2020年7月号の第二特集は「昼めし」です。世界中を旅した石田さんに、素晴らしくおいしかったもの、日本の常識では考えられないものなど、数々の「昼めし」を紹介してもらいましたが、「昼めし」と聞くとどうしても思い出すイランでのエピソードがあると言います。その印象的な体験とは――。
メキシコの日替わりランチは飽きることがなかった、と前回書いたが、これは相当に珍しい。同じ国に長くいれば、だいたい食べ物には飽きる。とりわけ顕著だったのはイランだ。
イスラム教の国では飲酒が禁じられている。当然飲みにいく習慣もない。じゃあ、おじさんたちはどうするのか。なんとスイーツに走るのだ。アラブ菓子の店に彼らはたむろし、楽しそうにおしゃべりしている。最初見たときは目を見張ったが、この話はまたの機会に。
昼めしの話だ。
飲みにいく習慣がないから必定、外食文化は発展しない。店の数も少ないし、食のバリエーションも限られる。旅行者には辛い。
夜はまだいいのだ。僕の移動手段は自転車で、荷物をたくさん積めるから、自炊道具も持っている。好きなものをつくって食べられる。
でも昼めしは面倒なのでどうしても外食になる。イランの昼食の選択肢は、田舎だと「羊肉つくねのせご飯」か「コッペパンサンド」ぐらいしかない。たまに「鶏肉のせご飯」があるかどうか。いずれも味は悪くないが、せいぜい3種類なのですぐに飽きる。
一応断っておくと、貧弱なのは外食文化であって、イラン料理自体が未成熟というわけじゃない。
イスラム教には客人をもてなすようにという教えがあり、イランでも頻繁に家に招かれたが、そこで出される料理は変化に富み、手が込んでいた。
そのなかでも忘れられない昼めしがある。
イランは親切な人も多いが、少々面倒な人も多い。自転車をこいでいると、男たちが原付バイクで追いかけてくる。親しげに話しかけてくる人、黙って並走し続ける人、いろいろいるが、下品な笑いを浮かべ、からかってくる者も多い。いずれのタイプも日本人の感覚からすると、ちょっと粘着質で、なかなか僕を放してくれない。延々と、ときには何十台もついてくる。正直、かなりしんどい。
その日も町に近づいたところで、原付バイクの音がうしろから聞こえてきて、「またか……」とうんざりした。昼めし前の時間だった。
バイクが横に並んだ。小柄なおじさんだ。50代ぐらいか。ヘルメットはかぶっていない。頭が禿げ上がって、垂れ目で、泣いているような、気弱そうな顔だ。はぁ、とため息が出た。バイクの並走に辟易しているうえに、この日は向かい風と坂にさんざん苦しめられ、誰とも口をききたくないほど疲弊していたのだ。頼むから、俺をひとりにしてくれ……。
男は並走しながら「どこから来たんだ?」と公用語のペルシア語で聞いてきた。小さな声だ。
ペルシア語はイランに入って勉強したので少しは話せたが、僕はわからないふりをした。
彼は英語で同じことを聞いてきた。やはり蚊の鳴くような声だ。ザラリとした気持ちになり、気が付けば僕は大きな声を出していた。
「What? I can’t hear you」
彼は気にするそぶりも見せず、たどたどしい英語でしゃべり続けている。ますますイライラが募った。
「OK, bye-bye」
そう言うと、彼もつられて「バイバイ」と言った。だが並走をやめようとはしない。
僕は自転車をとめ、地図を見るふりをした。彼はそのまま走り過ぎていった。しばらくして顔をあげると、彼は前方でバイクをとめ、僕を待っている。はぁ。
観念して走り始めた。彼も再びバイクを走らせ、僕の横に並ぶ。
彼は真下を指して言った。
「ここはコラムダーレ」
相手が何を伝えようとしているのか、考える気力すらなかった。彼がか細い声を出すたびに疲れきった神経に障った。頼むから、もうやめてくれ……。
僕は卑劣な手段に出た。「さよなら」をペルシア語で言ったのだ。
「ホダーハーフェズ!」
彼の体がピタリと静止した。バイクを走らせながら、上半身は僕のほうに向け、アクセルを握る手と逆の左手は、顔付近まで上げ、前方を指していた。顔もこっちに向けていたが、目だけは僕から逸らし、前方を指している自分の左手の指先を悲しそうに見つめている。その姿で凍りついたように固まっていた。消え入りそうな声が彼の口からもれた。
「次の町はアブハール……」
彼はアクセルを緩め、後退していった。背後から小さな声が聞こえた。
「ホダーハーフェズ」
自転車をこぎながらハンドルを握る手が震えた。何をしてるんだお前は。彼は現在地を教えようとしてくれていただけじゃないか。お前は一体、何様なんだ?
自棄的な感情が突き上げ、うあああっと声を上げた。しかし彼の凍りついたポーズは頭から離れなかった。
直後に1台の車が僕を抜かし、前方でとまった。太った大男が降りてきて「10kmほど先に俺ん家があるから寄ってくれ。昼めしをご馳走したいんだ」と言った。
さっきのことがあったばかりで、彼らのもてなしを受ける気には到底なれなかった。曖昧に返事をすると、「待ってるから」と男は車で去っていった。
僕は道路を見つめ、重い気分で自転車をこぎ続けた。
いつの間にか、さっきの大男の家を過ぎていたらしい。彼は車で追いかけてくると、まっすぐな目で僕を見つめ、言った。
「Come please……」
顔が熱くなった。どうして、俺なんかに……。
家に行くと、家族総出で迎えてくれた。豆のシチューと炊き込みご飯が出された。シチューにはサフランが入っており、その香気と豆のほくほくした温かい味わいが、ひとさじごとに体に染みた。「ホシュマッゼ(おいしいです)」と言うと、彼らは朗らかに笑った。僕は「ごめんなさい」と「ありがとう」の両方が詰まった、泣きたいような気持ちで、料理を口に運び続けた。
いまでも昨日のことのように思い出す、昼めしの話である。
文・写真:石田ゆうすけ