山の音
誰もが写真を撮る時代になった。
大森さんの写真 大森さんの写真

誰もが写真を撮る時代になった。

写真家の大森克己さんの連載が始まります。日々の暮らしの中で、大森さんが写真を通して見えたこと、写真を通したから思ったこと、写真があってもなくても感じたこと、その他もろもろ、写真をめぐる雑感を中心に、今日からぽつぽつと綴ります。

むしろこの目の前の世界が写真になったらどうなるのかな

写真を撮ることを生業にして随分と時が経ち、日々の暮らしの中でほんの微かな驚きや、何かに光があたって美しいと思い、艶のないほとんど闇のなかを歩いたり触ったり、あるいは誰かに何かの記念だから撮って、と頼まれたりして、たくさんの写真を撮ってきた。

大森さん

で、よく人から普段の暮らしの中でも四角いフレームでものを見ているのですか、と訊かれたりもするのだが、フレームで世界を見るということは全然なくて、むしろこの目の前の世界が写真になったらどうなるのかな、と考えている。感じている。
何かを見つめて、たまたま結果としてそこにフレームが発生する、というようなことが近いのです。写真は目に見えるもの、レンズを通した光のことなので、あくまでも表層のことなのです。

大森さんの写真

でも感情、とか気持ちというような自分自身の内面のようなこととかがまったく写真に関係ないのかと云われると、それはやっぱり関係があって、撮るときは一瞬なのだが何かに夢中になっている時間にとても素敵な新しい写真や、出会ったことのない恐怖のようなものを感じる写真が撮れてしまうことがある。

結果としてフレームの外にあるものは写真としては残らない

写真に映っている人、被写体になってくれた人の心というか感情もまた然りで、それは喜びや悲しみということだけでなく、カメラではなく、カメラを持っている自分と相対しているときの、その人の思いや体温や欲望が、確実に写真に現れる。

大森さんの写真

でも、たとえば、ある人の喜びのようなものが独立して目に見えるわけではぜんぜんないので、そしてすべてのことは動き続いているので、その動きをどうやって仕留めているのかとても不思議だ。ただ自分が見たいものしか見ていないし、結果としてフレームの外にあるものは写真としては残らない。
そして実際の世界は莫大な、自分が見たいもの以外の塊で、音、匂い、手触り、のどの乾き、目に見えないもので満ちている。

――明日につづく。

文・写真:大森克己

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大森 克己(写真家)

1963年、兵庫県神戸市生まれ。1994年『GOOD TRIPS,BAD TRIPS』で第3回写真新世紀優秀賞を受賞。近年は個展「sounds and things」(MEM/2014)、「when the memory leaves you」(MEM/2015)。「山の音」(テラススクエア/2018)を開催。東京都写真美術館「路上から世界を変えていく」(2013)、チューリッヒのMuseum Rietberg『GARDENS OF THE WORLD 』(2016)などのグループ展に参加。主な作品集に『サルサ・ガムテープ』(リトルモア)、『サナヨラ』(愛育社)、『すべては初めて起こる』(マッチアンドカンパニー)など。YUKI『まばたき』、サニーデイ・サービス『the CITY』などのジャケット写真や『BRUTUS』『SWITCH』などのエディトリアルでも多くの撮影を行っている。