2019年のプロ野球。広島東洋カープは4連覇を逃した。一方、東北楽天ゴールデンイーグルスは2年振りにCS進出を果たした。そして、栗原健太が属する楽天の2軍はイースタン・リーグを制した。栗原健太にとって、プロ野球人生初の優勝である。でもね、ここで綴られるのは今シーズンのプロ野球のことではなくて、天童にある「マルタイ焼肉センター」の話なんです。
「マルタイ焼肉センター」の同じ敷地内に立つ精肉店の「肉のマルタイ」は、栗原順子さんの弟、伊藤正宏さんが継いでいる。もちろん山形牛、中でも尾花沢産を多く扱う。作並や東根、そして隣県である宮城の秋保など、温泉街の旅館への配達が多いという。
順子さんも正宏さんも、かつてはスポーツ少女、スポーツ少年だった。ふたりともバレーボールの選手で、順子さんは短大時代に全国大会で3位入賞、正宏さんは高校生のときに全国2位を経験している。さらに、もっか精肉店で働いている、順子さんの次男、泰志さんは高校生のときにバスケットボールの全国大会に出場、チームは3位に入賞している。
さて、我らが栗原健太はといえば、高校2年生のとき山形県代表として甲子園に出場したけれど、惜しくも第1回戦で敗退しているので、親戚の集まりでは、健太がいちばん弱かったなあ、という笑い話にもなるそうだ。
「マルタイ」の座敷には、店名が彫られた大きな駒が置かれている。駒の彫師であるお客さんにつくってもらったのだという。
そう、天童の将棋の駒の生産量は日本一。ラ・フランスの生産量も日本一である。形成合板の技術を駆使して、ちゃぶ台から柳宗理のバタフライスツールまでをこしらえ続けてきた家具メーカー「天童木工」もここにある。もっともっと古くからの名所といえば、松尾芭蕉が「閑さや 岩にしみ入 蝉の声」と詠んだ、山寺こと立石寺がある。
とはいえ、カープファンが天童に来たならば、やはり真っ先に「マルタイ」を目指すに違いない。
「カープファンの人、健太が楽天に行ってからも来るんですねぇ~、有難いことに。どういうところで生まれて、どういうところに住んでいたのか見たいんだね、やっぱり。聞くんですよ、お客さんどちらからみえたんですか?“岡山から”“大阪から”って」
順子さんは「はあっ」と、感嘆の声を上げた。そこからの遠い道程を想像するかのように。
「千葉のカープファンの人がこないだ来たときよ、“さくらんぼ狩りしてここでごはん食べればいいんですはぁ”って言うのよ。1泊ぐらいしていけばいいのにと思うんだけど。山寺に行ったり、温泉に入ったりしていってくださいって言っても“いいんですはぁ、ここさ寄れば”って!」
ちなみにこの話中、順子さんは千葉の人が発した台詞を山形言葉に置き換えて話していた。せっかくなのでそのままお届けしたい。順子さんの語り口調は、勢い付いて激しさを感じさせることもあれば、語尾をほんわりと伸ばしてゆったりと締めくくられるときもあって、話の内容もさることながら、聞いていてとても楽しい。なるべくそれをこの記事上でも再現したいと思う私。閑話休題。
「カープの4番は、金本さん、新井さん、その次はうちの息子になったんだけど、金本さんも新井さんもFAで阪神に行って、前田健太さんも出て行って。それはその人の人生だからね、止められない。でも健太は、あっちさ行って野球したらいいんでねえかとか、いろいろ言われても残ってたから、カープファンの方には感謝されてます。でも私からすると、16年もいて、1回くらい優勝してほしかったなあと思うじゃないですか。健太がいなくなると優勝していいねぇ~、って言うと、カープファンの人は“いやっ、いま、優勝したのは栗原選手があのとき土台を築いていてくれたから”“お金がなくてもいてくださったんですよ、お母さん”って」
今度は、ファンの台詞は標準語で語られた。順子さんは「でもなあ、現実、金だしなぁ」と早口で付け足して、大きく笑った。
「カープは、ファンが来てくれるからね。人情味あるっていうかなんていうか、お金じゃなくて!」
最後のところはひときわ大きな声で言った、順子さん。
もしも栗原健太が、カープ以外の球団で長い時間を過ごしていたと仮定して、そのチームのファンは、本拠地から1000kmよりもっと遠くにある場所まで、退団して数年が経ついまでも、来てくれているだろうか?
カープファンの熱と、順子さんの人柄がしっくり溶け合って、地元に根付くのどかな焼肉店を超えた存在として「マルタイ」はあるのだな、と、感じ入る。
「やっぱりよ、怪我すると駄目な世界なんだ。結果のみだからね。一軍で活躍しないことにはね。たいへんだよ、野球しか知らないからさ。もうそれだけできてるから。テレビで映すのはいいことだけだから、晴れやかぁ~なところしか見ないから、みなさん、いいなあ~って言いますけど、たいへん。ふふふっ。健太はいまでも朝5時起きで練習してる。もうコーチだから、選手みたいにしなくていいんじゃないのって言いますけど、そのほうが説得力があるって。健太はとにかく練習、どごまでも練習すんのよ。でも、活躍する選手は、してます、してます。前で言わないだけです」
そういえば、栗原健太の実家は焼肉店、ということをファンはどこで知るのだろう。
最も直球の情報源は、1回目でも触れた、栗原健太の公式ブログだ。2008年、ということはシーズン開幕から4番を任されることになる年の早春には「タレ。」というタイトルで、実家の生業を紹介している。
「広島に来て、色んな焼肉屋に行きましたが、マルタイには勝てん。肉も大事なのですが僕は特にタレにこだわりがあります。さらっとしているものよりドロッとしているものが好きです」
母である順子さんの言とそっくりのことが書いてあって、なおのこと「マルタイ」のタレへの信頼が増すのだった。
文:木村衣有子 写真:阪本勇