いつだって人でにぎわい、活気があふれる町、上野。酒場の入口は、このカオスな町にそびえるビルのてっぺんにあった。おおきな窓から見渡す東京の町並み。昼からくったくなくグラスを傾ける人々。好きなもの選び放題の充実のメニュー。お天道様が高いうちから飲んでも罪悪感のないこの食堂はまさに天国。
おじいさんが山に柴刈りにいくように、おばあさんが川にせんたくにいくように、せっせと上野にいく。
なまけものにも、用事はあって、塩がない、柿ピーを食いつくした、かつおぶしきれた、歯ブラシがぼさぼさになったし、紅茶もない。そうなると、はりきって電車に乗り、にぎやかな町にまぎれこむ。
幼稚園に入る春に、東北から東京に来て、はじめて降りたのは、上野駅だった。学生時代も、東北に帰った両親の家にもどるときも、上野から新幹線に乗った。なまりことばは話せないけど、東北にむかうなら、いまもやっぱり上野がいい。
買いものも、みんなここですむ。
お店に、よそいきとふだんの境がないのがいい。食べもののお店なら、観光客と地元のひとが相席で平気でいられるのがいい。
よく見つけたねえ。たまたま入ったら、当たりでしたねえ。おじいさんと、おねえさんが、たのしそうに話せる。やきとりでも、お寿司でも、そういう明るい声がきける。
おいしいものは、みんなでたくさん分けあったほうが、よりおいしい。
町のひとがみんなそう思っているから、むかしからあるお店は長くつづき、あたらしいお店にも、すぐ常連ができる。きさくな上野は、やっぱり東京の玄関にふさわしい。
ひとりの昼なら、「肉の大山」の定食、中華の「太興」「新東洋」、喫茶店のナポリタン、たこやきもあるし、洋食、うなぎ、どうしよう。
あれこれ迷って、おなかがすきすぎて決められない日は、迷わず御徒町駅前の「吉池食堂」にいく。
駅前名所の「吉池」の1階と地下は、豊富な鮮魚とスーパー。あたらしいビルになって、ユニクロやユザワヤも入った。てっぺん9階がぜーんぶ吉池食堂で、特等席のおおきな窓ぎわ、スカイツリーが見える。
昼のおさけはまわるから、グラスのビールをたのみ、ぐるり見まわす。
昼間からのんでるひとが、こんなにいて、たのもしい。
ここは、上野でいちばん天国に近い食堂。
メニューのすばらしいごちそうの写真を見ているだけで、ビール1杯のめてしまった。吉池食堂で、注文を決めるのは、競馬の予想よりも時間がかかる。意を決して、アジミックスフライ定食。ビールのおかわりもお願いする。
同級会か、OB会か、おじいさんの団体席には、両はしに一升瓶がどんと置かれている。
ご夫婦の、奥さんはステーキ、だんなさんはラーメン。ネクタイふたり組には、旅館の夕食のようなりっぱなご膳がととのった。若いカップルは、ナポリタンとカレーをわけあい、外国の五人家族は、天ぷら、刺身、お寿司、かつ丼、妻有そば。全員違うものを食べて、うんうんとうなずいている。
お店のひとたちは、おさけも、ワインも、ビールも、ご膳もどんぶりも、しずかにすばやく運んでいく。
メニューには、新潟産の食材がならぶ。おさけも新潟銘酒がずらりとある。お肉、魚も新潟から届く。栃尾のぶあついあぶらげ、細くてはりのあるもずく酢、巻きえごなどの強度名物、ふのりの入った妻有そば。
まえに、青山にある新潟料理店で、吉池の社長さんは新潟出身ときいたことがある。東日本震災のとき、流通が混乱するなか、吉池の社長さんは奔走して食材を切らさず青山まで調達してくださったという。これぞアメ横の心意気と感じ入った。
アジミックスフライ定食は、吉池コロッケ、鯵、エビフライ、山盛りキャベツ。
となりのおじさんたちのほうがさきに、フライうまそうだなあといった。ごはんはもちろん新潟産、お味噌汁は、しじみ。よくよくわかっていらっしゃる。
おおきな窓のさきは上野の森、見おろすとアメ横商店街に沿った線路のうえで、山手線と京浜東北線がすれちがった。
――「上野と湯島の酒場」出口篇につづく。
文:石田千 写真:衛藤キヨコ