2021年7月号の特集テーマは「ハンバーガーとホットドッグとクラフトビール」です。自転車で世界を旅した旅行作家の石田ゆうすけさんが、初めて海外に出たのは大学卒業直前でした。そこで食べたハンバーガーの味とは――。
和歌山の田舎で育った僕は、高校まで約10kmの道のりを、自転車で通っていた。途中、海辺にぽつんと、一軒のホットドッグ屋が立っていた。
いつも素通りしていた。看板の《ホットドッグ》の文字が色あせ、人気のないその店は、風景の一部でしかなく、入っていく人なんかまずいないんじゃないかと思えた。
それだけに、同級生のひとりが「あそこ旨いで」と言ったときはびっくりした。
「え、お前、あの店に入ったん?」
「何度か」
こともなげに言う彼がずいぶんと大人びて見えた。
ある日、その彼と一緒にホットドッグ屋に寄った。
出てきたホットドッグにはマスタードがのっていて、とてつもなく辛そうに見えた。当時の僕はおでんのカラシしか知らなかったのだ。昭和の時代、コンビニもハンバーガーチェーンもない田舎の子供なんてだいたいそうだったんじゃないだろうか。
かぶりつくと、マスタードはちっとも辛くなかった。さらにはパンとソーセージの隙間から、カレー味の炒めた千切りキャベツがあふれ出してきて、意表を衝かれた。
ホットドッグってこんなに旨いものだったのか、と思った。田舎の15歳にとって、何か初めて外の世界と通じたと感じさせてくれるような味だった。
それから何度か帰りに寄ってホットドッグを食べた。いつ行っても客はいなかった。
いまはもうその店はない。振り返っても、夢でも見ていたような気分になる。あの海にぽつんと浮かんだような店は、ほんとに実在したのだろうか……。
ただ、カレー味の千切りキャベツやマスタードの色や味だけは、奇妙なぐらいはっきりと記憶に残っているのだ。
その後、僕は京都の大学に進学してアルバイトに精を出し、2年生への進級時に休学、自転車日本一周の旅に出た。
1年かけて日本をまわり終える頃には、「よっしゃ、次は世界一周や」とエネルギーに満ち溢れていたのだが、大学に戻ったら腑抜けてしまい、ダラダラと学生生活を送った。
企業に内定をもらってサラリーマン人生へのレールが敷かれ、卒業を間近に控えたある日、このままじゃまずい、とニュージーランドに飛んだ。英語圏で治安のいいこの国を、世界一周の前哨戦として走ってみようと考えたのだ。
初めての海外に僕はビビりまくっていた。現地に着き、空港の公衆電話からユースホステルに電話したら、英語がほとんど聞き取れず、イラついた声が電話口から聞こえ、ますます萎縮してしまった。
自転車を組み立て、走り始めると、おもちゃのような街が青空の下を流れていった。”ガイジン”がたくさん歩いている。見るものすべてが新しいのに、海外に来たという喜びや興奮は皆無で、なにより実感も得られず、終始夢でも見ているようだった。
なんとかユースホステルにたどり着き、倒れ込むように寝た。
翌日はまる1日、街観光にあてたのだが、相変わらずぼんやりしたままだった。海外という自分からかけ離れた別世界では、こうして現実感のないまま時間が過ぎていくのだろうか……。
古びたバーガースタンドでハンバーガーを頼んだ。
出されたものの大きさに目を剥いた。チェーン店のハンバーガーの2倍はゆうにありそうだ。
かぶりついてみると、バンズもパティもにおいが違った。パティの牛肉にはどこか草の香があり、最初は羊肉かなと思った。さらにはバンズとパティのあいだから千切りキャベツがあふれ出し、意外な思いがした。カツサンドならわかるけれど、ハンバーガーで?
このとき初めて、夢から覚めたようにまわりの景色が鮮やかに色づき、「別世界に来たんだ」と実感した。
食べ進めるにつれ、最初の違和感は薄れていき、少し獣っぽいクセのある肉や、肉汁でしんなりした千切りキャベツがだんだんおいしく感じられ始めた。これから面白いことが始まる、そうワクワクさせる味だった。
その後、何年も海外を旅するようになるのだが、初めて異国で食べたあのハンバーガーの記憶は、色あせることなく、ひときわ鮮明に残っている。田舎の子供が初めて外の世界と通じた、あのホットドッグの記憶と、意識下でつながっているのか、千切りキャベツの印象が妙に重なるのだった。
文:石田ゆうすけ 写真:和田裕也