東京の和食シーンを牽引してきた「銀座 小十」。2019年7月には、オープン16年目を迎えた。日本で令和の時代に和食を供する意味とは、何か。店主の奥田透さんは考える。
奥田透さんが東京は銀座に「銀座 小十」を構えたのは33歳のとき。29歳で独立してから、今年でちょうど20年を迎えた。
美しく季節感はあるものの、どちらかというと小ぢんまりとまとまった印象だった東京の和食に、奥田さんは圧倒的な素材の迫力感を持ち込み、大胆な器づかいと斬新な盛りつけで旋風を巻き起す。こうした時代の新潮流は、京都とは一線を画す東京の和食として花開いた。さらにはミシュランの日本上陸も重なり、銀座の名店として広く知られるようになった。まさに順風満帆といっていいだろう。
だが、奥田さんは安住を良しとせず、一昨年前、すべての献立を大きく変えようと思い立つ。そのために器も全部買い揃えた。器屋の主人に「新しくお店をオープンしたんですか」と問われるほどの量だった。
この春、新しい献立がスタートを切った。まず、目を奪われるのが節供を鮮やかに描いた楽しい意匠だ。
2月は、鬼、お多福、梅の香合に料理を盛り込み、「鬼は外 福は内」と名づけて八寸に。
4月は「花見」にちなみ、これまで登場することのなかった2色のおむすびに満開の桜の枝を添えて。
また、5月の「菖蒲八寸」をよくよく見れば、一尾の稚鮎が頭に緑酢のおろしをのせて川を泳ぐ。軽妙洒脱。そこに気負いはなく、それでいて大胆かつ繊細な奥田流の美学が通底している。
「なくしてはいけない、伝えていかなくてはいけない日本の大切な年中行事」を、料理の口上とともにわかりやすく説く。
奥田さんは言う。
「背伸びもしていなければ、無理なこともしていない。まだまだ伸びやかな自分へのの期待感があります。定番を大切にするお店は、それを変えずにやっていたのか。変えられる力量がなかったのか。令和を迎えて、私は変化を求められている気がしました。続けることに価値はあっても、何十年も同じことをやり続けることは、料理人としてどうなのかと。そうじゃない自分を引っ張り出さないと。役者がいろいろな役柄を演じるように、個性を消して演じているうちにちゃんとそれ以上のものが出てくるというのが『究極』。私もいろんな自分を出せないと、人生面白くないかなと」
その表現は八寸だけに留まらない。6月のお造りは「夏越しの祓」。「茅の輪くぐり」の中に3種類の刺身を盛り込む。茅を巻いた三方の輪を八の字にくぐることで、邪気を祓い、無業息災を願う。「蘇民将来」の札も添えて、由来への興味をそそる。客は楽しみながら、何回も箸をくぐらせることでご利益を得る。
「いまの世の中に必要かどうかは別にして、この国の成り立ち、昔の価値観を知ることは大事なのではないでしょうか」
むろん、奥田さんらしい盛り付けも健在である。6月の付出しに供された「殻付き雲丹 とうもろこしアイス」は、運ばれるやいなや一瞬にして深海に遊び、生雲丹の下に潜むとうもろこしのまろやかな甘さとの相乗効果に酔う。海の幸と畑の幸とが融合した、プロローグにふさわしい印象的な一品だ。
かつて奥田さんは『日本料理 銀座小十』(世界文化社)で、こう語っている。
「私の仕事でいちばん大事なことは、献立をつくることだと思っています。『献立』というシナリオをどう描くかが重要な仕事です(中略)目で見る衝撃と、脳で感じる快感、舌を喜ばせる美味、心で感じさせる至福感まで、すべてに訴えたいのです」
来月は、人気が高かった「土鍋ご飯」をあえて自ら禁じ手にした、奥田さんの決意について話そう。
――つづく。
文:瀬川慧 写真:大山裕平