東京都立浅草高校夜間部(正しくは、昼から夜の授業を担当する三部制B勤務)国語教師、神林桂一さんによる浅草エリアのランチ案内。足を運んで、食べて選んだ自作ミニコミ「浅草ランチ・ベスト100」より、今回は「喫茶・カフェ」部門へ突入。浅草に馴染み深い作家も通った老舗喫茶のビーフシチューが登場します。
今回からは、「喫茶・カフェ」部門のランチ編。コスパがよかったり、オシャレだったり、女性に人気だったり、まったりできたり。なにしろ我々の強い味方だ。
全国の喫茶店は、1981年をピークに減少の一途をたどっている。ことに個人経営の喫茶店は深刻だ。三大都市圏に限ると、1996年から2014年の間に40%も減っている(「三菱UFJリテール&コンサルティング」調べ)。
激減の原因は、缶コーヒーの進歩、大手チェーンの攻勢、若者の喫茶店離れ(選択肢の増加)、家賃や人件費の高騰、コンビニの100円コーヒー発売などさまざまだ。
そんな中、銀座~新橋・神保町・浅草などは昔ながらの喫茶店が多く残っているエリアだ。僕は、浅草の喫茶店77軒(+カフェ51軒)に行っているが、その中には「はとや」(1927年開業)「アロマ」(1964年開業)など純喫茶も27軒健在だ(純喫茶の反対語は不純喫茶…ではなく酒の飲める喫茶である)。
この77軒中、閉店した店は15軒(19%)。多くの文化人が愛した「アンヂヱラス」(1946年創業)の2019年3月の閉店はショックだったが、浅草の閉店率は低いことがわかるだろう。
今回は、本業の国語の教員らしく文学散歩風にお届けしたい。
僕は、都立両国高校定時制の閉課程まで10年間勤務したが、両国高校出身文学者というと、芥川龍之介氏・久保田万太郎氏(中退)・立原道造氏・半村良氏・落合信彦氏(定時制卒業)・石田衣良氏が有名だ。
SF作家として初めて直木賞を受賞した作家・半村良氏(1933~2002年・68歳。以後敬称略)には、「伝奇ロマン」を開拓した『石の血脈』、映画化もされた『戦国自衛隊』などの作品があるが、子どものころ夢中になったTBSのアニメ『エイトマン』(1963~64年)、『スーパージェッター』(1965~66年)の脚本も他のSF作家たちと共に担当した。
その半村良の『小説 浅草案内』(1988年・新潮社、現在はちくま文庫)という本をご存じだろうか。54歳から65歳まで暮らした浅草観音裏を舞台に、私小説風に、しかしフィクションも織り交ぜて紡いだ人情小説だ。
僕はこの本を雷門前にあったジャズ喫茶「がらん(伽藍)」(2008年閉店)の里井幸康氏から教えていただいた。浅草のオーセンティックバー「FOS」オーナーの森崇浩氏も大ファンだという。
1987年、昭和の終わり頃の浅草の実在の人物や店が登場する(橘屋円蔵師匠も)。大好きな文壇酒場「かいば屋」(閉店)や「正直ビアホール」(前シリーズ「観光客の知らない浅草~浅草高校・国語教師の飲み倒れ講座~神林先生のひとり飲み案内」で紹介)のほか、半村良が住んだマンションが浅草見番(けんばん・芸者衆の手配等を行う花柳界の中心施設)の裏路地にあったため、近所の釜飯「むつみ」「グリル佐久良」「栄寿司」、そば「弁天」、ねぎま鍋「一文」などお馴染みの店が出てくるのが楽しい。
凝り性の僕は、小説の世界を隅々まで歩き回り、実際に小説の中の観音裏の地図を完成させた。
この地図を携え、小料理「石松」、水炊き「とり幸」「うどんすき 杉」(閉店)、「カフェ エル」などを新たに訪問、当時のお話を伺って回った。中でも小料理「石松」は数々の人情ドラマの舞台となっている。
そして、今回紹介する「カフェ エル」は、半村良のマンションの目の前にあり、小説内でも重要な一軒だ。
「〈エル〉のお母さんは私にとって浅草のよきガイド役である。何しろ観音さまの裏手が奥山と呼ばれていたころからの家系で……」と書かれているように、先代の「おかあさん」が「下町らしい人と人とのつながり」を体現する存在として描かれている。おかあさんは、半村良が高校の大先輩として尊敬する久保田万太郎氏のことを「久保万さん」と親しげに呼び、口まねまで披露し、半村氏は呆気に取られる(「エル」の飼い猫「クマ」の名も出てきます)。
