おやきづくりの術を習得した北尾トロさんが、信州の町へと繰り出します。案内人は信州おやき協議会会長の小出陽子さん。店を構える達人たちがつくる、めくるめくおやきを味わいます。
おやきのつくり方を習った後は、小出先生から長野市内にあるおやきの名店を案内してもらうことにした。
「おやきにはいろいろなスタイルがあって、私がつくるものはその中のひとつにすぎません。ぜひ、おやきの自由さを味わってほしいです」
たとえば生地に使う粉ひとつとっても、中力粉と強力粉で食感がまるで変わってくる。強力粉にベーキングパウダーやドライイーストを加えて、菓子パンのようなふかふかした生地にすることもある。仕上げは焼いたり蒸かしたり、軽く焼いてから蒸かしたり、揚げたってかまわない。
代表的な具は野沢菜、切り干し大根、きざみ茄子、にら、かぼちゃ、おから、きのこ、つぶあん、黒胡麻あん、りんごやサツマイモなどだが、山菜も合うし、カレーやラタトゥイユ、煮卵、ナムルや中華味まで何でもおやきになるから、組み合わせはそれこそ無数だ。
「たとえばここ、『さんやそう』は蒸かすタイプの伝統的なおやきで人気の店です。今日は何があるかな」
善光寺の門前にあり、観光客も多く訪れる「さんやそう」はおやき専門店ではなく、地元野菜を使った総菜から果物まで多彩に扱う店だ。今日のおやきは、代表の芳川智恵さんを中心とする17人のグループが手づくりした8種類。蒸かしているのにうす皮で、旨味の凝縮された具がみっちり詰まっている。
う~ん、さすがの腕前だ。芳川さん、これ、素朴そうに見えてノウハウがたくさん込められているのでは?
「自分たちが食べてきた味を、地元農家に協力してもらいながら提供しています。お客さんからは、田舎のおばあちゃんがつくるような懐かしい味だと言われますね」
話している間にも、何個か買っていく観光客が絶えない。かと思えば地元の常連らしき人もふらっとやってくる。病院帰りに立ち寄ったというご婦人は、どっこらしょと椅子に座っておやきをひとつだけ買い、熱いお茶を飲みながら頬張っていた。まるで自宅の居間みたいな過ごし方だけど、食べているのがおやきだと自然に見える。
もう一軒、門前町から路地を入った場所にある、昭和10年創業の「南屋製菓店」へも行ってみた。餅とおやきが有名な店で、小出さん曰く、おやきの売り方が徹底しているとのこと。どんな売り方をしているのか、三代目店主の田中正昭さんに伺った。
「その日につくったものをその日に売ることですかね」
おやきの食べ頃は、なんといってもつくりたて。この界隈ではおやきを朝食に食べる人が多いので、田中さんの起床時間は午前3時半と豆腐屋並みに早い。
専用の機械で小麦粉をこねて生地をつくり、具材の下ごしらえ、味付けを種類ごとに行う。
開店時間は午前7時。蒸かした完成品がすべて店頭に揃うのは8時だそうだ。午後には売り切れてしまうものが続出するが、数を多くしないのは、ベストの状態で食べてもらいたいからである。
「南屋製菓店」が徹底していることはほかにもある。具材となる野菜や小豆は地元の契約農家のものだけを使い、主力の野沢菜に至っては、自分の畑で栽培しているのだ。家族経営の店でここまでやる。だから地元で長く愛されているのだろう。
「おやきはソウルフードだから、地元の食材でつくりたいですよね。野沢菜はほら、自分でつくるほうがいしね、ははは」
僕の住む松本もそうなのだが、信州では自分の畑で野菜をつくる人がたくさんいて、“農”が暮らしに溶け込んでいる。自分で食べる野菜をつくる人は、味はもちろん、安全性への意識も高い。田中さんが地元の食材を使うのは、そういう理由からでもあるだろう。
「南屋製菓店」のおやきも蒸かすタイプで、「さんやそう」より皮がふっくらしている。総菜パンを食べるようにパクパク食べたいおやきで、コーヒーにも合いそうだ。
僕はうす皮タイプが好みではあるが、休日の朝に食べるとしたら、ふっくらおやきもいいなあ。
それにしても食べ過ぎた。おやき教室から勘定すると、すでに7個も胃袋に収めている。それでも飽きないおやき、ただものじゃない。
引っ越しした後、信州が懐かしくなったら、僕はおやきをつくろう。野沢菜の調達が難しい?なーに、それこそチャンスだ。
野沢菜を買うためだけに信州まで駆けつける。これに勝る贅沢な休日の過ごし方は滅多にないだろうから。
おわり。
文:北尾トロ 写真:中川カンゴロー