2021年4月号の特集テーマは「シンプルパスタ」です。世界中どこにいってもパスタに出会うのに、どの地域でも「アルデンテ」の美味しいパスタが食べられないのはなぜだろう。不思議に思った石田さんは、一つの仮説にたどり着きました――。
前回に続いて、忘れられない世界のパスタの話をしようと思う。
ある雑誌の取材で、アルゼンチンの五つ星ホテルに泊まったときのことだ。
レストランでナスのアラビアータを頼んだ。運ばれてきた料理を見ると、ホテルの格のわりには盛り付けがちょっと雑な気もしたが、ま、そこは海外の五つ星、日本の基準で考えてはいけない。おおらかな気持ちで見れば、町の食堂よりははるかに美しいし、食器も上等なものを使っている。期待に胸を膨らませつつ食べてみると、スパゲティは伊勢うどんかと思うぐらいブヨブヨだった。
髪の毛1本ほどの芯を残したゆで加減「アルデンテ」は、日本ではもうおなじみの言葉だと思うが、イタリアと日本以外で通じる国はあるのだろうか、と首を傾げてしまう。イタリア以外の海外で食べるスパゲティは十中八九、というより、僕が食べたスパゲティに限れば100%のびていた。"ゆでおき"しているような大衆的な食堂では仕方がないけれど、ヨーロッパのそれなりのレストランで食べてもずいぶんと柔らかめだったのだ。
なかでも度を越してブヨブヨだったのは西アフリカだ。
村の市場ではときに、目をむくような形でスパゲティが売られていた。なんとばら売りだ。袋から麺を出して指の太さぐらいに束ね、輪ゴムで縛って売り場に並べている。米をおちょこ一杯から売るようなものだ。こんな少量からしか買えない経済状況なのか、と愕然とした。
このあたりの主食は米だが、スパゲティが主になっているような村もあった。そこでは、昼だけかもしれないが、食堂はスパゲティしか出していないようで、客もみんなスパゲティを食べている。僕も地面に置かれた木の長椅子に座り、同じものを頼んだ。スパゲティはケチャップと和えられ、大鍋に山盛り入っている。まるで給食だ。それを店の兄ちゃんはお玉ですくって皿にドサッとのせる。スパゲティをすくうというのも変な話だが、ケチャップと混ぜているうちにちぎれるのか、えらく短くなっていて、ご飯のようにすくえてしまう。もはや麺じゃない。食べてみるとねちゃねちゃして、まるでマッシュポテトだ。ただ、のびきってかさが増しているぶん、安価にお腹を膨らませることができる。
かように、世界各地でパスタを食べ、毎回のようにそのブヨブヨっぷりに脱力してきたのだが、それらのなかでもある意味、最も衝撃的だったのはイタリアの田舎で食べたスパゲティかもしれない。
道端で休憩していると、民宿の経営者だというおじさんが話しかけてきて、なぜか気に入られ、「宿代はいいから今晩ウチに泊まりなよ」と誘われた。
料理好きだと語るおじさんはその夜、スパゲティ・カルボナーラをつくってくれた。
いろいろ親切にしてくれたことを思うと、こんなことを言うのは本当に本当に申し訳ないのだが、という毎回のお断りをしつつ書くのだが、麺は昨日ゆでたのかと思うぐらいのびていて、さらに卵がスクランブルエッグ状に固まっているという、日本の田舎でもなかなかお目にかかれないようなカルボナーラだった。
ほかにもイタリアでパスタが柔らかい例は結構あった。麺の固さはどうやらイタリア内でも地域差があり、好みがわかれるようだ。
もしかしたら、日本は盲目的にアルデンテを是としすぎているのかもしれないな、とも思った。マスコミやグルメ漫画なんかの影響で、「アルデンテ以外は論外」といった作者個人のパスタに対する一面的な考えが、一般化され、さらにはマニュアル化され、その価値観に自分たちは過度に支配されてきたんじゃないだろうか。
と、そこであることに思い至り、ストンと腑に落ちた。
そうだ、本当は日本のうどんみたいなものなんじゃないだろうか。讃岐うどんや吉田のうどんがマスコミに持ち上げられ、コシの強いうどんが長いあいだもてはやされているけれど、元来、大阪や博多などふわふわ柔らかいのを好む地域もたくさんあるし、ブヨブヨの伊勢うどんなんかもあって、それぞれのおいしさがある。地域や好みによって固さや形が変わるのは、考えてみれば当たり前なのだ。
......ま、そうはいっても、ブヨブヨのスパゲティはやっぱり勘弁だけど。
文・写真:石田ゆうすけ