佐渡島に着いた。あぁ気持ちいい。小学校の酒蔵は素敵だなぁ。なんて旅気分に浸っている余裕はこれっぽちもないのです。酒造りはすでに始まっていて、挨拶も説明もないままに蒸した米と向き合うことに。蔵人への道、スタートです。
くねくねの坂道を上り、さらに小高い丘のてっぺんに学校蔵はある。外履きのスニーカーを脱ぎ、すのこに上がって下駄箱からスリッパを取り出す。ラブレターが入っていそうだなぁ、なんて浮かれた台詞を呟くと、エベさんが「スリッパ履く前に振ってくださいね。ゲジゲジが紛れ込んでいるかもしれないから」と言う。遅い。すでに履いていた私は、軽く「ぎゃー」と叫んだ。
廃校になった小学校は、建物自体がきっと記憶を持っているに違いない。水飲み場、階段の踊り場、板張りの廊下、体育館のステージの緞帳(どんちょう)。
仕込室は、元理科室である。素早く着替え、頭にてぬぐいを巻いて、白い長靴を履いて引き戸を引く。途端にどこからか、早く早く!と声がした。
「ちょうど蒸し上がるところです」
尾畑酒造の、本物の蔵人だ。手を石けんでよく洗い、よく乾かして、ゴム手袋を装着。
別の蔵へ取材に行った時、「手の洗い方でその人の意識がわかる」と語った蔵元がいる。蔵人はもちろん、同業者、見学者、取材者であっても、手の表裏、指の間、手首までしっかり気を入れて洗う人なのかどうか。自分たちの神聖なる蔵へ招くに足る信頼を、彼らはそこで見極めているということだ。
この時の取材クルーは私を含め「みなさんやはりプロだ」と言っていただいたが、薄氷を踏む思いがした。以来、私は念を入れ過ぎるほど手を洗ってしまう。
というわけで、手洗いにとても時間がかかる。
「こっちです!」
蔵人の声にはっとして、もうもうと立ちこめる湯気の中へ飛び込んでいく。私が一人遅れたせいもあるだろうが、プリントが配られるとか、杜氏からの説明とか自己紹介とか、のんびりしたプロセスは一切なし。きつねにつままれたようにエベさんの背中に続くと、そこはもう酒造りの現場である。
甑(こしき)と呼ばれる、羽釜を大きくしたような釜から、若い蔵人が蒸米をシャベルですくい上げ、布の上に載せる。それを2人がかりで運び、メッシュ状の箱にのせ、米をほぐしながら平らにし、冷ますという作業。見たことならば何度もある、放冷である。
布の4隅をしっかり握って、「せーの!」で持ち上げると、蒸米はずっしりと沈み込もうとする。重い。こぼさないよう、転ばないよう、気をつけるほど変なカニ歩きになった。頭と身体が連動しない、なんという不器用さなんだ、自分。
「米は熱いので、広げる時はこうやって布を使って」
本物の蔵人、瀬下要さんがお手本を見せてくれた。ビニール手袋をしてもなおやけどするくらいの熱さだから、布を被せるようにして中央から端に向けて広げていく。塊をほぐしつつ、再び中央へ寄せては崩す、その作業を繰り返す。
熱いし暑い。あっという間に眼鏡が湯気で曇り、私はひとりホワイトアウトだ。コンタクトレンズで来るべきだった、なんて反省している余裕もない。早く、早く。でも「お米をこぼしたら、その分お酒が減るからね」とエベ編集長が大真面目に言うので、丁寧に。それを80キロ分、何度も繰り返し、米をほぐしながら冷ましていく。
酒米の蒸米は、炊きたての白米よりずっと黄色い。そして硬い。カチコチの硬さでなく、スーパーボール(古いと言わないで)のような弾力を持つ硬さである。
表面の水分が飛ぶと、米はその本性を現してくる。強さというのだろうか。何かとんでもなく生命力を蓄えている一粒、大げさに言うと命の根源を扱っているような感覚が沸いて仕方ない。初日の最初の作業、たった1、2時間のできごとなのに、すでにガツンとやられてしまった。
杜氏の中野徳司さんが米をぐにゃりと握って温度などを確かめ、うん、と頷く。様子を見守っていた蔵人は、その頷きで、今度は一斉に米を麹室(こうじむろ)―ここは元理科準備室―へ移し出す。引き込みという工程だ。
運ぶ際は米を再び布の真ん中に寄せるのがコツ。水分が飛んだせいかさっきより少し軽く、dancyu webチームは2人1組で運んだが、尾畑酒造の蔵人は1人でもひょいと持ち上げる。尊敬。
麹室の中央に設えた大きな台に、五百万石80キロの山ができた。その山を平らにならして人肌(36度くらい)まで温度を下げ、種麹を振る。ここからは麹を造る、製麹(せいきく)という工程である。
種麹とは麹菌の胞子のことで、米に付着させて麹菌を生えさせる。中野杜氏は精密に分量を計り、筒状の容器にそれを入れた。筒の片方の口には2枚重ねのガーゼをつけてあり、細かな種麹が均一に拡散するようになっている。日頃ぼんやり思っていたことだけど、ガーゼってやっぱり優秀。
「動かないでね」
蔵人2年生のエベさんが、新人の私たちに釘を刺した。種麹は、人の動きで起こる空気の流れに影響されるほど、儚く軽いから。固まって落ちたり散ってしまえば種麹の付き具合にムラができ、完成する麹にもムラができる。だから換気口も塞ぎ、無風状態を作り出すのだ。
杜氏が筒を頭の高さに持ち上げ、手首を決まった角度に動かして振った。まるで神事だ。私の頭の中で、鈴の音がしゃん、しゃん、と鳴り響いた。
霞のような微粒子がガーゼをすり抜け、くるりふわりと舞いながら、空中に消える。それらが米に降りて、落ち着くまでの時間をじっと待つ、ざわっとするほどの静寂。目には見えないけれど、まるで見えているかのように全員が空(くう)を凝視して息を呑む。
「じゃ、イカワさんから」
杜氏がおもむろに筒を差し出し、私はフリーズした。実際の蔵では何年もかかるだろうこの役割を、学校蔵ではこんな新人にも与えていただけるのか。
酒造りはよく、「一麹、二酛、三造り」ともいわれる。麹菌の力を借りて初めて発酵できる日本酒は、製麹の段階が最重要勝負。つまりは責任重大。とは肝に銘じつつ、ラッキーは享受しよう。
「高い位置から、振るように」
はい!と筒を受け取って、しゃん、しゃん……あれ?全然出てこない。
「真っすぐ下向きでなく、少し斜めにするのがコツです」
どこかから飛んできた言葉に、なぜか牛の搾乳を思い出した(これも取材)。少し斜めに、ピュッ。出た!
かろうじて種麹は出てきてくれたけど、なんだか好き勝手にどこかへ行っている気がしてならない。仕方ない。振っている本人が、どこが狙い所で、どのくらいの量でどうなるか、をわかっていないのだから。私にできることは、ただただ「健康な麹米が育ちますように」と祈るのみ。
だからか、振り方も神事どころか、博打打ちのサイコロ振りだ。いや、サイコロ振りに失礼だ。
中野杜氏に「どんなことを考えて振るのですか」と訊ねた。
「余計なことは考えず、無心です」
そうか。杜氏とは、あらゆる段階を経てその境地まで達した、ダライラマのような人のことだろうか。
――つづく。
文:井川直子 写真:大森克己