青春18きっぷ、各駅停車の旅。上野を始発で出発して約13時間後、僕たちは目的地の鶴岡にたどり着いた。そしていよいよ、東京から移住を果たした料理家のマツーラユタカさんのもとへ。彼が開いた新しい店で、彼の料理を食べることで、このマンダラ旅が完結するのだ。
宿の窓から柔らかい光が漏れる。雨は明け方にやんだようだ。
「おはようございます」
翌朝、8時30分に宿にマツーラユタカさんが車で迎えに来てくれる。東京でお会いした時と変わらず、やさしい顔のマツーラさん。
会うのは引っ越す前の昨年、マツーラさんの横浜の自宅で食事をして以来か。久々だけど、久々感が希薄。きっとお互いに。
SNSでなんとなくリアルタイムで近況を知ってしまう今は、時間の感覚が良い悪いではなく独特だ。
今日のスケジュールを移動しながら確認する。
鶴岡の朝ラーメンを体験、温海(あつみ)かぶの撮影、そしてマツーラさんの新しいお店「manoma(マノマ)」で料理を頂く予定だ。
ボリュームたっぷりの朝ラーメンを堪能したあと、マツーラさんが「少し次の予定まで時間あるので最近、出来たおもしろいホテルがあるから見にいきませんか?」と提案してくれる。
そこは「SHONAI HOTEL SUIDEN TERRASSE」という宿泊滞在施設。水田の中に浮かぶように現代的な建築が見える。
内装は北欧を思わせる雰囲気、ショップで売られる地元の作家さんの手仕事や、地元の食材を使った加工食品のパッケージに到るまで、
寒い国、木工、手仕事、優れたデザイン性という北欧と東北の共通した美意識がリンクする。
洋の東西問わず、雪に閉ざされる時間が長い土地では、冬は室内でものを考える時間や、何かを作るために手を動かすことが多いのかなと、ぼんやり思う。
そしてマツーラさんは施設内で会う人会う人と挨拶をしている。早くもマツーラさんはこの土地で着実に根を張りだしている。
焼畑で栽培している温海かぶの取材に行き、畑(木材を伐採した山の斜面)を撮影。畑に向かう道沿に流れる美しい川を釣り人目線でムラムラしながら見ていたら(渓流釣り師には川の景色はポルノなのです)、そこは前から釣りの本で目をつけていた川だと後から判明。
再訪は確実だ。
温海での取材を終え、いよいよ「manoma」にたどり着いた。
マツーラさんのパートナーで、装飾家であるミスミノリコさんとも再会する。
「manoma」は、僕が想像していたものと違う印象だった。
この物件を借りる前の話を以前マツーラさん夫妻から聞いていて、住宅街の中にある古いレストランを勝手にイメージしていた。
実際は通りに面したガラス張りの開放的な店で、2人が選んだものたちが窓辺で気持ち良さげに光を受け、陰影を作っている。
こういう思い込みというか、伝言ゲームのズレはある種の妄想を生む。それも創造的な行為なのかもしれない。
そして良い意味で想像を裏切られる喜びもある。
本来はお休みの日なので、マツーラさん夫妻は店を片付けたり、僕たちに出してくれる料理の支度を始める。
料理担当のマツーラさんが火を使う。戻した車麩をフライパンで焼きながら味を染み込ませて行く。
じゅ~~ジリジリジリと美味しい音がする。
その後ろでミスミさんは、いかにも「ローカルですから、私たち!」というツラをした不揃いの大根のような形のカブを丁寧に水で洗う。
2人は最小限の会話、ふと感じたことや思ったことを口にしながら手を動かす。ちゃくちゃくと料理は進む。
きっと幾度も繰り返されてきたであろう、いつもの2人の風景、いつもの会話。
ガラスの向こうの通りには小学生たちの姿が見える。いつの間にか学校帰りの時間になっていた。
この日は風が強く、天気がころころと変わる。戻す前のクスクス大の乾燥した固そうな雪がバラバラと降ったかと思えば、青空がのぞいたりと何やら忙しい。店の中は料理の火と、人の熱と、石油ストーブで暖かい。ガラスを境に2つの世界が同時進行しているようだった。
そう言えば「manoma」は「間の間」の意味だった。
ほどなくして、料理が整う。「manoma」は二十四節気に沿ってメニューを替える。この日は冬至のプレート。
車麩と大根の煮物を中心に、6種の冬野菜が使われた惣菜が美しく盛り付けられている。
調理された野菜の色に派手さは無いけど、東北らしいしっとりとした色気と渋さが陰影になって暗い皿の色に映える。
僕は仕事のバトンを受けて、マツーラさんとミスミさんの「今」として、その皿を写真にしていく。
普段はあまり料理を撮る時は時間をかけないよう心がけているのだけど、
すでに弱まった冬の太陽の光をこの皿にはゆるりと時間を与えたい。粛々とシャッターを切る。
それぞれの役割があり写真を撮る時、僕も存在して良いんだと確認できる。
撮り終えて、昼を食べ逸れた空腹4人は「いただきます」と手を合わせた。
ココナッツとスパイスを使った味に、横浜で頂いた料理を思い出したり、漬物を漬ける「芋床(いもどこ)」の話を聞いて、へ~ってなったりしながら、ひとつずつを味わう。以前頂いた料理と違うところは、野菜の新鮮さと味の濃さ。
肉よりも魚よりも、野菜は鮮度が大事だと常日頃から思ってはいるけれど、地方に住む一番の利点は野菜が近いことだと個人的に考えている。自分も40歳を過ぎてから、若い時より野菜を欲するようになってその贅沢さに気づいた。マツーラさんも季節季節の野菜の顔を見つつ、味見をしつつ、無意識に微調整しているはずだ。素材が良いと引き算ができるという心地よさ。結果、よりシンプルな形に近づいていく。
僕も日々の料理を作る人間として、同い年の人間として、そこに羨ましさを感じる。
空腹、ご馳走、羨望。不惑と言えども複雑なお年頃なのだ。人間だもの。
店の前でマツーラさん夫妻の写真を撮る。
未来のことは何ひとつわからない。
でも何年経ってもお二人にはこの店の前で、同じように笑顔で写真を撮られていてほしい。
そんなことを思っていたら、この旅という円は弧をきれいに描き、そしてぴたりと閉じた。
「ありがとう、さよなら、また来ます」
――おわり。
文・写真:萬田康文