「酒を出せない酒場たち」~いつかまた、あの店で呑もう!~
お客様も酒場も、我慢を強いられている分、お互いに想いが強くなっている──浅草橋「水新はなれ 紅」

お客様も酒場も、我慢を強いられている分、お互いに想いが強くなっている──浅草橋「水新はなれ 紅」

浅草橋にひっそりと佇むワインバー「水新はなれ 紅」。町中華の名店「水新菜館」の料理と、選りすぐりのワインとの組み合わせで愉しませてくれるこの店も、長らくの休業を強いられた──かつてない苦境に立たされる酒場の人たちは、どのような思いでこの日々を乗り越えてきたのか。さまざまな店への取材を通して、「酒場の良さってなんだろう?」とじっくり考えていくルポルタージュ連載。第十一回は、ワインを提供すること、ワインを語らうことを封じられたソムリエの苦悩と、その先を見据えた視線に迫ります。

長らく続いた緊急事態宣言も9月末で解除。酒場や飲食店で、酒の提供ができるようになりました。そうなってみて思うのは、長い間、酒場に対して酒の提供を禁じてきたことは、まさに異常事態であったということです。

この間、経営危機に陥る酒場や、廃業に追い込まれた酒場もある。行政からの要請に対応しつつ、赤字で経営を継続してきた店もある。酒場としての営業再開後に、客が戻るかどうか。長引く休業要請の中で、多くの酒場が悩んできた。そして、今、ようやく、解禁だ。今後、どうなるのか。客と酒場との関係は、酒を出せなかった時期を乗り越え、どう変わるのか、それとも変わらないのか。そのようなことを、酒場のみなさんに単刀直入に伺うシリーズ。このたびは、浅草橋にある「水新はなれ 紅(Hong)」にお邪魔をして、お話を伺います。

訪れたのは9月22日。どうやら、翌月から酒類の提供が解禁になりそうだという予感がしていたときのことです。

外観

売上云々より、バーカウンターという舞台でお客様を相手に仕事ができないことのほうが辛かった

浅草橋駅北口、江戸通りを少し浅草方面へ歩くと、町中華の老舗「水新菜館」がある。町中華の値段で本格中華に負けない各種料理を楽しめる店として、たいへんな人気を誇る。その隣の家屋に、2018年9月にオープンしたのが「水新はなれ 紅」です。ここは「水新菜館」の中華料理にワインを合わせるという、斬新なサービスを提供するワインバー。オーナーソムリエの寺田泰行さんは、「水新菜館」の五代目にあたる。

「水新はなれ 紅」のオーナーソムリエ、寺田泰行さん
「水新はなれ 紅」のオーナーソムリエ、寺田泰行さん

「2007年にホテルニューオータニに就職し、1年は宴会場に勤務、その後10年間はフレンチレストラン『トゥールダルジャン』でソムリエとして働きました。2018年に退職し、この店を9月にオープンしました」(寺田泰行さん/以下同)

「水新菜館」の現在の店主は、泰行さんの父・規行さん。家業の大もとは水菓子屋(フルーツショップ)だったそうで、その後、洋食屋やパーラーのような業態を経て、1970年代、規行さんが入店された頃から中華の店になった。「中華料理店としてはまだまだ50年です」と規行さんは笑うのだが、前身である水菓子屋の創業は1897年。浅草橋界隈でも有数の老舗なのである。

「水新菜館」外観
50年の歴史を誇る、浅草橋「水新菜館」。真っ赤な看板の人気店は、街のランドマーク的な存在だ
「水新菜館」店主の寺田規行さん(右)と「水新はなれ 紅」のオーナーソムリエ、寺田泰行さん
「水新菜館」店主の寺田規行さん(右)。泰行さんは開店前の仕込みなども手伝っていてる

「2018年に家に戻ったのは、父が腰を悪くしたことも原因のひとつでした。私は、厨房に入って朝から野菜を切るなど調理の仕込みを手伝い、洗い場で皿洗いをし、店に出て接客もしました。今の、このはなれのスペースは当初、『水新菜館』の個室にする予定もあったのですが、ホテルでの経験を活かして、ワインバーにしようと思ったのです」

