シネマとドラマのおいしい小噺
ジャージャー・ラーメンまで、あと8分|映画『パラサイト 半地下の家族』

ジャージャー・ラーメンまで、あと8分|映画『パラサイト 半地下の家族』

映画やドラマで強い印象を残す「あのご飯」を深堀りする連載。第八回は、2年前に映画界を席巻した韓国作品です。てらてらと光る褐色の麺に「あれは何?」と目を奪われた人も多いはず!

カンヌ・アカデミーのW受賞を果たしたこの映画は、格差社会を浮き彫りにする作品である。半地下の家に住む貧しい家族と、高台の高級住宅地の社長一家。出会うはずのない人々が、ある企みから関係を持つようになる。半地下の家族が徐々に社長一家を侵食し始め、やがて恐ろしい展開を招いていく……。

ふたつの家族にはおよそ共通点が見あたらないが、ある食べ物がきわどくその接点を形成する。

「チャパグリをつくれますよね?」

ある晩、出かけて戻らないはずの奥様から突然電話がかかってくる。社長一家の家政婦になりすましている半地下の家族の母・チュンスク(チャン・へジン)は、電話口で身を凍らせた。半地下の家族たちは揃って留守宅に上がり込み、やりたい放題のさなかだったからだ。雇い主一家が帰宅するまで、あと8分しかない。

"チャパグリ"とは、インスタント麺のアレンジメニューだ。韓国で超定番のインスタント麺、「チャパゲティ」(ジャージャー麺)と「ノグリ」(ラーメン)を合わせて食べるとおいしいと評判を呼び、全国的な話題になった。小学生の息子の好物だからと奥様は説明し、ただし高級肉の韓牛(ハヌ)を入れるように命じてきた。

チュンスクは、インスタント麺のB級アレンジならお手のもの。しかしタイムリミットまでのわずかな間に料理を完成させ、何事もなかったように家を片付けなければならない。大慌てでキッチンに滑り込むチュンスクと、その傍らでは夫や子供たちが血なまぐさい事態を繰り広げる。観ている方は、じっとりと嫌な汗が出てくるシーンだ。

チュンスクは、大急ぎで2種類の袋麺を破り、麺をゆで始めた。冷蔵庫に常備している分厚くボリュームたっぷりの韓牛。上から包丁でぐっぐっと力をこめてサイコロ状に裁断し、ゴロゴロとフライパンにあけ火にかける。火加減には神経をとがらせなければならない。奥様たちは"ミディアムウェル"が好みなのだ。

そしてゆであがった麺とほどよく焼けた牛肉を、鍋に投げ込むように入れていく。大きな肉塊とたっぷりの麺が混ざり合うまでの時間がもどかしい。

鍋を手にしたチュンスクが、汗をぬぐい息を整えた瞬間、一家が到着し玄関から入ってきた。まさに、間一髪。チュンスクは背筋を伸ばし平静さを装い、鍋をゆすって大きな白い皿にどさりと盛り付けた。麺と肉は調味料でどす黒い茶色に染まり、濃厚な色と香りを放っている。

どうにか完成したチャパグリは、この後、意外な運命をたどる。このチャパグリを食べることになるのは、息子ではなく奥様なのだ。

息子も夫もそそくさと部屋へ戻るので、大盛りのチャパグリを奥様自身が箸をつけ食べ始めてしまう。チュンスクに家族の愚痴を言いながら、箸の勢いは止まらない。家に着くまでの8分間で、頭の中がチャパグリのイメージに占拠され、食欲のスイッチが入ってしまったかのよう。

奥様は、ずっしりと重量感のある麺の中に箸を潜り込ませ、束になったジャージャー・ラーメンを口の中に入れ続ける。最初こそ「家政婦さん食べて」などと言っていたのに、すっかり我を忘れている。そして奥様が再び顔を上げたとき、大皿の底には調味料の茶色の筋と、わずかな麺の切れはしが残るだけになっていた。

ただでさえ濃厚な味つけのインスタント麺をダブルで混ぜるチャパグリは、強烈な濃さとなる。「息子のため」という注釈をつけたが、刺激的な味に溺れたかったのは、奥様自身だったのかもしれない。そして自己を抑制できなくなった彼女は家庭内の異変に気付かず、セレブ家族のほころびが始まる――。

高台の豪邸に住む裕福な一家と、劣悪な半地下の家に住むしかない家族の間には、埋められない溝がある。街に降り注ぐ大雨が、高級住宅地から庶民の暮らす低地へと音を立てて流れ落ちるように、絶望的で無情な現実である。しかしこの8分間で出来上がるメニューだけは、二人の女性を同じ地平に留めているように見えるのだ。本能を刺激する食べ物の平等さとその圧倒的な存在感に、しばし言葉を失ってしまう。

おいしい余談~著者より~
字幕では、「チャパグリ」は「ジャージャー・ラーメン」と表記されていました。しかし「チャパグリ」こそが奥様とチュンスクの唯一の共通言語。だからこそ高級肉を入れるレシピはいかにもこれみよがしで、チュンスクの心にさざ波を立てたはずなのです。

文:汲田亜紀子 イラスト:フジマツミキ

汲田 亜紀子

汲田 亜紀子 (マーケティング・プランナー)

生活者リサーチとプランニングが専門で、得意分野は“食”と“映像・メディア”。「おいしい」シズルを表現する、言葉と映像の研究をライフワークにしています。好きなものは映画館とカキフライ。