秋風が吹き、あたたかい緑茶が恋しくなる季節がやってきた。その代表的な国内産地として知られ、狭山茶の主産地のひとつである埼玉県は入間市で、昭和初期からお茶農家兼お茶屋を営む「西沢園」。四代目の西澤陽介さんには、三種類の仕事着がある。
西武鉄道の入間市駅から徒歩15分ほど。かつては日光脇往還の継立場として栄え、青梅や川越へも繋がる道が走る「扇町屋」(おおぎまちや)という古い町に、「西沢園」はある。茶葉の栽培からお茶の製造、販売までを一貫して自社で行う、家族経営の店だ。
大学を卒業後、静岡県で2年間のお茶づくり修業を経て、2013年に四代目として店を継いだ西澤陽介さんには「三つの顔」がある。お茶の栽培農家としての顔、その茶葉を昔ながらの"手もみ"で製茶する茶師としての顔、そして2018年から加わったお茶の移動販売自転車「狭山ちゃりんこ」の運転手としての顔だ。
西澤さん曰く、「コンビニよりお茶屋の方が多い」という入間市は、狭山茶の主産地のひとつであり、各家庭それぞれにお気に入りのお茶屋があると言われるほど、お茶が日常に息づいている。それほどの名産地でも、近年はペットボトルやティーバッグなどの利便性のあるお茶商品に押され気味で“急須離れ”が加速中だという。
しかし、そんな時代においても、「西沢園」では、お茶の香りと味わいをしっかり抽出する“急須で飲むこと”を常として、“急須で挿れて飲んでおいしい”をモットーにお茶をつくり続けている。
育てる品種は「やぶきた」一筋。優しく上品な香りと甘く濃厚な味わいが特徴とされ、自身も「いちばんおいしいと思う」と語る、日本茶の代表品種のひとつだ。
しかも、通常は二番茶、三番茶と年に何度も収穫できるところを、あえて5月に摘み取る一番茶のみを提供している。「お茶のいちばんいいところを味わってほしい」というそうした真摯なお茶づくりが評価され、二代目である祖父の清治さん、三代目の父の明さん、そして西澤さんと、親子三代で通算6回も品評会での優勝を重ねてきた。
いまも、自分たちの目の届く範囲のおいしいお茶をつくりたいと卸はせずに、店頭での直接販売と自社ホームページでのみ販売するスタイルだ。
「入間の人は、たとえ自分の家の隣にお茶屋さんがあっても、好みの味の店がほかにあれば、わざわざそっちに行くんです」と西澤さんは言う。ゆえに、この店にも日常的にお茶を楽しむ常連さんが、ご近所からも遠方からもやってくる。
あるとき、常連のおばあさんが、わざわざタクシーで買いに来てくれた。歳を重ねても、そうまでして通い続けてくれる姿を目にしたとき、「こっちから販売に行けばいいんじゃないか」と閃いたのが、お茶の移動販売自転車を始めるきっかけだったという。
「それに、入間の子供たちは、ほとんどが成長すると地元を離れます。そのときに『自分はお茶の町で育ったんだ』っていうことを忘れずにいてくれたらと思って」
定期的に、町に“お茶の自転車”を走らせることで、入間=お茶が日常に息づいている土地であることを改めて子供たちに知ってほしいのだという。
「この自転車を見かけたことで『今日は久しぶりにお茶を飲んでみようかな』とか、お茶のことを考えるきっかけになってくれたら嬉しいですね。だから、この自転車で買ってもらえなくても大丈夫(笑)」
西澤さんの第一のユニフォームは、畑着でもあり接客用でもある店名のロゴ入りTシャツだ。これらは、「服のことを考える時間があるならお茶のことを考えていたい」と、あえて“制服”として複数枚あつらえたもの。黒や紺、白などのシンプルな色ばかりだが、
「赤色などは絶対に着ません。自分が黒子になって、お茶の色が美しく見えるような色を着るようにしています」
第二のユニフォームは、「狭山ちゃりんこ」の際に身につける、デニムのエプロンと同系色のキャスケット、レジ代わりのポシェットだ。お茶屋のイメージを覆す洒落たスタイルのように見受けられるが、「家にあったものを適当に組み合わせているだけ。実は、服には本当に興味がないんです。奥さんにも怒られるくらい(笑)」と、本音が飛び出す。
しかし、店のテーマカラーが青色である理由を尋ねると、表情が変わった。
「いいお茶のことを、お茶農家は『青い』って言うんです。優れたお茶って、茶葉や水色(すいしょく)の緑色の中に、ほんのり青みがあるんですよね」
いつかそういうお茶をつくりたい――。言葉の端から、青い色に込めた強い思いが伝わってくる。
西澤さんの頭の中は、いつだって、おいしいお茶をつくることと、地元の狭山茶の魅力を発信することでいっぱいのようだ。服装に無頓着というのだって、つまりは、見た目ではなく中身で勝負したい、ということだろう。
その姿勢は、仕事着の選び方にもお茶づくりにも徹底していて、すがすがしい。
――つづく。
文:白井いち恵 写真:米谷享