめも愛嬌をふりまく。

長女のひろみさんによれば、冬の蕎麦としておかめを始めたのは十数年前。京都の割烹で食べた玉子焼きがきっかけだったという。
「そのお店では甘い玉子焼きをだしに浸して出していて、『こうやって食べるとやっぱりおいしいね』というところからおかめを出すことにしたんです。それまでも余った材料で賄いにつくってくれたことはあったのですが、店で出すとなったら徹底しないと気が済まないのがお父さんの性分。玉子焼きは一から考え直し、椎茸を甘辛く煮て、湯葉は京都から取り寄せて、と今のおかめが出来上がりました」

見た目だけでなく味も麗しいのがこの店のおかめだ。まろやかなかけ汁に浸った玉子焼きは上品な甘味がしっとりとほどけ出る。甘辛く煮付けた肉厚の椎茸もかけ汁によく合い、かまぼこ、湯葉、青味の菜の花もたおやかな味わい。これらの具をつまみに一杯呑むのもオツだろう。

鴨の蕎麦は味も食べ応えも圧巻

季節の蕎麦では11月から3月までの“かも南蛮”も食べ逃せない。毎年、到来を心待ちにしている常連客も多い逸品だ。

そもそも鴨南蛮はモダンな蕎麦というイメージがあるが、実は歴史は古く、誕生したのは江戸中期。文化8(1811)年に刊行された「四十八癖」という滑稽本には「鴨南蛮の二つも喰つて」という記述がある。また、文政13(1830)年に発行された「嬉遊笑覧」という書物の中にも「又葱を入るゝを南蛮と云ひ、鴨を加へてかもなんばんと呼ぶ」とあり、ルーツに関しては「馬喰町橋づめの笹屋など始めなり」と書かれている。

元祖の鴨南蛮がどのようなものだったかは定かではないが、今では江戸前の名物種物に数えられるほど人気だ。

何を隠そう私も鴨南蛮は大好物。さまざまな店で注文しているが、初めてこの店で食べたときには鳥肌が立つほど感動したことを覚えている。
まず、目を奪われたのは鴨のボリュームだ。厚切りの鴨肉がなんと5切れも。鴨好きには堪らない贅沢な仕様なのである。
さらにときめいたのは美しい出で立ちだ。鴨肉は淡くロゼ色に輝き、寄り添うねぎは雪のような白さ。それらを琥珀色の澄んだかけ汁が包み込み、しばし見惚れてしまったほどだ。

口にすれば、さらに陶然。鴨肉は香ばしさと柔らかさを兼備して、噛んだところから澄んだ旨味が迸る。細打ちの二八蕎麦は濃厚な鴨肉に負けない存在感を放ちながら、脂が溶け出た汁としなやかに融合していく。器のなかのすべてが絶妙なバランスで結ばれていて、毎度、一心不乱に食べ切ってしまう。

そば
かも南蛮2,900円。ほんのりロゼ色の鴨、純白のねぎ、琥珀色のかけ汁の三つ巴が美しい。柚子胡椒で爽やかな辛味を添えても美味。

この鴨南蛮に使うのは埼玉の生産者から取り寄せる合鴨肉の抱き身。抱き身とは脂の層がある胸肉のことだ。
「真鴨も使ったことはあるよ。でも、硬くて食べにくいからね。今の合鴨が一番いい。一年中使えるけど、脂が乗って旨いのはやっぱり冬だよね」
と宮本さん。どんなに人気でも、おいしい時季にしか出したくないのだという。

仕立て方も独特だ。鴨肉は生のまま、もしくは表面を焼いてからかけ汁で煮る店が多いが、この店では「硬くなるから」と煮ることはせず、焼くのみ。器のなかでかけ汁と合わせて、香ばしい脂をじんわり汁に浸透させていく。
鴨の脂で炒めるねぎも、あえて焦げ目をつけないのが流儀だ。盛り付けたときの美しさとともに、かけ汁を濁らせないためでもある。宮本さんの美学がこの鴨南蛮でも徹底して貫かれているのだ。

