世界中を旅している中で、レベルの高い和食に出会うこともあった石田さん。しかし、何かが足りない気がしてならないと言います。海外でで出会う和食にはいったい何が足りないのでしょうか?
海外で最も安く日本食が食べられる町は、僕が見てきた限りでは、ヒンドゥー教最大の聖地、インドのバラナシだ。世界中から旅行者が集まるので、商魂たくましいインド人たちは各国の料理を店のメニューに揃えている。外観は普通のインドの大衆食堂なのに、メニューを開けば、イタリアン、フレンチ、スパニッシュ、メキシカン、イスラエリー、チベッタン、中華料理、韓国料理、日本料理……ほんまにつくれるんかい!
しかも安い。日本料理では「KATSUDON」が日本円にして約73円!「TENPURA」は約48円!(2001年の値段。現在はこの1.5~2.5倍になっている様子)
「KATSUDON」を頼んでみると、トンカツがのったご飯に、かき玉スープがどろりとかかった天津飯のようなものが出てきた。「TENPURA」を頼むと、キュウリやトマトの天ぷらが出てきた。「MISO SOUP」は具が皆無で、ネギの一片も入っていない、ほんとに汁だけの味噌汁だ。なのに、これが天ぷらと同じ48円。値段のつけ方までめちゃくちゃやないか。一応、インスタントの出汁を使って、日本の味噌汁同様につくっているようだけれど、なんというか、炭酸のないコーラのような気の抜けた味だった。
おもしろくなって、バラナシ中のあちこちの店を試した。なかには日本の味に近い料理を出す店もあり、テンションがちょっと上がったが、それでも何かが決定的に足りないような気がした。
それが何かはっきりわかったのがお隣、ネパールの首都カトマンズだった。
ヒマラヤ登山の基地で、日本人に人気の町だ。日本食レストランも多数ある。そのうちの1軒「古都」は、この旅で唯一、日本食を“食べる”という目的で目指した店だった。「カトマンズに行ったら『古都』のヤングマン定食を食べろ」と道中さんざん言われてきたからだ。ご飯お代わり自由の生姜焼き定食らしい。旨い、安い、腹いっぱい食える、ということで、日本人旅行者、とくに飢えた自転車旅行者のあいだでは伝説的な店になっていた。
カトマンズ自体が、旅人には「休息所」のような特殊な町だった。旅行者はたいていインドから入る。インドはなかなかに疲れる国だ。インド人お決まりの台詞「ノープロブレム」に対し、旅行者は「プロブレムだらけだ!」と気色ばむ、その果てのない繰り返し。国境を越え、ネパールに入ったら、急に人も景色も穏やかになる。ホッとする。物価も安い。羽を休めよう。カトマンズで日本食を食べて長旅の疲れを癒そう。そう考える旅人は多い。
日本を出てから7年目にようやくそのカトマンズに着いた。「古都」に直行し、ヤングマン定食を頼んだ。日本円で約280円。バラナシの日本食と比べるとかなり高いが、ここは“日本食専門”のレストランなのだ。ものが違う、はずだった。
実際、“インド和食”のような珍妙さはなかった。米はジャポニカ米だし、料理もちゃんとしている。久しぶりにまともな和食だと思った。十分に旨い。なのに、感動がないのだ。懐かしいとさえ感じず、出来合いの弁当を機械的に口に運ぶように淡々と食べていた。やっぱり、どこか気の抜けたような味なのだ。
水、食材、食べる環境、それら日本と異なるあらゆる要素が、この違和感を生み出しているのだろう。でも最大の要因は……口にするのも気恥ずかしいのだが……愛じゃないだろうか!
「古都」の生姜焼き定食を食べながら、これをつくったネパール人シェフは、まかないで和食を食べているだろうか、と思った。インドのバラナシの店も、ケニアやベルギーの日本食レストランも、そう。調理人たちは、和食が好きでつくっているだろうか。とくに好きでもなく、普段から食べもせず、だから理解もなく、あくまでビジネスで、レシピどおりつくっているだけなら、機械生産と変わらない。
もっとも、和食を愛し、技術だけでなく精神も学んだ本格派のシェフが腕を振るう店は、海外にもたくさんある。ただ、高級すぎて、自転車の旅では近寄れなかった。そもそも先に書いたとおり、和食が恋しくならなかったので、高いお金を払って食べる必要もなかったのだ。
一方、愛と味の関連性について、カトマンズの「古都」とは逆の意味で、深く考えさせられた和食があった。
アルゼンチンでのことだ。
――つづく。
文・写真:石田ゆうすけ