スーパーの精肉売場の前を、まんざらでもない男と通りかかったとき、「君は牛肉みたいだね」と言われれば、「あら、もちろん黒毛和牛よね?」などと、まんざらでもない。だが、「牛みたいだな」と言われると、「もちろんホルスタインよね?」とは返せない。体にたかる虻を、尻尾でぴーしぺーしと叩いている、あの牛に私が?
だが、「シャトーブリアン級の美女だね」などと、歯が浮いて飛んでいきそうな言葉で褒められるより、乱暴な言葉でいじられるほうが、安らぎを感じる場合がある。もちろん相手によるが、かわいいとか美しいとか言われても、自己認識から遠すぎて、気味が悪いだけだからだ。
「おまえ、牛みたいだな。のろまでマイペースだ」
ある夏の夜、父親を事故で亡くした女子大生の元に、血を流しながら飛び込んできた男が言い放った言葉だ。彼は写真家で、父親の友人だった。
翌日から二人は、親子でも恋人でも友人でもない関係で、ひたすら食事を供にする。
看板に「鳥」の文字しかない店では、メニューにない鶏釜めしを、真っ先に頼んでおいた。細長い湯呑みに注がれた濃厚な鶏スープには、あっという間に膜が張った。男の唇と違って、鶏の刺身は美しいピンク色だった。事情で店を早く出ることになり、釜めしは包んでもらって、持ち帰ることにした。
家に戻ると、男は釜めしをおにぎりにしてくれた。いびつなそれを、まるまる一枚の海苔でぐしゃぐしゃとくるんだので、こちらも真似をして、ぐしゃぐしゃばりんとやった。海苔の香りがプンとした。
ふたりが食べる行為を読むだけで、自分の喉がいやらしく鳴った。首筋にはなぜか、じっとりと汗をかいていた。
文:新井見枝香 イラスト:そで山かほ子