そんな鴨南蛮は父娘の連携プレーが生み出す一品でもある。鴨のローストはひろみさんが担当。
「鴨の脂で皮目をカリッと焼いて、身の方は余熱でレアに火を入れるのがコツ。焼き方はフレンチの料理人である友人に教えてもらいました」

注文が入るとひろみさんが鴨を焼き始め、「いいよ〜」の掛け声で宮本さんが蕎麦を茹でる。その横でかけ汁を温めるのは次女の晶代さん、という具合だ。

この連携プレーは鴨ざるでも発揮されている。鴨南蛮が開店以来、40年のロングセラーなのに対して、鴨ざるは比較的新しいメニューだ。といっても、出し始めておそらく15年前後は経っているだろう。

熱々の汁と共演するのはキリッと冷たいざるそば。いわゆる“鴨せいろ”だが、焼いた鴨肉は汁に入れずに別皿で出すのが珍しい。食べるときは1枚ずつ汁に入れ、蕎麦を絡めながら頬張る。これなら最後の1切れまで柔らかいまま。鴨肉をアテに一献傾けつつ蕎麦を手繰るという楽しみ方もできて一挙両得、いや一挙三得だ。

そば
かもざる3,100円。熱々のざる汁に焼いた鴨肉とねぎが別皿で添えられる。蕎麦は喉越しがよく甘味も豊かな江戸前の二八蕎麦。
そば
鴨ざるは蕎麦のコシと分厚い鴨肉の食べ応えが満喫できる佳品。

この鴨ざるが楽しいのは、鴨肉を入れる度に汁の旨味が深くなっていくこと。食べ進むほどに汁が“育っていく”のだ。
「食べきったら蕎麦湯を注いで黒七味をぱらっと振ると最高ですよ」
というひろみさんの言葉に従い試してみれば、く~っと声が漏れるほどの旨さ。黒七味の香味を添えた、極上の和のコンソメスープとでも言おうか。まろやかなざる汁に鴨の野趣が加わって、旨味の球体がさらに大きく膨らんでいる。

つゆ
鴨の脂が溶け出た汁を蕎麦湯でのばせば至福の〆になる。

ちなみに、鴨は蕎麦のほか、酒肴として“合焼き”も用意されている。鴨とねぎをローストした後、かえしをベースにした特製のたれで味付けした一品だ。これにもファンが多いとひろみさんは言う。
「残ったたれはご飯にかけたいところですが、うちは蕎麦屋なので代わりに蕎麦湯を出しています。たれを蕎麦湯でのばすのは私の夫のアイデアなのですが、試してみたらびっくりするぐらいおいしかったんです」
鴨南蛮か鴨ざるか、はたまた合焼きか。迷うこと必至だ。

手挽きと江戸前を蕎麦がきで食べ比べ

ここまでに紹介したのは冬限定の味覚だが、もう一つ、静岡まで足をのばしたら味わってほしいのが蕎麦がきだ。
この店の蕎麦がきは品書きに載らない要予約の品。いわば知る人ぞ知るレアな逸品なのである。
「うちの蕎麦がきは2タイプあって、蕎麦と同じく手挽きと江戸前でつくり分けています。食感も風味もまったく違って面白いですよ」とひろみさん。
そこでまずは蕎麦粉を見せてもらうと、粒子の大きさや色合いにわずかに違いはあるものの、さほど違いはないような?
この粉を湯で練るだけで、別物になるなんて興味津々だ。

調理場を覗くと、宮本さんはすりこぎ棒を手に蕎麦がきをつくり始めていた。火が入るほど蕎麦粉の粘りは強くなる。それを手早く練り続けるには体力も必要だ。81歳になった宮本さんには重労働ともいえるが、渾身の力で掻く姿はまだまだエネルギッシュだ。