浅草出身の作家では土岐善麿・石川淳・池波正太郎も有名だが、久保田万太郎は小説・劇作家・俳人として活躍、最も浅草らしい作家かもしれない。
俳句については本業ではなく「隠し妻」とおっしゃっていたが、僕にとっては「久保万=俳句」だ。
「神輿(みこし)待つ間のどぜう汁すすりけり」
「熱燗やとかくに胸のわだかまり」
「鮟鱇(あんこう)もわが身の業(ごう)も煮ゆるなり」
「たかだかとあはれは三の酉の月」
「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」
両国高校で1年後輩の芥川龍之介は「東京の生んだ『嘆かひ(嘆き)』の発句」と評したが、その通り、しみじみとしたつぶやきのような句風からは人生そのものが感じられ、僕が心惹かれる所以(ゆえん)だ。
「カフェ・エル」は、お母さん、お姉さん、現在のママの村上加代子さんの三人で1976年に店を始めた。
「ELLE」とはフランス語で「彼女」の意味。パリの路地裏にありそうなオシャレな外観なので、開店時には話題となり、近所の人がタキシードやドレスでやって来たそうだ(ドレスコード有り?)。
店内もアンティーク調で重厚。壁には著名画家の作品がさりげなく飾られている。
その後、おかあさんが亡くなりお姉さんも店に立たなくなり、一人になったママ。多くのライバルがいる常連さんの中で、見事にママのハートを射止めたのは今のマスターの村上康夫さんだった。
ママは、「一番使えそうだったから。」とイタズラっぽく笑う。ママのお見立てに間違いはなく、マスターは優しくて実直。今でも店内が清潔できれいなのは、毎日マスターが1時間半かけて床まで雑巾がけしているおかげだ。今でもお客の8割は常連さんだそうだ。
半村良は、昼ごろ起きて「エル」でエスプレッソを飲むのが日課だった。小説に「エスプレッソが来て、私は小さなカップにそれを注ぎながら答えた」とあり、大型のマシンに慣れている僕は情景が浮かばなかったのだが、今回マスターに再現していただき、ようやく合点がいった。
イタリア・ビアレッティ社のエスプレッソ・ポットで提供されるのだ。このエスプレッソを目当てに全国からファンがやってくるという(ただし、現在、ポットは付きません。悪しからず)。
肝腎のランチだが「エル」には8種類あり、人気はハンバーグやドリア(特に女性)。
そして僕イチオシのビーフシチューだ。
和牛を使っており、ランチセットにはライス、コンソメスープ、ミニサラダ、飲み物がついて980円! 浅草の有名洋食店4店を調べたところ、セットで3,320円から4,800円(銀座は単品5,500円も)だったのでコスパ最高だ。
ママも「若い人にも気軽に食べてほしい」とおっしゃる。本当にありがたい話だ。
ソースもイタリアのトマトピューレを中心に手づくりしたもので、市販のデミグラスソースは少量しか入れないという。店が花柳界の中心にあるので、口の肥えた芸者さんが来たり、悪い噂はすぐに広まったりするので、料理の味については鍛えられたという。
半村良は『小説 浅草案内』の中でこんなことも書いている。
――私は他との衝突を未然に回避するセンスを『粋』と呼ぶのだと思っている。だから、『粋』は人ごみから生じたもので、あまり目立つのは『粋』なことではなかろう。
歩きスマホの連中に聞かせてやりたい名言だ。
僕も浅草で「粋な客」と呼んでもらえるよう日々精進したいと思う今日この頃だ。
しかし実際は、日々「檀家回り」(馴染みの飲み屋をはしごすること)に追われ、「飲兵衛の先生」として噂が広まっている。悪酔強酒(望んでいることと実行することが違うこと)・鯨飲馬食・酔生夢死・肥大蕃息(ひだいはんそく・どんどん太ること)の今日この頃である(トホホ……)。
文:神林桂一 写真:大沼ショージ/萬田康文