米をつくるということ。
収穫は喜びだ!|米をつくるということ㉒

収穫は喜びだ!|米をつくるということ㉒

稲刈り2日目。この日、東京へと帰る稲刈り隊は、なんとしてでもすべてのイネを刈り取らなければいけない。あぁ、それなのに、雨。午後から「雨上がる」の予報を信じて、向かった先は清津峡渓谷トンネル。自然の偉大さに心を揺さぶられ、いざ稲刈りである。刈って刈って刈りまくるぞー。雨に負けるもんか!

歩こう、歩こう、トンネルを歩こう。

三省ハウスに朝がきた。二段ベッドを出ると、冷気に肩がすくむ。雨粒が窓ガラスを叩く音が聞こえてくる。このひどい雨の中、稲刈りなどできるのか。ちょっと不安。

雨粒
窓を叩く雨の音がうらめしい。よりによって稲刈りの朝に降らなくてもいいのにと、天に向かって恨みごと。

さっそく小林名人に天気について聞いてみよう。が、名人の姿はもうなかった。夜明けには自分の田んぼに向ったとのこと。一番最後まで飲んでいたのに、なんてタフなんだ。どんなことがあっても朝5時には田んぼにいる、と言った名人のあの言葉は本当だった。
しかし、こちらはともかく朝の腹ごしらえだ。食卓の料理を見たとたんに元気が出てくる。納豆、昆布の佃煮、切り干し大根など、地元の里山料理に新米のごはんがうまい。朝からお代わりだ。

朝食
雨が降っても、お腹は減るんだな。きちんと朝食を食べて、稲刈りへと臨む(予定)。

昼前には雨がやむという予報を携えて、棚田スタッフの竹中想さんが三省ハウスにやってきた。相談の結果、雨がおさまるまでスタッフおすすめのトンネル見学(?)に行くことに。稲刈り隊一同、早速バスに乗りこむ。30分ほどで到着したが、やっぱり外は雨。バスを降りると、みんなでトンネル入口まで小走る。古くから行楽客に親しまれてきた絶景の名所だというのだが、なぜトンネルなの?ここが景勝地というのがどうもピンとこない。
「清津峡渓谷トンネル」は歩行者専用で、全長が750mもあるという。端まで長い道のりも、稲刈り前のいい準備運動になるはずと、中へ足を踏み入れた。

清津峡渓谷トンネル
清津峡渓谷トンネル。日本三大渓谷のひとつだという。その謳い文句に期待が膨らみます。

そういえばトンネルを最後に「歩いた」のは、いつの頃だろうか。車や電車に乗って走り抜けるのではなく、自力で一歩一歩、薄暗がりの空間を進んでいく。滞留する空気を切り開いていくようなこの身体感覚は、ずっと忘れていたものだ。稲刈り隊に参加した子どもたちも、しっかり前を向いて歩いている。頼もしいなあ。
そろそろ終点かというころ、ゆるやかにカーブした路の先に、いきなり大きな陽の光が現れた。まぶしい。トンネルは断ち切られて展望台になっていた。そこからの眺望はまるで映画のスクリーンのように、美しい緑の渓谷が広がっている。トンネルはなんとこの絶景を観賞するために掘られたものだったのだ。
そこに立って陽の光にさらされると、明るい地上に芽を出した植物の気分だ。渓谷の底には清流が曲がりくねりながら流れている。きっと何万年、何十万年とかかって、水流が岩を削り地中を掘り下げていったのだろう。すごいなあ、自然は。自らの力で硬くて、巨大で、不動に見える地形を変えていくのだから。

Tunnel of Light
トンネルのゴールには風水画を思わせる絶景が待っていた!
Tunnel of Light
そして向こう岸へと渡ると影絵が完成!「Tunnel of Light」という芸術作品なんです。

