シェーヴルチーズは、山羊のミルクでつくられたチーズです。独特の酸味と香りが特徴で、フレッシュタイプから熟成タイプまで、さまざまな種類が楽しまれています。今回は、フランスのロワール地方にあるシェーヴルチーズの生産地、シャヴィニョル村を訪ねました。こういうときこそ、食のことをじっくり勉強するいい機会です。チーズ好きに贈る、シェーヴルチーズのつくり方や味わい方。チーズとワインをお家でじっくり味わいながら、現地取材ルポをお読みください。
ロワール河沿いに古城や深い森、葡萄畑が広がる“フランスの庭園”と呼ばれるロワール地方。春から夏にかけて町のマルシェやフロマジュリー(チーズ専門店)を賑わせるのは、山羊のミルクでつくった旬のシェーヴルチーズだ。
穏やかで温かい気候に恵まれたロワール河中流域は、16世紀の昔から山羊の牧畜が盛んなところ。冬から初春にかけて出産シーズンを迎える雌山羊は、5ヶ月の妊娠期間を経て出産し、春に芽吹いたばかりのフレッシュでみずみずしい若草や花、ハーブを食べて栄養豊富な乳をたっぷり出す。そのため、この時季のミルクでつくられるシェーヴルチーズは、まさに旬の味。そのおいしさは格別なのだ。
シェーヴルチーズの歴史は古く、数千年もの昔に遡る。西アジアの遊牧民が山羊の乳を山羊の胃袋に入れて移動していたところ、胃の中の酵素と反応して固まったのが始まりといわれている。フランスへ伝わったのは8世紀。アラビアから侵攻してきたサンセラン軍がトゥール・ポワチエの戦いで敗れた後に置き去りにしていった山羊を飼育し、チーズづくりを行なったのが起源だそうで、現在もポワトゥ地域はシェーヴルチーズの一大産地として知られている。
山羊はほかの家畜に比べて粗食に耐え、飼育にも手間がかからないため、古くから人々の暮らしに欠かせないものだったのだ。
なかでもサンセールに程近い、シャヴィニョル村とその周辺でつくられるのが、フランス人がこよなく愛するシェーヴルチーズの逸品「クロタン・ド・シャヴィニョル」である。シャヴィニョル村でチーズづくりが盛んになったのは19世紀末。フランスの葡萄の樹をほぼ全滅状態に追い込んだ大災害、アメリカの害虫“フィロキセラ”によって葡萄畑が使いものにならなくなった村では、山羊を放牧してチーズづくりに精を出すようになったという。
ころんと丸い大福のような、おにぎりのような形をした、直径5cm、高さ4cmほどの小ぶりのシャヴィニョルの楽しみは、何といっても熟成による味わいの違い。フレッシュなものは真っ白で、山羊乳の独特の爽やかな酸味があるが、熟成するにつれて酸味は和らいで旨味が凝縮、濃厚なコクが生まれる。どのタイミングで食べるかによってまったく味わいが異なるため、“熟成士”と呼ばれる専門家がいるほどだ。
もちろんフレッシュなものを買い求めて保存すれば、少しずつ水分が蒸発して青かびが生えて乾燥し、色や風味が変化することに変わりはない。だが、プロの熟成士によるものは、熟成のための塩のまぶし方から、形の整え方、専用の熟成庫での温度管理まで一貫して手間と時間をかけて行なうため、完成後の状態や味わいは大きく異なっている。家で鮮度を落とさずに上手に思いどおりの状態に熟成させるのは、かなり難しいといっていい。
たとえば地元でも有名な熟成士のロマン・デュボワ氏は、“フェレ”と呼ばれるフレッシュタイプから、1ヶ月半熟成の“ブルー”、壺に入れて密閉しねっとり熟成させた強い香りの個性派“ルパセ”まで、7段階もの熟成期間が異なるシャヴィニョルをつくっている。これこそ「チーズ通が最後に行き着く味」といわれる所以だろう。
フランスの人々はそれぞれ好みに合わせて何種類も買い求め、当然のことワインと楽しみ、サラダやオーブン焼きなどの料理、デザートにも使う。おまけに1個の値段は、航空便を利用する日本の1/4ほどだから、羨ましいことこの上ない。
シャヴィニョルと抜群のマリアージュをみせるのは、何といってもソーヴィ二ヨン・ブランの最高峰といわれる“サンセール”の白ワインだ。フレッシュで繊細な味わいのシャヴィニョルに、すっきりと上品な香りでミネラル感豊かな白ワインの組み合わせほど心躍るものはないだろう。熟成したシャヴィニョルには、サンセールのロゼや赤を合わせるのもおすすめだ。
日本では優しい酸味のクセがないフレッシュタイプがポピュラーだが、地元ではシャンピニオンのような香りやナッツのようなコク、栗のようなほくほくとした食感をもつ熟成タイプが圧倒的に好まれている。
“チーズは風土の産物”といわれる。製法はそれほど変わらないのに、何故これほど味や個性の違いが生まれるのか。次回は、伝統のつくり方で品質を守る「クロタン・ド・シャヴィニョル」の故郷、シャヴィニョル村の農場を訪ねる。
文:瀬川 慧 写真:水島 優