「銀座 小十」の本質に迫る連載がスタートします。年号が変わった2019年、主人の奥田透さんは50歳となりました。年号の変化と自身の年齢が節目を迎え、奥田さんは、新たな想いを胸に和食と真摯に向き合います。新しい時代の新しい和食の扉を開けるために。
日本料理「銀座 小十」の開店は、2003年7月。『ミシュランガイド東京2007』で三ツ星を獲得して以降、星を取り続け、国内外にその名を広く知られている。2012年6月には、銀座5丁目並木通りに移転。さらには世界に和食を広めるべく、2013年にパリに「OKUDA」、2017年にはニューヨークに「OKUDA New York」を出店。ほぼ毎月のように、主人の奥田透さん自ら三都市を忙しく飛び回ってきた。
料理人として独り立ちして20年。今年でちょうど50歳を迎えるにあたって、奥田さんは一大決心をする。2年ほど前から少しずつ変化してきた献立を、改めて見直そうというのだ。
「令和時代になり、価値観はまた大きく変化しています。平成の時代がそうであったように、ファッションも車や家のデザインも、もしかしたら家族や自分の価値観すらも変わってくるのかもしれません。料理もまた然り。半世紀という区切りを迎えて、これまで続けてきたスタイルをここで一旦見直してみようと考えました」
「銀座 小十」といえば、四季折々の旬の食材を大胆に斬新に切り取る、勢いのある料理で知られている。その代表が、夏を代表する“天然鰻”であろう。
奥田さんが天然の大鰻にこだわる理由は、その「生命力」だ。1kg以上の大鰻は10年以上生きているといわれ、生命力の強さは並大抵ではない。
「自分よりも生命力の強いものを体に取り入れることで、パワーアップ。暑い夏のスタミナ源として、自然なエネルギーとなってくれます」
そう語る奥田さんは、日本料理が世界に誇る最高の技法「炭火焼き」によって、皮はパリッと身はふっくらとした香り高い大鰻の蒲焼を目の前で供してきた。これまでの日本料理店では体験したことのなかったスケールで五感を刺激し、感動を呼び起こした。こうした料理もまた、今、変わろうとしているのだろうか。
「私の料理は天然鰻のように大胆に『面』で見せたほうが、パワーが伝わると考えています。ただ、そればかりではどうしてもコースの品数が少なくなってしまいます。そうしたこともあって、2年ほど前から少しずつ『点』でみせる献立を考えてきました。全体を通して献立を見ると、やろうとしていることはあまり変わらないかもしれません。ただ、12ヶ月のコースとして俯瞰してみると、料理の流れの意図が明確になります。食事にしても炊き込みご飯の代わりに棒鮨と麺という月もある。いろいろなものを楽しめることで、満足してくださるお客さまが多くいらっしゃいます」
今、奥田さんは毎月の献立に、改めて日本の年中行事や歳時記を取り入れ、日本料理のルーツを表現しようとしている。1月は正月、2月は節分、3月は雛祭り、4月は花見、5月は端午の節句……。八寸や食事、器や盛りつけにそれを前面に出して、真っ向勝負で訴えかける。
「こうした趣向は京都などではずっと主流で、目新しいことではありません。私はそれをなぞるのではなく要所要所で取り入れながら、令和という時代の献立に変化をもたらしたいのです」
似ていて非なるもの。たとえ伝統をなぞっているように見えても、奥田さんの料理は力強い。有り余るものを秘めながら、パワー・バランスを取りながら、今は「点」としての新しい献立を見せることに集中している。
次回以降は、日本人として忘れがちな年中行事と季節の食材の話を伺いながら、奥田さんが今、考える日本料理とは何か。実際にそれを落とし込んだ毎月の献立について紹介していこう。
文:瀬川慧 写真:大山裕平