大阪・京橋は、朝食代わりに一杯やれる店もある、年季の入った酒呑みが集う街。その一角に50年以上の歴史を持つ居酒屋「丸進」がある──汁ものを肴に酒を呑むのが至福だという、作家の大竹聡さん。そんな大竹さんが、だし文化の聖地=大阪を呑み歩いた、dancyu3月号掲載の「大阪『汁呑み』紀行」。本誌誌面では収まりきらなかった「汁呑み愛」と、汁呑みにうってつけの「もう一品」を紹介するおかわり企画。第四回は、ディープな立ち呑み酒場で、汁呑みとナニワの人情に酔いしれます。
「大阪『汁呑み』紀行」おかわりの四軒目は、京橋駅近くの立ち呑み屋「丸進」からお届けします。お訪ねしたのは1月10日。午前11時。開店と同時に入り、客の一人となりながら、取材もさせていただく形になりました。
大阪には何度も呑みに来ているが、この界隈を歩くのは、実は初めてだ。大雑把に言って、キタとミナミばかり繰り返し出かけてきたのに、ほんの少し東寄りの京橋駅で下車したことはなかった。駅を出て、昔懐かしい賑々しさを残す商店街を歩き、しばらく先の路地と言えそうな細道に、年季の入った二階建ての飲食店が並んでいる。「丸進」はその、ほぼ中央にあった。
店に入り、カウンターの真ん中あたりに立つと、手拭いで鉢巻をしたご主人が迎えてくれた。進藤𠮷久さん。ちょっといかつい感じがするし、声も低いが、言葉にはやさしさがこもる。「吉野杉」の樽酒と、名物の湯豆腐をすかさず頼めば、ご主人は、目の前の大きなバット状の平鍋に浮かんでいた豆腐をだしごとすくい、青ネギとおぼろ昆布をのっけて供してくれる。それが本誌で紹介した湯豆腐で、味はあっさり、イリコだしがほんのり効いている。
朝飯を抜いて出かけたので、この日最初に口に入れたのが、この、なんともやさしい湯豆腐だった。コップになみなみと注がれ、表面がきらきらと輝く冷や酒は、熱々の湯豆腐を汁とともに呑み込んだ後の口中に、するりと滑り込むように入っていく。樽酒は、きりっと締まりがあって、うまい。
あっという間にコップは半分になり、空になる。次に呑むのはコレと目星をつけていたのが「初雪盃」のにごり酒。これも、コップになみなみ。こぼれそうでこぼれない絶妙なバランス感覚で、ご主人がサーブしてくれるのだ。ここに合わせたのが、冬季限定の汁物、粕汁である。
とろりとした、見るからに濃厚なヤツがきた。うまそうだ。さっそく啜る。お! おや? シツコクないぞ。いやむしろ、濃厚に見せかけて、実はしとやか、そんな印象を受けた。もちろん、口当たり、舌ざわりは、甘くとろける具合である。
鮭のアラ、にんじん、こんにゃく、ちくわ、ねぎなどが煮込まれていて、粕汁の液体を啜れば必然的に口に入ってくる具材ごとの食感もまた楽しいのだ。中でも鮭がうまい。この粕汁、どうやって作るんですか? 開店直後から他のお客さんも入店されていきなり忙しいご主人の背中に、声を張って聞いてみる。
「鮭を濃いめに塩して寝かす。それから熱湯にさらす。だしは、鰹だし。そこに酒粕を入れる。うちは味噌、入れてない。味噌を入れないのがミソや!」
なるほど、納得だ。即座に深く深く理解できた気がして、ふと思えば、今、我が家には上等な酒粕があることに気づく。この一品、自宅でも試さない手はないと決意して、ゆるりとにごり酒に手を伸ばす。粕汁がとろり、にごり酒もとろり……。鮭からかすかな塩味が広がり、粕が丸く包む。にごり酒も口当たりはすっきりしながら、柔らかく、丸く、包み込んでくる感じ。こいつぁ朝から縁起がいい。
まだ昼前だというのに、もっともっと呑みたくなっている。ご主人、それを見抜いたかのように、「てっさ、食べていって!」とフグを出し、「うちのマグロもいいよ」とマグロを出し、だし巻き玉子を出し、モヤシ炒めを出す。どれもうまい。目利きが選んだ食材を長年の経験に裏打ちされた腕前でしっかり調理している。そんなことが了解される。食の都、大阪は、さすがだなと、いつの間にか満員状態の店内に飛び交う大阪弁の波に呑み込まれながら、私はふと、このままずっと呑み込まれてしまってもいいと思っていた。
*最新の営業時間など、詳しくは電話で確認を。
文:大竹聡 写真:渡部健五