ある日、信州は松本に住む北尾トロさんから連絡がありました。「おやき、食べたことある?すげー旨いよ」。おやきは何度か食べたことはありますが、何やらただならぬ雰囲気。話を聞いてみると、どうやら衝撃のおやきと出会いを果たしたようなのです。
松本市在住で鳥撃ちハンターの僕は、冬になると空気銃を持って川や溜め池にいるカモを獲りに行く。つい先日終わったばかりのシーズンの猟果はわずかにカルガモ1羽だったが……。
それはいい。ここで言いたいのは信州名物として知られているおやきのことだ。
シーズン開幕日の11月15日は、鳥撃ちの師匠の地元である長野市まで遠征し、日の出とともに山間部に点在する溜め池を巡回して、カモを探すのが習わしになっている。
この日は、朝食の用意を師匠がするから手ぶらで来いと言われていた。2時間ほど、あちこち見ただろうか、山間部の集落に軽トラを止めた師匠が「朝飯、知り合いに予約してあるから」と古民家風の家に入っていくではないか。店でも何でもない、ただの民家である。
しばらくすると、師匠が湯気の立つ紙袋を抱えて出てきた。
「ここ、おやきを製造してるんだよ。地元の生協なんかに卸すんだけど、できたてを買ってきた。旨いから食べてみて」
言われるまま、ラベルに"野沢菜"と書かれたヤツをひとつ取り出して食べてみた。僕はおやきが好きじゃなかったのだが、ほかに食べるものもないのだ。
そうしたら、これがぶっ飛ぶほど旨いではないか。皮はモチモチで具材は良く味が染み、噛めば肉汁ならぬ菜汁があふれ出てくる。できたてであることや山の中という環境を割り引いても、これまで食べたおやきとレベルが違う。
どういうことかと思い、有名なおやき職人がつくっているのかと師匠に尋ねると、そんなことはないという。
「好きな味だけど、有名なところはほかにもたくさんあるよ。まあ北尾さんは松本だから無理もないか。おやきは北信(長野県北部)のソウルフードだからね」
信州は、北海道、岩手県、福島県に次ぐ面積を持ち、北信、東信、中信、南信という4エリアに大別される。
このうち、おやき文化圏と言えるのは北信と東信で、岐阜に近い南信は五平餅文化圏。松本のある中心はどちらともつかない地域で、おやきも五平餅も食べるがソウルフードとまでは言えない。
師匠によれば、北信地域では30年ほど前まで、おやきは家庭でつくるのが当たり前で、店すらほとんどなかった。そんなふうだから、みんな味にうるさい。町で売られるようになってからは、皮の厚さや焼き方、具材など、さまざまに工夫を凝らした専門店がたくさん誕生したという。
うむむ、なんたる不覚。僕は信州に移住して7年になるが、最初のころに食べたおやきをさほど旨いと思わなかったため、それ以上の関心を持たずに過ごしてきたのだ。
悔やむ理由はほかにもある。家庭の事情で、僕は2020年の春に信州を離れなければならなくなったのだ。このままではおやきを知らぬまま移住生活が終わり、悔いを残すことになる。
待てよ。
おやきという食べ物の名前は全国に知られていても、どこでも手に入るほどポピュラーではないから、食べたことのない人は案外多いのではないだろうか。まして、手づくりしたことのある人はもっと少ないだろう。信州人以外からのイメージを代弁するとしたら、饅頭のように見えて、中に野菜や切り干し大根が入っている一風変わった食べ物といったところだろう。
おやきへの誤解を解き、真の実力を知って欲しい。そのためにはどうしたらいいか。
自分でつくれるようになればいいのだと思った。僕自身、信州を離れたらおやきを買って食べる機会は激減する。その前につくり方を学ぶのだ――。
こうして僕は、おやき教室の門を叩くことになった。
――つづく。
文:北尾トロ 写真:中川カンゴロー