世界の○○~記憶に残る異国の一皿~
パタゴニアの大自然の中で究極のひとり呑みを|世界のひとり呑み③

パタゴニアの大自然の中で究極のひとり呑みを|世界のひとり呑み③

もはや“ひとり呑み”が現地の人とつながる手段になった石田さん。そんな石田さんに最高の「ひとりで」「気兼ねなく」「しみじみと」楽しむ、“ひとり呑み”体験を語ってもらいました。

素朴だけど最高の美酒

アフリカの東部でも毎晩ひとりで酒場に行った(アフリカ全土で毎晩飲んでいたが、西部や南部では道連れがいた)
ただし、スコットランドのようにはいかない。アフリカも田舎は平和で、野宿も問題ないのだが(動物で怖かったことは3回あったが)、張ったテントを放置して酒場にいくのはさすがに不安だった。
そこで宿に泊まる。田舎だと顔が引きつるような宿もある。部屋は独房さながらで、ベッドがひとつ。廃校に何年も放置された体操マットのような敷布団に、雑巾のような毛布、鼻を近づけると腋臭のアロマ。壁は染みだらけ、隙間だらけ、蚊帳はあるけど穴だらけ、マラリアを媒介する蚊はわんわん飛び回っていて、はっきりいって自分のテントで寝るほうが何十倍もいい。ベッドを立てて部屋にテントを張ろうかとも考えてしまう(面倒だからしないけど)。
それでもわざわざお金を払い、テントではなく宿に泊まるのは、自転車や荷物のことを気にかけず、村の酒場で飲みたいからなのだ。

酒場のドアを開けると、アフリカのポップス「リンガラ」の爆音がドンと体にぶつかってくる。店内は男たちでごった返している。すごい熱気だ。
入っていくと、視線が一斉に注がれる。スコットランドの田舎と同じだが、ここからが違う。彼らはじわじわ近づいてこない。おじいさんがまるで僕を待っていたかのように、「ハローハロー」と顔じゅうに皺を浮かべて笑いながらやってくる。手を出され、握手すると、手を握ったまま奥のテーブル席に連れていかれ、彼らの輪に入る。そこでは男たちが小さいバケツのような容器に入った酒をまわし飲みしている。
隣のじいさんが僕に微笑み、その容器をまわしてくる。泡だらけの茶色い液体に、おがくずのようなカスが浮かんでいる。チブクだ。トウモロコシや粟で造ったどぶろくのような酒だ。飲むとまず酸味が来る。そのあと、とろりと甘い。特別うまい酒じゃない。ただ、彼らの輪に入り、おじいさんの皺だらけの笑顔を見ながら飲んでいると、幸せな気持ちになってくる。素朴な地酒が最高の美酒に変わる。
別のおじいさんが大声で何かしゃべりかけてくる。僕も大声で返す。じいさんはウシャシャシャシャと大笑いしながら手を上げる。僕も笑いながら手を上げ、ハイタッチする。じつは音楽がうるさすぎて、何を言っているのかまったくわからないのだけれど。
気分よく酔っぱらったあと、みんなにサヨナラを言って酒場を出る。見上げると満天の星だ。天の川もくっきり見える。楽しくて嬉しくて、なんだか泣きそうになる。夜風の肌触りがどこか懐かしい。千鳥足で宿へ向かう。酒場のリンガラの音が遠ざかり、草原全体から虫の声がわき上がってくる。目に涙をためながら、顔はゆるみっぱなしなのだ。

紙パックワインで最高の贅沢を

このように、旅先で現地に溶け込んだ気分になれたとき、僕はえもいわれぬ幸福感に包まれる。酒はそのための潤滑油であり、妙薬だ。
ただ、「全然“ひとり呑み”と違うじゃないか!」と突っ込まれると、そうなんだよなあ。僕の場合、旅先でやる“ひとり呑み”には、現地の人との交流という目的が多分にある。
先にも書いたとおり、「あえてひとりで、誰にも気兼ねなく、静かにしみじみ」という飲み方が“ひとり呑み”だとするなら、その最高のものを味わえたのは、南米のパタゴニアだった。
僕はワインが好きで、ほとんど毎晩飲んでいる。いいワインならいい料理と合わせるのが一番だと思うが、安いワインもシチュエーション次第で変わる。野外がいいのだ(自然の中だとどんな酒でも旨くなるけど、ワインは特に変わる気がする)。

南米大陸の南端、アルゼンチンとチリにまたがるパタゴニア地方は、大半が不毛の地だが、局地的に、切り立った山や氷河が詰まった、地球の宝石箱と言いたくなるような場所がある。
そのひとつ、チリの「パイネ国立公園」で9日間の山歩きをすることにした。途中に町はなく、キャンプ道具と9日分の食料を運ばなければならない。80リットルのバックパックははちきれんばかりに膨らんだ。それを見て一瞬迷ったが、「いいや必要だ」と思い直し、赤ワインを入れたペットボトルを押し込み、山中に分け入った。
終日歩くと、煙突状の岩山が3本そそり立つ場所に着いた。岩に西日が当たっている。始まりそうだ。急いでテントを張り、エアマットを膨らませて寝袋を広げ、あとは寝るだけ、というところまで準備してから、ワインをカップに注ぐ。
金色だった西日が、赤みを帯び始めると、火が灯ったように、岩と氷河が赤く染まりだす。マグマの音がゴゴゴ……と静かに聞こえてきそうだ。見とれながらカップを口に運ぶ。視覚の悦びが極に達しているなか、ワインの香りが鼻をかすめる。口元がゆるむ。カップに口をつける。なめらかな舌触りに、凝縮感のある果実味とタンニン。岩がみるみる色を変えていく。まるで生きて呼吸をしているかのように。赤い岩と自分だけが、この世で向かい合っている、そんな気持ちになってくる。
さらにひと口、含む。舌の上で転がし、ちびちび嚥下する。9日で1リットルしかないのだ。
岩が透き通ったピンクに変わっていく。ガラスのように澄みきった空気に、開いたブーケ、輪郭のくっきりした果実味に、ますますなめらかになっていく舌ざわり――もしやこれは名のある銘柄?
いえいえ、1リットル120円の紙パックワインです。

文・写真:石田ゆうすけ

石田 ゆうすけ

石田 ゆうすけ (旅行作家&エッセイスト)

赤ちゃんパンダが2年に一度生まれている南紀白浜出身。羊肉とワインと鰯とあんみつと麺全般が好き。著書の自転車世界一周紀行『行かずに死ねるか!』(幻冬舎文庫)は国内外で25万部超え。ほかに世界の食べ物エッセイ『洗面器でヤギごはん』(幻冬舎文庫)など。