ふさふさと毛深いそのカニは、汁にして食すと“ふわふわ”になるという。見た目がグロテスクだったり、生態が摩訶不思議だったりする怪魚たち。日本にいるまだまだ知られていない美味しい怪魚をご紹介します。
モクズガニはこげ茶色の毛がふさふさと生えた怪しいハサミを持つ。それがまるで、藻屑がからんでいるように見えるのでその名がある。足にも黒く短い毛が生えているという毛深いカニだ。食通ならば「毛深いカニ」と聞くと上海ガニを思い浮かべるかも知れない。ご名答。そう、上海ガニの仲間なのだ。「日本上海ガニ」と呼ぶ人さえいる。味も当然うまい。ゆでガニや鍋、炊き込みごはんなど料理のバリエーションも数多くあり、秋のモクズガニならいずれの料理でもみっちりと詰まった身を楽しめる。
ふだんのモクズガニは全国の河川や河口に生息し、秋になると産卵のために川を下って海に出る。このタイミングで川に網籠を仕掛けて生きたまま漁獲する。大量にはとれないし、とにかくうまいのでほとんどが産地で消費される。そんなモクズガニをとことん味わうなら「カニ汁」に尽きる。静岡県伊豆地方ではカニ汁を「ふわふわ」と呼ぶ。食べ頃になるとふわふわとしたモクズガニのエッセンスが浮いてくる。だから、「ふわふわ」。
「ふわふわ」は、数ある郷土料理のなかでも傑作の部類に入る。味噌で味をととのえることで、淡水生物の持つ独特の匂いが複雑豊穣な香りとなって立ち上ってくる。ひと口汁をすすれば、ふわふわとした口当たりがなんともおもしろい。沖縄には豆乳ににがりを入れて作る固まり始めのふわふわした「ゆし豆腐」という料理がある。その食感に似ている。ゆし豆腐と違うのは、生き物が持つ濃厚なうま味を含んでいることだ。舌ざわりを楽しんでいると、少しの抵抗もなく喉をすべり落ちて、うま味の余韻を残していく。ふわふわとした軽さの向こうに感じる味の奥行はかなり深い。
日本全国の漁師町を精力的に取材して50年。漁師料理に関する経験と知識は右に出る者なし。『旬のうまい魚を知る本』『豪快にっぽん漁師料理』など地魚の著書多数。
文:小泉しゃこ イラスト:田渕正敏