抜群のもつ焼きと豊富な酒肴で、開店1年足らずにして酒場好きの注目を集める、駒込「もつ焼 高賢」。コロナ禍にオープンしたこの店は、開業以来一度も通常営業をできずにいた──かつてない苦境に立たされる酒場の人たちは、どのような思いでこの日々を乗り越えてきたのか。さまざまな店への取材を通して、「酒場の良さってなんだろう?」とじっくり考えていくルポルタージュ連載。第十三回は、この時世にあえて新たな船出を決意した、若者たちにスポットを当てます。
緊急事態宣言が解除された10月1日以降、酒の提供再開を待ち望んだ人たちは、それぞれ、自分の馴染みの店へ足を運んだことでしょう。お店の側でも、常連さんが以前のように顔を見せてくれることに、胸を撫で降ろす気分だったかもしれません。
しかし、これから、どうなっていくのでしょう。コロナ以前に戻るのか、それとも、以前とは異なった形で酒を飲む場が形成されるのか。コロナ禍は、誰にとっても初めての経験だっただけに、これから起こることもまた、未知の世界。事態がこのまま収束し得るのかどうかさえ、定かではありません。しかし、酒場がいま、再開の一歩を歩み出したことは事実です。これからの酒場を安心して楽しむために、何が求められるのか。酒の提供を禁じられた酒場を訪ねて一緒に考えます。
今回、お話を伺いますのは、コロナ禍にオープンした新しい店、駒込「もつ焼 高賢(こうけん)」。オーナーの石山高賢さん、ホール担当の加藤洋介さん、調理担当の小林清一さん、そして石山さんの奥さんの沙織さんの4人で営む、若いお店に出かけてまいりました。
実はこの店、開業してからまだ10ヶ月しか経っていません。
石山「前は水道橋のもつ焼き屋で働いていたのですが、勤めているときから物件を探して、昨年の12月にオープンしました」
現在34歳の石山さんが飲食の世界に飛び込んだのは28歳のとき。山形出身の彼は、最初、仙台でもつ焼きのうまさを知ったのだそうです。
石山「初めてもつ焼きを食べたときの衝撃がすごくて、この世界に入りました。当時食べた仙台のもつ焼きがどの程度のものだったのかはわかりませんが、その後、上京して東京の『秋元屋』とか『ウッチャン』とか、おいしい店のもつ焼きを知って、あらためてすごいなあと思いました。最初に勤めた店は、秋元屋系の、『やきとん赤尾』という板橋の店でした」
調理担当の小林さんは、石山さんが勤めていたこのお店の、お客さんだった。
小林「オーナー(石山さん)と同じで、『赤尾』でもつ焼き食べて、衝撃を受けました(笑)。僕は当時、吉本興業の芸人をやっていて、バイトしたいなと思ったのですが、社員の募集しかしてなかったんです」
それでも、店にいる石山さんとは親しくなって、ふたりは飲みに行く仲になる。その後、小林さんは芸人の道に別れを告げて、上板橋の『やきとん ひなた』に入店、本格的に飲食の世界に入ったということです。
一方の石山さんは、その後水道橋の有名店『もつ焼 でん』に移るが、ここで、現在ホールを担当する加藤さん、そして、当時はお客さんで現在は奥さんの、沙織さんに出会う。
加藤「オーナーと僕は上司と部下という関係でした。でも、お互いに酒場好きなので、飲み歩いているうちに気心も知れた感じになりましたね」
沙織「私はOL時代に会社が水道橋にあって、同僚に『でん』に連れて行ってもらったのですが、そのときの印象が衝撃的でしたね(笑)。赤提灯の店は人生で初めてでしたけど、ハマりました。カウンターで隣合わせたオジサンと会話をしたり、みんなが酔っぱらって楽しく飲んでいたり。小洒落た店には絶対にないことなんですが、すごく刺激的で楽しかった。でも、『でん』は店員さんもみんなオラオラ系で、あの頃はめちゃめちゃ怖かったんです(笑)」
みなさん、きっかけはそれぞれ違えど、もつ焼きの名店の味と雰囲気に衝撃を受けて、この道へ入ったようです。
店のオープンは昨年の12月。つまり、店舗選びはコロナ禍の中で進められたのです。
石山「コロナで普段は空いてない物件にも空きが出ていてチャンスだよと、不動産業者の人に言われました。ただ、物件を探し始めるまで、実は駒込に来たことがなかったんです。物件情報をもらってから初めて見に来たんですけど、店の立地や街の雰囲気が、自分のイメージしていたものと合っていました。チェーン店が少なく、あるのは、個人店ばかり。山手線の内側、うちの店がある側のほうが、雰囲気がいいなと思いました」
たしかに、このあたり、山手線の内側ということを忘れてしまうくらいに昔を感じさせる街。東京でも数少ない、昭和が色濃く残る場所のひとつかもしれません。実際、今の若い人たちにはあまり馴染みのない土地とも考えられる。その点、場所選びの時点で、気にならなかったのでしょうか。この質問に答えてくれたのは加藤さんです。
