世界の○○~記憶に残る異国の一皿~
ミャンマーの人懐こいおばさんたちによるおかわり攻撃|世界の食堂⑤

ミャンマーの人懐こいおばさんたちによるおかわり攻撃|世界の食堂⑤

2021年5月号の特集テーマは「食堂」です。クーデターが起こり、凄惨なニュースが報道されるようになってしまったミャンマー。旅行作家の石田ゆうすけさんは、一昨年にミャンマーを旅しました。大らかで、どこか懐かしい雰囲気を感じられた現地の風景とは――。

どこか懐かしい雰囲気がある「最後のフロンティア」

僕がミャンマーを自転車で旅したのは2019年だ。アジア最後のフロンティアと呼ばれ、海外からの投資が集まり、国内の空気や人々の表情は活気に満ちていた。暗黒の軍政時代が半世紀も続いたあと、2011年に民政移管され、大統領に就いたテイン・セイン氏が軍部出身にもかかわらず民主化への改革を断行、そうして2016年にはスーチー氏率いる民主政党に政権交代、と明るい方向に進んでいる真っ最中だったのだ(もっとも、少数民族弾圧は改善の兆しが見えず、また軍の政治への影響力は癌細胞のように残ったまま等、多くの問題を抱えた状態であり、そのことが現在の軍部の凶行につながるわけなのだが)。

鎖国状態が長かったせいか、人々はすれておらず素朴で親切で、田舎を走っていると飲み物や食べ物を与えられることが頻繁にあった。
あるときは、ひどい食あたりになって、体調不良のまま自転車をこいでいたのだが、田舎の商店に入り、ぐったりした状態で買い物をしていたら、店の女性が奥からイスを持ってきて、笑顔とジェスチャーで「ここで休んでいきなよ」と勧めてくれたことがあった。弱った心にその笑顔が染み入り、なんだか泣けてきたものだった。

バスターミナルで調べたいことがあったので、人に聞いてまわっていると、「この人が詳しいから」とひとりのおじさんを紹介された。だが、そのおじさんもたしかなことはわからず、結局彼も街の一区画ほどある広大なターミナル内を歩きまわってバス会社を一社一社訪ね、聞いてまわるほかなかった。
僕の知りたいことが判明するまで1時間ほどもかかっただろうか。そこまでしてくれるからには、今までの経験上、おじさんからはチップの要求があるだろうし、僕も当然払うつもりでいた。
ところが、おじさんは僕の用事が終わると「じゃあな」と言って去ろうとする。僕は慌てて、「ディーハー、パオッシー(これで肉まんでも)」と昼食代を彼に渡した。おじさんはえっ?と意外そうな顔をしたが、照れたように微笑み、「チェーズティンパーテー(ありがとう)」と言って受け取ってくれた。

そんなミャンマーの田舎の食堂には、いかにもこの国らしい大らかさがあった。
走り始めた初日のことだ。英語表記のない田舎の食堂に入り、英語で「ライス?」と聞いてみた。3人の店のおばさんたち全員が困った顔で首をひねっている。
厨房を見せてもらい、ご飯と豚肉の煮物を指で差すと、おばさんたちは「わかった」といったように頷いた。
席に着くと、僕が頼んだもの以外に、スープやサラダをはじめ、野菜の炒めたのや煮たの等々、日本の定食屋の小鉢のような小皿料理が次々に出てきた。どうやら料金に含まれているらしい。料理はどれも田舎っぽい味だが、悪くなかった。

おばさんたちはにこやかにいろいろ話しかけてきた。チンプンカンプンだが、僕も笑顔でめちゃくちゃな相槌を打つ。おばさんたちはからから笑いながら、小皿料理やご飯をどんどん継ぎ足してくれる。メインの豚肉以外は、なんとお代わりも無料らしい。腹一杯になっても継ごうとするので、「フル(満腹)」や「イナフ(もう十分)」と英語で言ったが、それも通じず、皿を手で覆ってようやく"お代わり攻撃"が終わった。

「お会計」はミャンマー語で「シーメー」だ。日本語の「締め」と同じだなと思い、一発で覚えた。その言葉を告げると、おばさんは指を2本立てて言った。
「ツーサウザンド(2000)!」
なんでそこだけ英語やねん!

日本円にして約160円のその金額を支払い、「さようなら」のつもりで「ベッラウッレ」と言った。自転車に乗り、もう一度「ベッラウッレー!」と声を上げ、笑顔で手を振ったのだが、おばさんたちは妙な顔をしている。あれ?と思い、書き出しておいた"覚えるべき必須ワード一覧"のメモ書きを見ると、「ベッラウッレ」は「ハウマッチ(いくら)?」だった。僕は笑顔で手を振りながら「ハウマッチー!」と叫んでいたわけだ。

ひとりニヤニヤ笑いながら走っていると、「ハロー」という声が聞こえてきた。見ると、田んぼに膝までつかり、田植えをしているおばさんたちが満面に笑みを浮かべ、僕に向かって手を振っている。なんとも牧歌的で、そしてとても新鮮な感じがした。そういえば、作業中の労働者からこんな反応が来ることは、世界でもほとんどなかった気がする。

この国の人々は、どこか余裕がある。国土もいかにも豊穣だ。田んぼは一面に陽光を浴び、光があふれていた。僕も笑顔で田植えのおばさんたちに手を振り返した。
前方を見ると、からっと明るい空が広がっていた。その下を、牛車がトコトコ蹄の音を鳴らしながらやってくるのだった。

2019年のミャンマーである。

文・写真:石田ゆうすけ

石田 ゆうすけ

石田 ゆうすけ (旅行作家&エッセイスト)

赤ちゃんパンダが2年に一度生まれている南紀白浜出身。羊肉とワインと鰯とあんみつと麺全般が好き。著書の自転車世界一周紀行『行かずに死ねるか!』(幻冬舎文庫)は国内外で25万部超え。ほかに世界の食べ物エッセイ『洗面器でヤギごはん』(幻冬舎文庫)など。