中華料理とワイン。思い切った組み合わせにも思えますが、その妙味について、寺田さんは語ります。

「世界には5,000種類ものぶどう品種があり、産地も世界各国と多様だし、醸造年によって香りも味わいも変わるという広さがあります。一方の中華料理も、中国の中でも地方によって特徴があり、海、山、川の食材を、多様な方法で調理します。さらに中華の世界には醤(じゃん)がある。豆板醤、甜麺醤、XO醤などの発酵食品はワインとの相性もいい。つまりワインと中華のペアリングには、何千もの組み合わせがある。たとえば餃子ひとつをとっても、酢醤油で、柚子胡椒で、あるいはレモン塩で食べるとそれぞれに味が異なる。自ずとワインのアプローチも変わってきますよね。つまり、無限大なんです」

料理
たとえば、「水新菜館」のあんかけ焼きそば990円に、ブルゴーニュの偉大な赤ワインの一つ「ボンヌ・マール」の“コント・ジョルジュ・ド・ヴォギュエ 2007”14万円を合わせる。

たとえば、餃子。たとえば、あんかけ焼きそば。あるいは、ニラレバ炒めに、ちょっといいワインを合わせたら、どんな世界が広がるか。ワインも安価なものからかなり上等な銘柄まで用意して、中華とワインの無限の可能性を確かめられるバー。それが「水新はなれ 紅」なのだ。つまり、ワインと料理、会話を楽しむのが、こちらでの上手な過ごし方。逆に言うと、そういうコミュニケーションを避けよと指導されるコロナ禍は店にとっての試練だった。寺田さんは、昨年4月の緊急事態宣言をこう振り返る。

「昨年4月の宣言時は、飲食店は時短営業という要請でした。でも、浅草橋に人がいなくなってしまった。浅草、上野、築地に近いから国内外から観光の方がたくさんお見えになる街なのですが、あのときは、毎日が日曜日みたいで。本当に危機感を感じました。店を開けてもお客様がゼロという日がありましたから」

ワイングラス

店では、グラス提供するワインの産地を月ごとに変えるようにしていた。ある月はイタリア、別の月はフランス、スペイン、南アフリカといった国別の展開をするのだが、お客さんの姿が街から消えたとき、その手法が大きな負担になってのしかかった。

「国別で提供するワインの種類は毎月10種類。仕入れのスケールメリットを出す目的もあって、毎回の注文は1種類につき12本ずつにしていました。つまり、120本です。去年の3月にそういう注文をしたら、4月の初めからお客さんが全然来ないから、グラスワインをお出ししてもボトルに半分以上残ってしまいましたね。在庫をお出しすればお客様も飽きてしまう。それが怖くて、未だに強気な注文ができないんですね」

その後も寺田さんは、行政の要請どおりに時短や休業をしてきた。今年1月からの緊急事態宣言下でも、時短要請を守りながら営業を続け、中華と少し高級なワインのペアリングを求めて、客足も戻ってきていた。しかし、今年4月下旬から酒類提供の自粛要請が出されると、策はつき、やむを得ず休業に入った。

ワインボトル

「『水新会館』は酒の提供をせずに営業を継続しましたので、私はそちらの手伝いをしてきました。でも、毎晩9時には自由になる。他にやることがない。すると不思議なことに、ものすごく歯が痛み始めたんです。歯医者に診てもらっても悪いところはない。おそらく、眠っている間にストレスから歯ぎしりをしていて、それで痛むのだろうということでした。実際に、マウスピースをつくってもらうとすぐに治りました。僕は高校時代から飲食の世界に携わって20年になるのですが、その仕事ができないということが相当なショックだったんだなと思います。売上云々より、バーカウンターという舞台でお客様を相手にソムリエをするという、仕事ができないことのほうが辛かったですね

寺田さんは考えた。仕事ができないなら、今、できることをやろうと。そしてまず着手したのが、肉体改造だったという。

「ジムに通い、食事制限をしました。そもそも外に飲みに行く機会も減りましたから、お酒もあまり飲まない。4ヶ月で15キロ痩せましたよ。休んでいる間に肉体改造ができたことはよかったと思っています。お客様に会えない時期に気づいたのは、お客様は癒しを求めて店へ来るけれど、私のほうも、そんなお客様に接することでモチベーションを高めてきたということです

額に入った書

大丈夫だよ。お客さんは帰って来てくれる。父の言葉に勇気づけられた

政府からの緊急事態宣言は突然に発出されることが多く、また、期間の延長が小刻みに行われ、その都度、店は対応に追われた。そんな中でも、お客さんがこの店に寄せる深い愛情を感じさせる出来事があった。