トンネルを戻る道すがら、ふいに頭に浮かんだ言葉「地霊」について考えた。ヨーロッパではゲニウス・ロキとも言うけれど、これは霊体とかお化けではなくて、その土地が持つエネルギーのことだ。植物から動物、もちろんイネも人間もこのエネルギーに影響を受けている。ふだん都会では、コンクリートで地霊は封じられているけれど、それでも唐突に地面を揺さぶって、ぼくらに不意打ちを食らわせたりする。
この越後妻有、魚沼のように、自然がふんだんに残っている場所では、日々大地のエネルギーを感じることができる。それが人を穏やかな気持にしたり、ときに不安にしたりする。そんな大地のエネルギーがイネを育てる。そう、イネはやっぱり大地が育てるんだな。人間はそれを少し手伝っているという感じ。棚田で稲作をやってみて、それがよくわかった。大地を貫くトンネルを歩きながら、ぼくはそんなことを思った。

稲刈り隊のちびっ子は750mのトンネルを歩いて、何を思ったかな。

重いは思い。なんだか嬉しい。

見学を終えて、わが棚田に着いた。予報どおり雨が上がっている。ひと足先に着いた棚田スタッフが田んぼで奮闘中だった。その中に見慣れない顔が。地元の農家の山賀一(はじめ)さんで、素人集団の収穫を心配して、駆けつけたのだ。

山賀一さん
稲刈りの頼もしい助っ人の登場は嬉しい限り。山賀一さん、ありがとうございました!

強力な助っ人も来てくれた。よし、やるぞ!、と気合いを入れて一同、鎌を手に取った。5枚ある棚田のうちで一番下段にある1枚に、白いロープで四角く区切った場所ができていた。スタッフがいもち病にかかったイネたちをほかの健康なイネと区別するためにロープで囲ったのだ。こうやってみると、いもち病のイネはほんの一部だとわかる。全体はうまく育っている。

稲刈り
白い線で囲まれた中がいもち病のイネたち。手前まではきれいに刈り取り。

ぼくたちは昨日覚えた刈り取り方法にしたがって、刈って、刈って、束ねて、束ねてを繰り返した。ところが、それらの束を背に担いで立ち上がろうとしたとき、昨日と打って変わって腰が上がらない!イネが重い、重すぎるのだ。雨水をたっぷり含んでずっしりと重みを増したイネは、まるで鉛に変わってしまったみたいだ。

藤原智美さん
雨に打たれたイネは重い。晴れた日とは雲泥の差。晴れの日と雨の日の稲刈りを体験したからこそ、知ったこと。

「雨の日の刈り取りは、イネが重くなりすぎて、ぼくだって持てないときもあります」とは棚田スタッフの竹内想さんだ。体格のいい彼だって体にこたえるという。イネの束の数を少し減らして、どうにか担いでみた。やっぱり重い。しかし、その重さがどこか嬉しいから不思議だ。ずっしりと肩にかかるこの重みは、5ヶ月間がんばってきた成果でもある。これが収穫の喜びというものなのか。ぼくらはひたすら刈って、束ねて、はざ(稲架)にかける作業をくり返した。

稲刈り
稲刈りは反復作業でもある。刈る。束ねる。運んでかける。この繰り返し。無の境地。

と、山賀さんが遠くの空に目をやりながらいった。
「もうすぐ雨になるから、雨合羽用意したほうがいいよ」
えっ?だって雨は上がったばかりじゃないか。空も少し明るく薄曇りになったのに。山賀さんは何をいってるのだろう。まさかね?


――つづく。

文:藤原智美 写真:阪本勇

藤原 智美

藤原 智美 (作家)

1955年、福岡県福岡市生まれ。1990年に小説家としてデビュー。1992年に『運転士』で第107回芥川龍之介賞を受賞。小説の傍ら、ドキュメンタリー作品を手がけ、1997年に上梓した『「家をつくる」ということ』がベストセラーになる。主な著作に『暴走老人!』(文春文庫)、『文は一行目から書かなくていい』(小学館文庫)、『あなたがスマホを見ているときスマホもあなたを見ている』(プレジデント社)、『この先をどう生きるか』(文藝春秋)などがある。2019年12月5日に『つながらない勇気』(文春文庫)が発売となる。1998年には瀬々敬久監督で『恋する犯罪』が哀川翔・西島秀俊主演で『冷血の罠』として映画化されている。