シネマとドラマのおいしい小噺
剣士の顔がほころぶ、牛鍋の味|映画『るろうに剣心』シリーズ

剣士の顔がほころぶ、牛鍋の味|映画『るろうに剣心』シリーズ

シネマとドラマで強く印象を残す「あのご飯」を深堀りする連載。第六回目は、少年漫画が原作の人気シリーズ。ぐつぐつと煮えるのは、すき焼きではなく……。

幕末の志士である緋村剣心(佐藤健)は、最強の剣技を持ち「人切り抜刀斎」として恐れられていた。10年の時を経て、新時代・明治を生きる剣心は流浪人(るろうに)となり、もう人の命を奪うまいと「不殺(ころさず)」の誓いをたてる。そんな彼に、過去の亡霊のようにさまざまな宿敵が襲いかかり……。

超人的な剣さばきで敵を倒すアクションに息を呑み、主人公の抱える過去と苦悩に涙する。激動の時代における武士道の世界観は唯一無二であり、5部作を通じて浮かび上がる、剣心という男の人間性もまた作品の大きな魅力である。

剣豪である剣心は、実は料理上手。身を寄せる道場のかまどに立ち、慣れた手つきで味噌汁を火からおろすシーンが印象に残る。着物の袖をたすき掛けした姿が板につき、道場の門下生・弥彦は、剣心の食事を心待ちにしている。道場の女主人・薫(武井咲)が、夕餉の焼き魚を焦がしバツが悪そうにしているのと対照的だ。

彼が居候の身であることを差し引いても、最強の剣士がいそいそと厨房に立つ姿に心を打たれる。大きな籠を両手に抱え、夕食のおかずにと野草を摘んで戻るのも日課。市井の民として日々の暮らしを大切に生きる、彼の決意と優しさが滲み出ている。

そして本シリーズにたびたび登場するのが「牛鍋」。牛肉を豆腐や野菜とともに煮込み、割り下を味噌で味付けした鍋料理だ。

剣心たちのひいきの牛鍋屋「赤べこ」は、間口が大きく店内もかなり広々としている。板張りの広間と小上がりに、鍋を囲む座席がずらりとしつらえられ、店内は活気に満ち大賑わい。牛肉、白ねぎ、焼き豆腐、春菊、飾り切りの椎茸、花型のにんじん……。具材で山盛りになった大皿を、仲居さんが運んで忙しく行き来する。

まだ幼い弥彦が、母親代わりの薫に「肉ばかり食べちゃだめ」と釘を刺されているのが微笑ましい。仲間の一人、左之助(青木崇高)と出会ったのもこの牛鍋屋。熱血漢の左之助は彼らのために走り回り、お代わりの大皿を受け取っている。いまや立派な鍋奉行だ。

鉄鍋の中で肉と野菜がぐつぐつ煮えたら、取り皿の小鉢に丁寧に盛りつける。下に敷いた生卵を絡めて食べると、一層滋味深い味わいになる。

「......うまい」

思わず口にする剣心。ふだんは寡黙なだけに、その笑顔がひときわまぶしい。世の不条理を忘れさせる至福の時間だ。

牛鍋は明治の文明開化を象徴する料理。鎖国が解かれ肉食文化が日本にもたらされると、庶民にも牛肉の大ブームが巻き起こった。東京だけでも500軒を超える牛鍋屋がひしめきあい、剣心たちの暮らす浅草にも牛鍋屋が軒を連ねた。人々はハイカラな料理を食べようと、こぞって店へ足を運ぶようになる。

食べ方のスタイルも新しい。銘々に膳を用意する伝統的な形式ではなく、鍋を真ん中にぐるりと囲んで座り、家族や親しい者同士でつつき合って食べる。会話がはずみ食も進む。いまに連綿と続く、家族での外食や鍋食文化の原点だ。

剣心が生活を共にする家族のような仲間たちと、鍋を囲んで食事を楽しむ場面を見ると、なんともいえず温かな気持ちになる。時代の改革に力を尽くし、心に傷を負った剣心。その後も過去の贖罪を果たすため宿敵と闘い続け、同士とともに壮絶な死闘を繰り広げる。満身創痍の彼らが、牛鍋を囲むひとときだけが穏やかで、希望の光のように見えてくる。

牛鍋は、幸せな日常と平和な新時代を象徴する料理なのである。そう思うと、関東で生まれた味噌の薫る牛鍋を、たまらなく味わってみたくなる。

おいしい余談~著者より~
明治維新の牛肉料理は、関西は肉を先に焼く「すき焼き」が普及し、関東では肉の臭みを消すため味噌で煮込む「牛鍋」として定着。そののち関東大震災で牛鍋屋が姿を消すと、東京にも「すき焼き」の名称が広がります。現在でも、すき焼きといえば関東は割り下で煮込み、関西ではまず肉を焼いて味をつけるのは、こうした時代背景あってのことなんですね。

文:汲田亜紀子 イラスト:フジマツミキ

汲田 亜紀子

汲田 亜紀子 (マーケティング・プランナー)

生活者リサーチとプランニングが専門で、得意分野は“食”と“映像・メディア”。「おいしい」シズルを表現する、言葉と映像の研究をライフワークにしています。好きなものは映画館とカキフライ。