2020年11月号の第一特集は「真っ当な酒場」です。旅行作家の石田ゆうすけさんがこの特集を見て思い出したのは、メキシコの酒場だと言います。カオスな風景の中で見つけた開放感と安らぎを感じた酒場とは――。
今回のお題は「真っ当な酒場」。......真っ当ってなんだ?
よくわからないが、飲んでいて心落ち着く場所が、僕にとってはそれにあたるかなと。
頭に浮かんだのはメキシコの酒場だ。
僕の旅の手段は自転車だ。陸伝いの旅は国境越えがおもしろい。越えた瞬間、呆気にとられるぐらい世界が変わる。
なかでも印象的だったのが、アメリカからメキシコへの入国だった。のどかなアメリカ側の国境を越え、メキシコに入った瞬間、通りは人で埋め尽くされ、あちこちで怒号が起こり、渋滞の車からはクラクションがヒステリックに鳴っていた。アメリカに入ろうとする人の群れだ。
歩道には、腕や足のない物乞いが5m間隔ぐらいでずらりと並び、暗がりにたむろしている男たちは僕をギロリとにらむ。あばらの浮き出た犬が何匹も涎を垂らしてうろうろしている。ビルや道路は震災直後かと思うぐらいひび割れ、ところどころ崩落し、風が吹くと土埃が舞った。まさに世紀末だ。道路のいたるところでアンモニア臭がする(メキシコの名誉のために言っておくと、この極端な世界は、僕が見た限りでは、ここシウダーファレスの国境付近だけだった)。
僕はすっかり怖気づいてしまったのだが、宿にチェックインして部屋に荷物と自転車を入れ、手ぶらで、つまり、いきなり襲われるリスクをいくらか減らした状態で町をのんびり散策すると、世界の激変ぶりがだんだんおもしろくなり、さらに屋台のタコスを食べるとあまりの旨さにテンションが跳ね上がった。それでメキシコ入国記念に一杯やろうと、路地裏の安酒場に飛び込んだのだ。
酒場の中は洞窟のように暗く、煙草のきついにおいが鼻をついた。
カウンターに座り、ビールを頼む。
暗さに目が慣れてくると、ド派手なおばさんや強面おじさんたちが見えてきた。みんなこっちをじろじろ見ている。
床にはなぜかオガクズが大量に積もっていた。客たちはなんの躊躇もなく、床にピーナッツの殻を捨て、唾を吐いている。どうやらゴミをまとめて掃除するためのオガクズらしい。合理的といえば合理的だが、見た目がすごい。店全体が掃き溜めといった感じだ。
ビールが運ばれてきた。頼んでいないのに殻付きのピーナッツも添えられている。チャームのようなものだろうか。チリパウダー様の赤い粉もついている。それをピーナッツにまぶして食べると、酸味とクミンが混じったような不思議な辛さが口に広がった。異国に来た――。静かな興奮がさざ波のように体に広がっていく。
ビールを飲みながら、次々にナッツを口に放り込んだ。カウンターの上にたまった殻を床に捨てると、ふっと身軽になった気がした。
まわりの客たちはもう僕のほうを見ていなかった。おじさんはおばさんの腰に手をまわし、別のおじさんたちは仲間同士でワイワイやり、みんな床にピーナッツの殻を投げ、なぜかやたらと唾を吐いている。その混沌とした世界で僕も彼らと同じようにビールを飲み、ピーナッツの殻を床に捨てていくうちに、えもいわれぬ解放感と、懐かしさにも似た安らぎのようなものが体の奥から湧き上がってくるのを感じた。ああ、そっか、とひとり合点した。気兼ねなく食べかすを床に捨てるなんて、赤ん坊のとき以来かもしれないんだ......。
ところで先日、同じような"安らぎ"を大阪でも味わった。市場の中の天ぷら屋だ。店内に入ると、床にアサリの殻が散乱していて、「キター!」と目がハートになった。アサリが山盛り入った味噌汁が名物なのだが、殻は床に捨てるのが暗黙のルールらしい。
その味噌汁を頼み、ほかの客たちと同じようにアサリの身を食べ、殻を捨てる。殻はコンクリートの床に落ちてチャリ、と音を立てる。次々に食べ、殻を捨てていく。チャリ、チャリ、チャリ、チャリ......。
はるか遠い昔の、温かい手触りを体の奥に感じながら、同時にメキシコの夜も懐かしく思い出していたのだった。
......とここまで書いて思ったけど、これってどっちかというと"真っ当じゃない"店ですね。すみません。
文・写真:石田ゆうすけ