フライパンジャーニー プロ愛用の調理器具物語
老舗蕎麦屋の二刀流フライパン|フライパンジャーニー③前編

老舗蕎麦屋の二刀流フライパン|フライパンジャーニー③前編

名老舗蕎麦屋として知られる「神田まつや」。実は蕎麦前として人気な焼鳥は、フライパンでつくられていました。柔らかく、脂の旨味が魅力的な一品はどんなフライパンから生まれてくるのでしょうか。

人気蕎麦前を生み出す二つのフライパン

フライパンの話なんです、と言うと怪訝な声を出されることもあるらしい。そして大概は、「そんなに大したフライパン使ってないんですよ」と異口同音にお返事をいただく。

それがいいのである。

普通のフライパンから普通じゃないものが生まれる。だからこそ厨房の魔法の杖。そして魔法の杖だって、グリム童話の魔女が持ってるような、古木の根っこみたいなものはともかく、ハリー君だって、サリーちゃんだって、けっこう普通の棒をぶん回してるではないか。

では、あの店の、あのメニューを拵える、フライパンは一体どんなものなのだろうか――。

さて、見た目、なんの海外ニュアンスもない私だが、中学、高校時代を東南アジアで過ごした、いわゆる「帰国子女」である(ソレ自体あんまり好きな言葉ではないが)。東南アジアに住んでいたのは80年代でネットも何もない時代だったから望郷の念を癒す手段も少なかった。あちらに暮らすほどに「日本」というか「日本的」への渇望がむくむくわいたりした。
まだ十代の小僧は、一時帰国するたび、日本の街をふらふら歩き回った。そして、突然出会ったのが、その蕎麦店であった。で、いっぺんでファンになってしまったのである。それが、神田「まつや」、である。
いまだ終わることのない東京のスクラップアンドビルド・ラプソディーなど一顧だにしない佇まい。都選定歴史的建造物という建物は、引き戸をガラリと開けると、思いの外高い天井と黒塗りのテーブルに目を奪われる。

まつや

で、香り。つゆの香り、天ぷらの香り、それにもう一つ、フライパンで作るアレの香り。

で、アレを作るフライパンを見たかったのである。そう、「神田まつや」の、“焼鳥”である。

これが、いい香りなのだ。

近くで仕事なんかさっさと終わらせて、「まつや」の暖簾をくぐる。焼鳥とビールをまずたのむ。ほどなくして運ばれてきた皿を、相席した向かいの紳士がちらりと見る。ことさら旨そうに頬張って、ちょっと紳士を見ると目があって軽く会釈。なんですか、この、素敵な行きずりのやりとりは。

さて、焼鳥といっても、「まつや」の焼鳥は串にささってはいない。しっかり焼き目のついた、タレにからまった、太く白いネギと鶏肉がそのまま皿にのっている。
串から外した焼鳥なのかと思いきや、これが、実はフライパンで作られているのである。その事実は、実は、ある取材のときに厨房を見せていただいた時にこっそり目撃してしまったのだ。イエス、役得、ごめんなさい。

「フライパンっていうから、なんだろうなあ、って思って」
店主の小高孝之さんが笑った――やっぱりそう思いますよね。でも、そこなのです。

白衣姿がいつも凛々しい小高さんは、「まつや」の六代目である。
書物には四代目と書いてあるものもあるが、「まつや」の創業者は福島市蔵さんという人物で、福島家が二代つづいた後、小高家が引き継いだ。小高家としては初代の小高政吉さんが現在の場所に、現在の建物を店を建てた。ちなみに、このあたり、神田の須田町近辺は東京大空襲でも焼けることがなかったから、古い戦前から残る建物がちらほら。

「そしたら、これなんですけどね、たいしたものじゃないんだけど」
で、小高さんに厨房に案内され、フライパンを見せてもらって驚いたのである。小高さん、フライパン二刀流なのだ。
数多くの時代小説を残した池波正太郎が贔屓にしていたことでも知られる「まつや」とはいえ、これは想像していなかった。

小高さん

一つは、見かけもサイズも、フツーの台所とか深夜の通販番組で見かける雰囲気のフツーのフッ素加工のフライパン。もう一つは、これはプロフェッショナル感にあふれた、アルミのフライパンである。こちらは、目玉焼き一個分サイズの小型のものだった。

文:加藤ジャンプ 写真:岡本寿

店舗情報店舗情報

神田まつや
  • 【住所】東京都千代田区神田須田町1-1-13
  • 【電話番号】03-3251-1556
  • 【営業時間】11:00~19:45(L.O.) 土曜祝日は~18:45(L.O.)
  • 【定休日】日曜日
  • 【アクセス】東京メトロ「淡路町駅」より2分