まずやってきたのは、ゲンコツのように大きく丸い手挽きの蕎麦がき。殻付きの玄蕎麦を手臼で挽いた粉は、蕎麦がきにするとベージュがかった素朴な面立ちになり、粗挽きゆえに粒が浮かんで見える。口にするとざらっとした舌触りとともに香ばしい風味が弾け出し、もっちりとした粘りの強さはお餅並み。野趣に富んだ味わいがなんとも後を引く。

そばがき
手挽きそばがき2,500円。
石臼
蕎麦がきのつくり分けは自家製粉なればこそ。写真は手挽きの石臼。玄蕎麦から粗挽き粉を挽き取る。

続いてやってきた江戸前の蕎麦がきには丸抜きを電動の石臼で挽いた粉が使われている。手挽きに比べて粒子が細かいため、口当たりはなめらか。もちっとしながらもふんわり軽く食べ心地は白玉に近い。味わいも手挽きとは異なり、甘味と香りが優しく広がる。ひろみさんの言う通り、同じ蕎麦がきでも印象はまったく別物だ。

成形も手挽きとは異なり、こちらは小さな紡錘形にまとめられている。
「この形は江戸前の伝統で、木の葉に見立ててるでよ」という宮本さんの言葉を受けてひろみさんが言う。
「木べらで練りながら鍋の縁で形をつくって、最後に小皿で木の葉形に整えるんですが、これがすごく難しい。大きさも揃えないといけないし。お父さんは簡単そうにつくるんですけどね」
手早く正確に、なおかつ美しく。江戸前蕎麦の老舗で修業した経験があってこその職人技といえるだろう。

そばがき
木の葉形にした江戸前そばがき2,500円。

そんな蕎麦がきは食べ方にも工夫がある。
「当初は生醤油で出していたんですが、どんなにいいお醤油を使ってもなんだか味気ない。醤油が勝って、蕎麦の風味が隠れてしまう感じだったんです。だから、そばがき用のたれをつくることにしたんです」(ひろみさん)
そのたれはとろりとわずかに粘度があり、ほんのり甘め。蕎麦がきにつけると蕎麦の風味が鮮明になり、どこか懐かしいような味わいも醸し出す。削りたての鰹節を加えると酒のアテにももってこい。ほかにはないおいしさだ。

そばがき
蕎麦がきは江戸前と手挽きともに、特製のたれと鰹節のほか、ねぎ、大根おろし、山葵の薬味がつく。

薬味の山葵をツンと効かせたり、ねぎの香味を加えたりとアレンジしながら蕎麦がきを食べていると、「これをつけてもおいしいですよ」とひろみさんがテーブルに置いたのはきな粉。蕎麦会席の蕎麦餅から思いつき、味変アイテムとして半分ほど食べ進んだところで出しているそうだ。たっぷりきな粉をまぶせば、まるで静岡名物の安倍川餅!嬉しいサービスだ。

きなこがけ
きな粉をつければほのぼのとした和の甘味に。

蕎麦がきにきな粉をつけるサービスは最後の一口まで楽しんでほしいという気持ちの表れ。チャーミングなおかめ蕎麦や食べ応えのある鴨の蕎麦にも、宮本さん父娘のホスピタリティが垣間見える。その究極といえるのが、妥協のない蕎麦を出し続けることだ。独学で磨いた蕎麦打ちの技を次回は覗かせてもらおう。

店舗情報店舗情報

藪蕎麦宮本
  • 【住所】静岡県島田市船木253‐7
  • 【電話番号】0547‐38‐2533
  • 【営業時間】11:30~14:00(ただし売り切れ仕舞い)
  • 【定休日】月曜日(祝日の場合は翌日)ほか不定休あり
  • 【アクセス】JR「六合駅」より車で10分

文:上島寿子 写真:岡本 寿

上島 寿子

上島 寿子 (文筆家)

東京生まれで、銀座の泰明小学校出身。実家がビフテキ屋だったため、幼少期から食い意地は人一倍。洋酒メーカー、週刊誌の記者を経て、フリーに。dancyuをはじめ雑誌を中心に執筆しています。