加藤「テレビの『アド街ック天国』で知ったんですけど、駒込って、山手線の中でいちばん乗降客が少ないんですって。たまたま番組を観ながらオープンの準備していまして。ええ?ここで本当に大丈夫なのかなって、ちょっと心配になりました(笑)。あと、駒込に以前に1軒だけあったもつ焼き屋さんが潰れちゃったという話も聞いて……」
小林「しかもその話、オープンした後に聞いたからね(笑)」
つまり、店探しをするまで駒込にはまったく縁のなかった4人が、山手線でいちばん乗降客の少ない駒込で始めたのが、「もつ焼 高賢」なのです。店にあるホワイトボードには、第182回と書いてありました。取材に訪れたのは9月24日のこと。昨年12月のオープン以来、休業期間もあって、まだ、店を開けるのが182日目ということなのです。
石山「12月にオープンして、1月からの緊急事態宣言中は時短営業しました。4月下旬に酒が提供できなくなってからはランチと串のテイクアウトをやって、6月に入って休業。21日から7月11日までまん防の間は店を開け、7月12日からはテイクアウト営業。8月中と9月13日までは完全休業にして、14日からまたテイクアウトをやってきました。オープンするときから心構えはしてきましたから、致し方ないとは思っています」
やっと叶った、自分の店。本来なら全力でスタートダッシュを決めたいところだが、石山さんたち4人は今もまだ、通常営業を経験していない。フルスロットルで走ったことがないのだ。
しかし、開店してまだ1年にも満たないが、店にはすでに、お客さんもついている。石山さんは、ある感触をつかんでいた。
石山「街が落ち着いているためか、お客さんも、大人で、とてもよくしてもらっています。騒ぐような方もいないし、かといって、やはりここは都会だから、客層がしっかりしていて、とてもいいです。駒込にはこういうもつ焼き屋がないから、開店してくれてありがたいよ、みたいな感じで言ってくださる方もいます」
客層の中心は30代から50代という。
石山「都内で仕事をしていて、このあたりのご自宅に帰って来る方たち。あと、加藤がSNSをやりますので、そちらを経由して若い人たちも来てくれますね」
加藤「SNSは反応が早いですね。盛り上がるときには、バズってるなっていう感じのときもあるし。早く伝達ができるから、使い方によっては広告にもなりますね」
取材に伺った日は、まだ酒類の提供を休止していた期間だったので、テイクアウトメニューを購入してみました。
たんもと、なんこつ、たん、てっぽう、さがり、それから、しろ、れば、はつ、かしらあぶら、つくね。そこに、ポテトサラダと豚すじ柚子塩煮込みをプラスする。
まずは、好物のたんもとを口に。ああ、これはイケる。なんこつも、しろも、抜群だと思う。それから柚子塩煮込み。塩煮込みはいろいろ食べてきたけれど、ちょっとした工夫で、また、新たなうまさを見つけ出してくれたのです。これなら、オープンから1年経たず、まだ、182日しか営業チャンスがなかったこの店に、すでにしてファンができているのも納得。うまいもつ焼きと一品料理で、心ゆくまで酒を飲みたい。そういう気持ちにさせるわけです。
そして、10月1日。81日間にわたって休止されていた酒の提供が解禁されて、25日には、時短の要請も撤廃された。「もつ焼 高賢」は、ついに、フルスロットルでの営業を開始する。
石山「とりあえず、毎日、満席にしたい。休業期間中は、腕が鈍るのが怖かったんですよ。串打ちや焼きの感覚が鈍って、再開したときに、前と違うじゃないって言われることが心配でした。だから今は、とにかく、疲れてイヤになるくらい働きたいですね。ここでは僕たちはまだ、自分たちの力がどれくらいあるのかを、把握していないので(笑)」
以前の店に勤務していた石山さんと客として出会い、その後、結婚。「もつ焼 高賢」オープン後も会社勤めを続けながら店を手伝ってきた沙織さんは、営業再開への思いをこう語ります。
沙織「会社勤めの頃は勤務の後に手伝っていましたけど、いつの間にか毎日店に立つようになり、今年の4月には会社を辞めました。すでに何度も通っていただいているお客さんが多くいて、地元に愛されるお店に少しずつなっていると思うんですけど、これからは、もっと親しんでいただけるようにしたいです」
コロナ禍で足止めを食った感のある店は今、こうありたいと願った理想像へ向けて前進を始めた。「駒込に高賢あり」と広く知られる日まで、快進撃を続けることだろう。
*当面、営業時間などに変更になる場合あり。詳しくは電話やTwitter(@motsuyakiko_ken)などで確認を。
文:大竹聡 写真:衛藤キヨコ