新店でありながらもコアな酒場は、専門店のごとき中華料理にタイ料理風サラダに洋食メニューも揃う“つまみ大充実店”だった!「倒れるまで飲む」の意ではなく、「飲むことに人生を懸ける」という“飲み倒れ”の精神を体を張って追求する神林佳一先生が、自身のミニコミ「ひとり飲みの店ランキング2019」25軒より、選り抜きの一軒をご案内。
「林檎や」(16位)があるのは、浅草は馬道(うまみち)通り沿い。浅草寺の脇を南北に延びるこの道と、東西に交差する言問(こととい)通りを越えたところにある。
江戸時代から、花川戸から馬道にかけては“浅草の玄関”だった。
馬道は浅草寺の馬場に通う道として生まれ、後に吉原へ馬で向かうための道となる。
そのため、今でも天ぷら屋の「お多福」と「大黒家(だいこくや)」という木造の老舗が残っているし、3年半前までは「大木洋食店」(1923年創業。現在は閉店)というかの立川談志師匠も通った名物店もあった。
2012年に大将が亡くなり暖簾をたたんでしまった、もつ焼き「うまいち」は僕にとっては最高の「ひとり飲み」店で、国内外で活躍する音楽ユニット「Ego-Wrappin(エゴラッピン)」のギター・森雅樹さんも常連だった(こちらの名店を覚えている方はいらっしゃいますか?)。
「林檎や」はⒶ「名物女将と話ができる店」、Ⓑ「寡黙で腕のいい大将がいる店」の両方の条件を満たす店の代表だ。
カウンター4席とテーブル12席。店は大正浪漫を意識していて、居酒屋というよりも洋食屋のようなお洒落な造り。
女将は僕が勤める浅草高校の前身、台東商業高校の出身(何かの縁を感じます)。
元向島芸者で、そのときの源氏名が「りんご」さん。東京・丸の内「パレスホテル東京」でフレンチの修業をしたが、一転して15年ほど芸者を張り、知人の料亭を手伝った後、2016年にこの居酒屋を開いた。
向島はいま関東最大の花街で、芸者は90人在籍する。
一方、浅草芸者は、2月に最高齢のゆう子姐さんが96歳で亡くなり、25人に減ってしまった(ちなみに花川戸の串揚げ屋「光家(みつや)」の女将も元浅草芸者です)。
マスターの大輔さんは、赤坂のサントリーバー「モダンタイムス」や浅草「オレンジルーム」、東向島「Bee」などで経験を積んだバーマン。
(寡黙ではないが)料理の腕もいい。常連である、浅草の有名洋食屋「レストラン大宮」のオーナーシェフ・大宮勝雄さんのお墨付きだ。シェフは大輔さんの“あんかけ焼きそば”が大好物で、毎日食べ続け太ってしまったというくらいだそうだ(中華料理も評判のバー「Bee」直伝の味です)。
ほっけの一夜干しにチャプチェ。アヒージョにオムライス。海老マカロニグラタンにナンピザ。豆腐とツナのチヂミ、焼きおにぎり、稲庭うどん(冷・温)。
と、大輔さんは和・洋・中・エスニックと何でもござれだが、ランチのカレーも評判がいい。林檎さんが働いていた「パレスホテル東京」をリスペクトした味だとか。3種類あっていずれも1,000円。とくに“特製カレー ひと口カツ添え”は昼限定の人気メニューである。
芸者さんの気配りと接客。
バーマンの大輔さんの気の利いた酒と肴。
思えば、この二人の取り合わせは最強ではないだろうか。
客の年齢層は高め。
老舗さつまいも菓子店や人形焼店の女将さんをはじめ、「浅草の顔」ともいえる人々や地元のお年寄りたちの社交場ともなっている。とにかく、浅草の芸者衆や相撲の親方と客層も幅広いのだ。
このように客を引きつける「林檎や」の魅力は、絶妙な距離感にあると思う。
女将とマスター、店と客、客同士。
慣れ合うことなく、それでいて家庭的。ぜひ一度この雰囲気を味わっていただきたい。
番外編として、「ひとり飲み」という観点から泣く泣く削ったが、オールマイティの店の代表としては和洋食・喫茶・居酒屋の「ニュー王将」(浅草警察署の奥)が有名。「ここを知らずして浅草を語るべからず」というほど地元での人気は高い。庶民的な店だが老舗高級ロシア料理「マノス」で修業したという。何を食べても安くておいしい!ただ、数年前にランチをやめてしまったのが何とも残念だ。
23位「食べ呑み処 あぐまる」も二人で営業している店だ。若い女性たちで、一人が料理担当、もう一人は日本酒利酒師というアットホームな店。2018年7月開店で、客層も若い。こんな新しい店を応援するのも「ひとり飲み」の楽しみの一つだ。
――明日につづく。
文:神林桂一 写真:大沼ショージ