2020年2月。快挙の報(しらせ)が飛び込んだ。デンマーク・コペンハーゲン「noma」で、ドメーヌ・タカヒコのワインがリストに掲載されたという。造り手の曽我貴彦さんに会いに、冬の北海道余市町を目指した。
日本のワイン界に光を照らす、快挙の報(しらせ)が届いた。
食の月刊誌を発刊するイギリスのWilliam Reed Business Media社が発表する「世界のベストレストラン50」にて、4度も世界一に輝いたデンマークのノルディック・レストラン「noma」。そのワインリストに初めて日本のワインがオンリストされたのだ。
そのワインとは北海道のワイナリー「ドメーヌ・タカヒコ」の自社農園産ワイン“ドメーヌタカヒコ ナナツモリ ピノ・ノワール2017”。
ワインにおける不朽のブドウ品種であり、日本での栽培が難しかったピノ・ノワールの魅力をこれまでにない解釈で引き出した1本である。ドメーヌ・タカヒコは日本でも多くの熱狂的なファンを持つも、生産量が限られるため、なかなか出会えない希少なワインだ。
この度の朗報を受け、造り手の曽我貴彦さんに会いに飛んだ。
北海道余市町登(のぼり)地区。余市町のホームページには「北海道の中でも比較的温暖な気候に恵まれた町として知られています。」と書かれているが、それはあくまでマイナス20度の世界も稀じゃない北海道基準の話。
2月中旬のこの日、ドメーヌ・タカヒコの曽我貴彦さんは雪原のブドウ畑の中にいた。
曽我さんは、ココ・ファーム・ワイナリーの農場長として10年働いた後、2010年に自身のワイナリーを設立した。初めから育てるブドウはピノ・ノワールだけと決めていた。栽培に適した冷涼で水はけのいい地を求め、全国50ヶ所、それに海外も候補地に踏まえ、もっとも条件に見合う余市に移り住んでブドウを育てはじめた。
現在、4.6haの農地のうちの約2.5haにピノ・ノワールのみを12,000本ほど植えている。
曽我さんは、雨が降る気候ではいいブドウに育てることが不可能と言われているピノ・ノワールを、化学農薬・肥料、除草剤不使用で育てている。実はこれ、日本の醸造家に衝撃を与えたとても革新的なことなのだ。
でも意外にも、曽我さんの口からは「僕は決してストイックな造り手じゃないですよ」という言葉が飛び出した。
「余市には、100年以上前からキャンベルやナイアガラといったブドウを植えている土壌があります。そもそもブドウが無理なく育つ風土があるということです。僕がやっているのはみんなが真似できる有機栽培です。目を三角にしながら“俺にしかできない特殊な農法”をやるのでは続かないし、広がりません。僕がやっていることを周りの農家さんもやってみようかとなったときに、実現ができれば自然に広がっていきます。きちんと収入が得られてしっかり暮らしていけることも大事ですね。それが“風土形成”につながっていくと思うのです」
醸造所の中へとお邪魔した。
「ドメーヌ・タカヒコ」の知名度に反して、そこは納屋を改造したという小さく素朴な建物だった。
「僕のワイン造りは、農家が造れるものをベースにしているんです。余市にはワイン用のブドウ農家が約50軒もいて、他県が副業のブドウ農家が多いのに対して専業の方が多い。なのに、僕が来たときにワイナリーは余市に1軒しかありませんでした。ワインのテロワールとは、その土地で採れた素材を使ってかつてはそれぞれの家で造っていた味噌や漬物と近く、文化と一緒に広がっていくものです。だから、農家の納屋で造れるガレージワインでいいじゃないか、と考えました」
実際、曽我さんはこの醸造所を予算1,000万円でスタートした。納屋のリフォーム代、搾り機や瓶詰機、タンク20個の購入。それら全部を合わせて、だ。
さらに、収穫したブドウは除梗せずにとにかくまずタンクに入れ、寒い部屋に放置したままゆっくり全房発酵させる。
この醸造法も風土のひとつで、こういった造り方をすることで大手では造れないワインになる、と考える。
「僕が自分のワインをコンクールに出さないのは、感覚ではなくマーケティングに基づいたマニュアルのワイン造りになってしまうからです。それはある意味、風土が失われていくということです。日本は微生物王国です。マイナスな点もありますが、たくさんの不思議な微生物がいてワインも美味しくなる。畑もワイン造りも微生物とうまく付き合いながら、感性で造るもの。マーケティングに流されず感性で造れば、その造り手ならではの、そして日本のワインならではの多様性が生まれます」
そして、曽我さんはグラスにワインを注ぎ、差し出してくれた。
グラスに生命が吹き込まれたような、透明感のある、光るワインを口にしてみた。
――つづく(次回は16時に公開!)。
文:沼由美子 写真:中島博美