今年4月下旬から9月下旬の今までの間に、予約を7回も日延べしてくださったお客様がいらっしゃるんですよ。予約していたのにその日が緊急事態宣言に入ってしまったり、宣言解除予定の後に予約を入れたら、急に緊急事態宣言が延長されたり。そんなことの繰り返しで予約を7回取り直してくださった。電話でお話しするたびに、本当にごめんなさい、早くお会いしたいです、ってお伝えするんですが、我慢を強いられている分、お互いに想いが強くなっている気がします

カウンター席のみのワインバーだけに、大きな声を出すようなお客さんもいない。9席から6席に席を間引きし、パーテーションを配して少し狭く感じても、不平を漏らす人はいなかった。主である寺田さんもまた、冷静に、今後の営業を見据えている。

「水新はなれ 紅」のオーナーソムリエ、寺田泰行さん

「コロナ禍は、誰も経験したことのなかった災害です。店としても、これから1年くらいは行政や医療機関からの要請に対応していかないといけないと思っています。一歩進んでみて、まずいなと思うところがあったら、また引き返して、やり方を見直して、そうやって少しずつ前に進むしかないと思っています。実は最初の緊急事態宣言が発令されたとき、私はテイクアウトや宅配なども対応しなくてはと、奔走したんですよ。その時、父は私に言ったんです。まあ、大丈夫だよ。なんとか、なるよ。リーマンショックのときも、東日本大震災があっても、お客さんは帰って来てくれた、と言ったんです。すごく腹が据わっていて、勉強になりましたね」

さすがは超老舗。創業は明治時代だから、大正時代の関東大震災も、昭和の大戦の東京大空襲も経験してきた店の、これが遺伝子というものでしょうか。寺田さんが、営業再開に向けて着々と続けてきた、もうひとつの準備があった。

再開のとき、ワインという武器を揃えておきたい。そう考えて品揃えを増強しました。今、ワイン市場には余剰もあって、古いものも市場に出ているんですね。それを今のうちに手に入れておこうと。これまでのウチのワインリストは200アイテムくらいだったのですが、今、300まで増やしました」

ワインリスト
ショップカード
ワインの絵
ソムリエバッヂ

たとえば、今夜は普段のワインとは違って、何か特別な1本を奮発したい。そんなとき。

「ワインは、普段使いのものから、上には上の、高級なものまで、とにかく幅が広い。中には100万円単位のものまでありますが、そうしたものをお求めのお客様が来られたときにも、ご用意しています、とお迎えしたい。そのチャンスを逃しちゃいけないって(笑)。もちろん、いつもは7,000~8,000円くらいのワインだけど、今日は3万円くらいにしてみようか、というようなご要望にもお応えします。そのために、ワインという武器に、弾をしっかり込めておくわけですね」

どんな災厄に見舞われても、きっと大丈夫。お客様は帰って来てくれるさ。そんな想いを受け継ぎながら、寺田さんは、再開の第一歩を今、歩み始めている。

「水新はなれ 紅」のオーナーソムリエ、寺田泰行さん

*要請に従い、当面は営業時間などに変更あり。詳しくは電話にて確認を。

店舗情報店舗情報

水新はなれ 紅(Hong)
  • 【住所】東京都台東区浅草橋2‐1‐1
  • 【電話番号】03‐5839‐2077(直通)/03‐3861‐0577(水新菜館)
  • 【営業時間】18:00~23:00(L.O.)
  • 【定休日】日曜、第2・4土曜
  • 【アクセス】JRほか「浅草橋駅」より徒歩2分

文:大竹聡 写真:衛藤キヨコ

大竹 聡

大竹 聡 (ライター・作家)

1963年東京の西郊の生まれ。早稲田大学第二文学部卒業後、出版社、広告会社、編集プロダクション勤務を経てフリーに。コアな酒呑みファンを持つ雑誌『酒とつまみ』初代編集長。おもな著書に『最高の日本酒 関東厳選ちどりあし酒蔵めぐり』(双葉社)、『新幹線各駅停車 こだま酒場紀行』(ウェッジ)など多数。近著に『酔っぱらいに贈る言葉』(筑摩書房)が刊行。