はらぺこ本屋の新井
正しく健全なるヨーグルト

正しく健全なるヨーグルト

堂々と得意げに、ヨーグルトを口にする新井さんと、ある小説の登場人物。……と、それに隠れて缶チューハイを飲む女の話。

粉末のプロテインを水で溶いて飲むほどではないが、タンパク質を積極的に摂取しようと心がけている。これから老化していくいっぽうの我が肉体に、少しでも筋肉を付けておきたいからだ。

子供の頃、実家の冷蔵庫には、常に「ダノンヨーグルト」があった。特にいちご味がお気に入りで、4つ繋がったパックからパキンとひとつ取り外すのだが、たいてい2つ3つと食べてしまう。栄養士の資格を持つ母親が、子供の健康を考えて買い置きしていたのだろうが、私にとって「ダノン」は、プリンやアイスと同じ、おやつだったのだ。

実家を出て自分で買い物をするようになると、ヨーグルトは銘柄に拘らず、特売品を選ぶようになった。小分けのものは、やや割高だ。ところが「ダノン」から「オイコス」という、タンパク質に特化したヨーグルトが登場すると、私にとっての「ダノン」が、一変した。筋トレの効果を高める、栄養補助食品になったのだ。甘さは控えめで、こっくりと凝縮したように固い。なんだ、この高級感は。いちご味を買うと、底にソースが敷き詰められていた。何より値段が違う。タンパク質も倍なら価格も倍ほど。しかしこれは、おやつではない。正直とっても美味しいが、背徳感は全くなかった。むしろ誰かに褒めて欲しいとすら思っている。

家族じまい』は北海道のある家族を描いた物語で、両親は釧路、姉夫婦は江別、妹夫婦は函館と、住まいはバラバラだ。妹の乃理は、3人の子供を育てつつパートで働くという、忙しい日々を送っていた。年下の夫は下戸だが、毎晩「飲むヨーグルト」を欠かさず飲んでおり、多いときでは一日で1リットルパックの半分をも、無邪気に飲み干した。

ビールのロング缶を何本も飲むような酒飲みと比べれば、かわいいものである。だが、飲むヨーグルトだって決して安くない。十勝ブランドなら尚更だ。家庭で煮出した麦茶とは訳が違う。仕事を終えるとランニングで帰宅し、引き締まった背中を見せながら喉を鳴らす夫は、正しい。だが、乃理の心はざわつく。

ある日、乃理はスーパーで飲むヨーグルトをカゴに入れた後、ふと目に留まった安売りの缶チューハイも放り込んでしまう。身体に良さそうな飲むヨーグルトとは違い、安価な缶チューハイは明らかに嗜好品だ。夫に隠れて飲むのは、後ろめたいからである。だからこそ、美味かった。それ以降、乃理の酒量は増えていく。痴呆が進んだ母親の面倒を、たったひとりで見ている父親にも、後ろめたい。実家に寄り付かない薄情な姉なんかには、絶対に知られたくない。

健康的で若々しい夫と、酒が飲みたくて仕方がない乃理の差は、開くいっぽうだ。 そして、筋肉が付きやすい体質だったのか、腹筋がバキバキと割れ始めた私の身体と、なめらかなくびれがある理想の体型との差も開くいっぽうなのであるが、オイコスが食べたくて仕方がない。

今回の一冊 『家族じまい』 桜木紫乃(集英社)
「ママがね、ボケちゃったみたいなんだよ」。
突然かかってきた、妹からの電話。認知症の母と、齢を重ねても横暴な父。両親の老いに姉妹は戸惑い、それぞれ夫との仲も揺れて……。別れの手前にある、かすかな光を描く長編小説。

文:新井見枝香 イラスト:そで山かほ子

新井 見枝香

新井 見枝香 (書店員・エッセイスト)

1980年、東京生まれ下町(根岸)育ち。アルバイト時代を経て書店員となり(その前はアイスクリーム屋さんだった)、現在は東京・日比谷の「HMV&BOOKS HIBIYA COTTAGE」で本を売る。独自に設立した文学賞「新井賞」も今年で13回目。著書に『この世界は思ってたほどうまくいかないみたいだ』(秀和システム)、『本屋の新井』(講談社)など。