海外では「ひとり呑み文化」はあまり見られないが、ひとりで呑んでいると思わぬつながりができることも。2020年5月号ひとり呑み特集とはまた一味ちがったひとり呑みの世界をご覧ください。
そんなわけで、海外のひとり呑み文化を挙げるのは困難なのだけれど、僕のほうはひとり旅だったから当然、各地でひとり呑みをやった。なかでも印象的だったのがスコットランドとアフリカだ。
スコットランドでは「グレンモーレンジ」というスコッチを飲むのを楽しみにしていた。影山民雄が著書で「こういうのが本物だ」と絶賛していたからだ。
いまでこそ日本のバーでも見かけるし、ネットでも簡単に手に入る酒だが、80年代に出されたその本には、現地でしか飲めない幻の酒、といったおごそかな様子で描かれていた。
アイルランドから船でスコットランドに渡ったその日に、早速村のパブに寄った。カウンターは常連客らしき人々で埋まっていたので、テーブル席に座る。こんな田舎じゃ目当ての酒はないかな、と期待せずに訊いてみたら、店主は表情も変えずにグレンモーレンジのボトルを棚から取り出し、グラスに注いだ。
フルーティな香りとバニラのような甘さに感じ入りつつ飲んでいると、カウンターで飲んでいた、村の古老といった感じの、白い口髭を蓄えたおじいさんが「どこから来たんだ?」と訊いてきた。
「日本からです」
「何してるんだ?」
「自転車旅行です」
「なぜこんなところにいるんだ?」
「何もないところが好きだから」
店内がドッと湧いた。いつの間にかみんなおじいさんと僕のやりとりに注目している。
「スコットランドの歴史を知っているか?」
「トラジディ(悲劇)だ」
じつはたいして知らないのだが、重々しい口調でそう答える。おじいさんはこっくりと深く頷いたあと、店主に何か注文し、そのグラスを僕のテーブルに置いた。
「俺のおごりだ。この村の近くで造られたスコッチだ」
さっきのより色が濃い。銘柄を訊くとグレンオールディだという。飲んでみると、苦いチョコのような味と香り。おじいさんは僕の顔をじっと見つめる。
「旨い」
僕がそう言うと、おじいさんは髭の奥で笑う。
別の男性が、「これも飲んでみろ」と言って別のグラスを置く。
「うん、これも旨い」
「わはは、そうだろ」
「これも飲んでみろ」
「次はこれだ」
そのようにして次々に地元のスコッチがふるまわれる。グラスを傾けるたびに「旨い!」「ああ、こっちもいい!」などと言い、そのたびに店内がわきあがる。な、な、なんちゅう楽しさや!
僕はすっかり悪いことを覚えてしまった。
それから毎日のように、あえて小さな、宿もないような村を目指して自転車を走らせた。牧場に行って頭を下げ、牧場の隅にテントを張らせてもらう。適当に晩飯をつくって食べ、村一軒のパブに行く。ドアを開け、僕が入ると、客たちは「えっ?」という顔をする。日本人を見るのが初めてという人もいるかもしれない。
ひとりで飲んでいると、やがて誰かが話しかけてくる。そして毎夜同じことが繰り返される。
ふるまい酒を何杯も飲んでいるうち、いつしか味の違いもわからなくなっている。古めかしい店の、ガス燈のような黄色い明かりの中に、村人たちの笑顔が浮かんでいる。映画を観ているようだ。次第に現実感が薄れていく。あれ、ここはどこだっけ?……そうだ、スコットランドの、名前も知らない村だ。そんなところに自分はいるのか。
なんだか夢のように感じられてくる。最高の酩酊だな、と思うのだ。
――つづく。
文・写真:石田ゆうすけ