はらぺこ本屋の新井
今ぞ、無邪気にマカロニサラダ

今ぞ、無邪気にマカロニサラダ

書店員・新井さんの“食べる書評”第20回。食の嗜好というのは、大人になると変わるもの。苦手なものを好きになったり、逆に、大好きだったものを敬遠するようになったり……。

灰汁(あく)に漬け込んだ餅米で作るという、鹿児島の郷土菓子「あくまき」をもらった。茶色く染まった竹皮から剥がし、薄く切って砂糖入りのきな粉をまぶす。クセがあると聞いていたが、独特の風味と、他の餅菓子にはない透明感で、うっかり丸ごと1本平らげてしまった。まことに残念だ。

私には嫌いな食べ物がない。パクチーが臭いとか、鶏の皮が気持ち悪いとか、秋刀魚のワタは苦すぎるとか、生の玉ねぎは辛すぎるとか、生クリームは胃がもたれるとか、言ってみたいものである。

だが、子供の頃はひどい偏食だった。ピーマンの肉詰めは肉だけ食べたし、手巻き寿司は納豆しか巻かなかった。甘いおやつは大好きだが、ごはんは嫌いなものが多すぎて、食べることが億劫だったのだ。

それが一変したのは、年頃になって、ダイエットを始めたことがきっかけである。当時流行していた、りんごだけを食べるダイエットは、すぐにりんごの味に飽きてしまい、しかも思ったように体重も減らず、ほとんど何も食べない状態が何日も続いていた。空腹で台所をウロウロしていると、普段なら見向きもしない、コンロの上の鍋が目に付いた。中身は、苦手なニンジンが入った筑前煮である。しかし、一口つまんだ瞬間、ドンッと花火が上がった。ちょっと、どうかするほど美味しい。ニンジンってこんな味だった? うちのかあちゃん、料理上手すぎねぇか?

それからというもの、母親の作る料理は何を食べてもひっくり返るほど美味しく、特に苦手だった野菜は、食べられることが面白くて、いくらでも口に入った。もともと根を詰めるとやりすぎるところがある私は、あの時、本当に死んでしまうスレスレの状態だったのだろう。舌が美味しさを掴むコツを得たのか、もはや母の料理でなくとも、クセが強い食べ物ほど面白い、つまり好もしいと感じるようになってしまった。

『mc Sister』は、まだダイエットなんかを意識する前の私が、ちょっと背伸びをして読んでいた雑誌だ。そこで出会った「はまじ」こと浜島直子さんは、今や結婚して、子供を育てながらモデルを続け、テレビやラジオでも活躍している。彼女が書いた初めてのエッセイ集『蝶の粉』には、美味しそうな食べ物の話が度々出てきたから、よっぽど食べることが好きなのだろう。

職業は、18の時からモデルである。私と同じように、偏ったダイエットをしたこともあった。仕事柄、体型を気にしなければならないのは仕方がない。しかし、だからといって彼女がずっと食べたいものを我慢し続けているかというと、そういうわけでもなさそうだ。プロフィールのウエストサイズが昔に測ったままになっていて、今や現実とは大きく違うということが判っても、それを笑い話にする彼女に、あの頃の自分が救われた気がした。

大人になると、女性は特に「屈託なく食べる」ということができなくなってしまう。男性だって、成人病の心配もあるだろう。でも、エッセイに登場するお父さんは、浜島さんが子供の頃と変わらない。マヨネーズと胡椒をたっぷり入れたマカロニサラダでごはんが進んじゃうままだ。炭水化物に油たっぷりで、さらに炭水化物って......、と言わずに自分も「うん、食べる」と言える娘・直子の屈託のなさよ。

子供みたいに、無邪気な心で食べることはできないが、大人になった今だからこそ、たまにはいいか、という特別な美味しさが味わえるのである。

今回の一冊 『蝶の粉』浜島直子(mille books)
モデル・浜島直子の初随筆集。瑞々しい筆致で綴った、書き下ろし18篇を掲載。
これらは何ら特別ではない、誰にでも起こりうるささやかなこと。
“どうしてだろう、私は正しかったはずなのに”

文:新井見枝香 イラスト:そで山かほ子

新井 見枝香

新井 見枝香 (書店員・エッセイスト)

1980年、東京生まれ下町(根岸)育ち。アルバイト時代を経て書店員となり(その前はアイスクリーム屋さんだった)、現在は東京・日比谷の「HMV&BOOKS HIBIYA COTTAGE」で本を売る。独自に設立した文学賞「新井賞」も今年で13回目。著書に『この世界は思ってたほどうまくいかないみたいだ』(秀和システム)、『本屋の新井』(講談社)など。