2021年5月号の特集テーマは「食堂」です。旅行作家の石田ゆうすけさんは、アフリカ・マラウイを旅している途中に訪れた食堂で、何か懐かしいような、不思議な感覚を覚えたといいます。奇妙な感覚を呼び起こさせた現地の食べ物とは――。
アフリカ最貧国のひとつ、マラウイの村で見た食堂は、ちょっと目を引く構造だった。大地に生えている巨木を支柱にして、それを取り囲むように四方から屋根が渡されているのだ。枝を広げる巨木の下に、円形の食堂ができあがっているのだった。
屋根は竹の骨組みの上に筵(むしろ)をのせた簡素なもので、隙間だらけだった。雨除けというより、苛烈な日差しを避けるためのもののようだ。
中に入ると、地元の人でごったがえしていた。酸っぱくて甘ったるいような強烈な体臭と、トウモロコシ粉を原料とした主食「シマ」のまるみのある穀物の香りが、スープのような熱気の中でとろとろと充満している。筵の屋根の隙間から何本もの光線が、シャワーのように差し込んで斜めに降り注ぎ、埃がキラキラ舞っていた。
肉じゃがのような料理「カランガ」と主食のシマを頼んだ。
シマは、ケニアやタンザニアでは「ウガリ」と呼ばれていた。トウモロコシ粉を熱湯で煮ながら木べらでこねたもので、色は白く、ぱっと見は蒸しパンだが、食感はもそもそしていて重い。トウモロコシ粉特有のにおいやクセもある。
2ヵ月前にケニアで初めて食べたときは、その独特の味と香りが、埃の積もった納屋を思わせ、少々閉口した。だからウガリとご飯の両方ある食堂ではいつもご飯を頼んだ。ただ、選択肢がない場合も多く、仕方なくウガリを食べていたら、徐々にその味にも慣れていった。
ケニアからタンザニアを経て、マラウイに入ると、道路が未舗装になった。自転車旅行にとっては辛い道だが、景色はいい。視界のすべてがアースカラーだ。アフリカを走っているな、としみじみ感動する。
子供たちの様子も変わった。ぼろを着た子がたくさんいる。彼らは僕が村を通ると「ハローハロー」と口々に叫んで笑顔で追いかけてきた。
ウガリはシマという名前に変わり、最初食べたときは、おや?と思った。味やにおいは同じだが、口当たりが違う。なめらかでしっとりしている。マラウイに入ってから世界は目に見えて貧しく、素朴になったのに、主食は一転、軽快で洗練された味になったのだ。
そのシマを何度か食べているうちに、いつの間にか好きになっていた。暑くて食欲のないときでも、シマはスルスルと喉を通る。現地で食べられているものには、やはり相応の理由があるのだ。
そのうちご飯よりもシマを選ぶようになった。また一歩、アフリカの大地に入り込めたな、となんだかうれしくなった。
冒頭の"巨木の食堂"を見たのは、マラウイに入って12日目のことだった。その日も暑さと悪路に苦しめられ、土埃を浴び、汗をダラダラ流しながら、病気の野良犬のようにふらふら走っていた。そうして村に着くと、"巨木の食堂"の屋根の下に逃げ込み、肩で息をしながら、シマとカランガを頼んだのだ。
スプーンがついてきたが、地元の人たちと同じように手で食べる。そのほうが明らかに旨いのだ。シマをひと口大にちぎり、手でこねると、甘みがだんだん増していく。それをカランガの汁につけ、肉や野菜と一緒に食べる。
口を動かしながら、ふと自分の指に目をやった。カランガの汁がべっとりついて、油でヌメヌメと光っている。赤みがかった油だ。トマト由来のものだろう。その赤いドロドロしたものにまみれた指をぼんやり眺めているうちに、何か懐かしいような、奇妙な甘い感覚が湧き上がってきた。素手で食物をつかみ、無心で口に入れる、遠い昔の快感......。物心がつく前の、幼児の頃の記憶か、あるいはもっと、はるか遠い昔の、何万世代も前の遺伝情報か......。
放心したように顔を上げ、まわりを見渡した。光線が何本も降り注ぎ、埃がキラキラ舞っている。その食堂の中で、人々は手づかみでシマを口に運んでいた。彼らも、僕も、獣のように食らっているのだ。体裁も自意識もすべてはがれて、人間がむきだしになっている......。
体の奥に熱を感じながら、再びシマをちぎり、手でこねながら口に入れた。ほの温かいシマの香りやすべすべした食感が、口の中で生きているように動いていた。
文・写真:石田ゆうすけ