2021年8月号の特集テーマは「スパイスとカレー。」です。自転車で世界を旅した旅行作家の石田ゆうすけさんは、カレーで感動した国はインドよりもパキスタンだったといいます。その魅惑のスパイス料理とは――。
今年もまたカレーの季節がやってきた。
いや、元来カレーには季節なんかないと思うが、食べもの系雑誌はだいたい夏にカレー特集をする。カレー店を営む友人もハッキリ夏に売り上げが上がると言っていた。まあわかる気もする。暑い地域にはたしかに辛い料理が多い。殺す気か、というぐらいめったくそ暑い国でバテているときでも、スパイスのきいた辛い料理を食べると食欲が湧いたものだ。
逆に寒い国で辛い料理を日常的に食べている、という例は、僕はついぞ見なかったけれど、どうなんだろう。そんな国あるんだろうか。
去年のカレー特集では、インドの話をメインに書いた。
そのときも触れたが、インドのカレーはなんというか、うーん、と食べながら微妙な顔になることが多かった。
もっとも、南インドは旨いという話も聞く。だが僕はデリー、アグラ、バラナシという、北インドの定番ルートを約2ヶ月自転車でまわっただけのインド初心者で、インドのカレーを語る資格はない(以前の記事に1ヶ月と書いたが、日記を見直すと2ヶ月でした。お詫びして訂正いたします)。
ただ、この連載はあくまで“僕”が見て、食べて、経験した、僕の所感をつづるエッセイだ。そんな僕にとっては、隣のパキスタンのカレーのほうがテンションの上がる味だった。もっとも、パキスタンもインド同様、地域によって味も文化も違うから一概にはいえないのだけれど、これまたあくまで僕が旅した地域限定の印象なので悪しからず。
1947年に分離独立する前はインドと同じ国だったから、パキスタン人も当然カレーを食べるのだが、インドのカレーとは感じが違う。インドは辛いだけで旨味が足りないと感じることが多かったが、パキスタンは全般的にマイルドで味わいがリッチな印象があった。
チキンカライという料理がある。
「カレーは辛いから“かれー”やで」という台詞は小学生時代みんな言ったと思うが、このパキスタンの料理はまさに「カライ」だ。「カレー」のパキスタンなまりかと一瞬思うが、出される料理みなカレー味のインドにはそもそもカレーという言葉がない。カレーは西洋人が言い出した言葉であり、概念である。ちなみにその語源は、インド南部の言葉でソースを指す「カリ」のほか、諸説あるようだ。
パキスタンの「カライ」のほうは、この料理をつくるときに用いる中華鍋に似た鍋のことらしい(「カラヒ」とも表記されるが、現地ではカライと聞こえたし、僕もカライと呼んでいたので、ここではカライとします)。
にんにく、玉ねぎ、トマト、ピーマン、鶏肉を油で炒め、ターメリックやクミンやレッドチリペッパーなど香辛料を入れて煮込んでできあがり。インドのカレーと何が違うんだ?という感じだが、カライのほうは野菜、とりわけトマトが大量に入るから、味わいがより豊かになるように思う。
くわえて、パキスタンでは普通の食堂でナンが出てくる。インドもそうだろう、と思った方、チッチッチ。日本のインド料理店とは違い、インドではそれなりに高級なレストランでしかナンは出ない。たいていはチャパティだ(南インドは米)。全粒粉を発酵させずに鉄板で焼いたクレープ状の素焼きパンで、ボソボソしていて味気ない。これだけを食べていると何か物悲しくなってくる。
対して、発酵させて釜で焼いたナンは厚みがあってふわふわと柔らかく、甘味がある。自分の顔より大きい焼きたてナンにかぶりつくと、天日に干したばかりの布団に顔を埋めているような心地になり、目尻が垂れてくる。これとチキンカライを合わせて食べるのが至福だった。
ところで、僕はヨーロッパからユーラシア大陸を東進、つまり日本に向かって走ったため、カレー文化圏の最初の国はパキスタンだった。で、ナンとチキンカライを食べ、これまで食べていたカレーとは次元の違うスパイスの鮮烈さと、地元の料理ならではの迫力に感嘆し、これから始まるカレーワールドに胸が躍ったのだけれど、どういうわけかインドに入ってからはずっと首を傾げ続け……あ、いや、旨い店もあるんですけどね。でも自転車で田舎をまわると、ちょっと……。
文:石田ゆうすけ 写真:島田義弘